3-7.
タイトな計画であるとはいえ、計画が立ち上がり、それに従って仕事を進めればよいことが明確であれば気持ちは楽になる。頑張って効率よく終わらせれば、休憩時間を延ばせるというのも計画がしっかり定まっていることの良い効果で、それぞれのスタッフの小さな改善が円滑な撮影進行を支えていた。
その日の撮影も順調に進行し、予定よりも長く休憩を入れられることになった。休憩がてら制作部屋にたむろしに来た水島、赤城以下数名のスタッフが常備されているお菓子を囲んでいるところでベテランの音声担当の音羽が水島に声をかけた。
「水島監督と、赤城君と星野君って同じ大学出身って言ってましたよね? すいません、監督のプロフィール出てたんで調べちゃいました」
水島はお菓子をくわえたまま手を軽く振った。
「公開してるもんだから別に問題ないっす」
「実は、甥っ子がそこの大学に行きたいらしくて…でも、難関で有名じゃないですか。私がこんな仕事してるなら知り合いいないのかって姉から無茶振りされちゃって。入試対策とか…なんか教えてもらえませんか」
水島は隣にいた赤城と顔を見合わせた。
「入試、ですか。俺らが受けたのもう二十年近く前なんで…やってること違うんじゃないかな」
赤城も頷いて、それから自席でこちらの会話を聞いているらしい星野を手招きした。
「ちょっとだけ若手の人、最近の入試についてなんか知ってる?」
「さあ……。推薦入試のパターンが増えたみたいな話は聞いたことありますけど、それが今どうなってるかは分からないですね」
歩み寄ってきた星野のためにみんなが微妙に隙間を空けて、星野は赤城と音羽の間に腰かけた。
「実技重視は変わらないみたいなんで、そのあたり、やっておいた方がいいこととか。なんかアドバイスないですかね?」
音羽の質問に、水島は赤城と星野を順に見やってため息をついた。
「音羽さん、こいつらどっちもたぶん全然参考にならないっすよ」
「え……それはどういう」
音羽が戸惑った声をあげるのに被せるように赤城が「ああ」と訳知り顔で星野を示した。
「そうだった。星野はダメだ。実技も学科も参考にならない。つうか、入試受けてないよな?」
「は?」
音羽だけでなく、近くにいた全員の視線を集めて星野は笑った。
「受けましたよ。受けないと入学できないでしょ。一般入試じゃないだけです」
「ということは、推薦ですか」
恐る恐る確認に行く音羽に、星野は「はい」と頷いた。彼らの出身大学について多少の知識があるスタッフからはうめき声とため息が漏れた。
「たまたま高校時代に外部の大会でいい賞をいただけたので。ちょっと挑戦してみました」
「たまたまで取れる賞でもなけりゃ、推薦枠でもないのよ」
赤城が呆れ声をあげる。
「アレ持ってりゃ、なんも勉強しなくてもどっかしらの大学には行けたろ。だから音羽さん、星野は試験勉強ろくにやらないで済んだ系の人」
「合格通知いただくまではちゃんと勉強もしてましたよ。失礼な」
「一般入試直前の地獄の追い込みを経験してない奴に入試を語る資格はねえ」
赤城と星野の小競り合いを音羽が本筋に引き戻す。
「アレっていうと……?」
星野は「ええと」と言いながら賞の名前を答えた。音羽には耳慣れない賞で、どれほどすごいものかは分からなかったが、後で検索しようと記憶だけしておく。伝わらないことが分かったのだろう、星野は「書道の全国大会みたいなやつです」と言い添えた。
「書道……」
音羽は思わずホワイトボードを振り返った。星野が書いた部分は印字かと思うほどいつも整っている。
「なるほど」
「走り書きですら、風流だからなあ」
赤城が笑うのに、星野の文字を見慣れた制作メンバーが遠くで頷いている。「そうですか?」「そうだよ」などと星野と言い合っている赤城に向かって、水島がさめた目を向けて言った。
「偉そうにダメだししてるけど、赤城も全然参考にならないから」
「なんでよ? 俺ちゃんと勉強したぜ?」
「勉強は知らねえよ。実技の話だろ?」
ですよね、と水島が音羽に同意を求めると、音羽は首を縦に振った。
「実技もやったって」
「やったのは知ってる。やり方が参考にならねえって話。家の柱を彫刻したり、襖一杯に好き勝手に絵描いたりして育ってくるやつは普通じゃないの」
「……柱に、彫刻?」
音羽が飲み込めない言葉を復唱すると赤城は「ああ」と頷いた。
「うち、田舎だから。庭にじいちゃんが趣味で建てた小屋があって。それもらって好き放題やってた」
「都心の狭小住宅と同じくらいの小屋っすよ」
水島の補足に、音羽が「はあ」とやはり飲み込めていなそうな相槌を返す。
「監督、赤城君のご実家に行ったことあるんですか?」
「学生の頃になんかのついでに」
そして柱や窓枠に自由自在に彫刻が施され、作りかけの彫像や、油絵が山積みにされた赤城の「小屋」という名のアトリエを見学してきたのだという。
「実家に連れてくと東京もんはみんな俺のこと豪農の息子だと思うんだよな。あの辺じゃあのくらい当たり前なんだけどさ」
「山も?」
水島の質問に赤城は軽い調子で頷いた。
「半林半農みたいな家が多いから。その辺の山持ってる家も結構あるよ」
「山……持ってるんだ」
音羽の相槌から心が抜けていく。なんとなく聞いていた周りのスタッフも徐々に目が遠くなる。
「あの、水島監督は……?」
「俺は普通っすよ。普通に美術系の予備校行って、デッサンから練習して、過去問解いて、模試受けて」
やっと当たり前の回答が帰ってきて、音羽の顔に安堵の表情が浮かぶ。
「普通の家庭の子だったら、やっぱり予備校とかに通うのが一番ですかね」
「けっこう金かかるからアレだけど、近道だとは思います」
「ですよね」
アドバイスを得る相手を完全に水島に絞った様子の音羽に赤城が横から口を出す。
「近道ねえ」
「なんだよ」
「水島、美術系行くって決めたの高2でしょ?」
「えっ」
あちこちから声が上がる。
「準備期間二年弱も十分エリートだろ」
「……そういうもんですか?」
音羽は問いかけながら、三人のうちの誰に回答を求めればいいのか迷ったように顔を見回した。
「期間だけ言ったら、僕十二年かかってます」
「いや、十七のときにキャリア十二年も異常よ」
「幼稚園の頃に始めたんで」
俺、五才の頃何してたかな、と首を傾げる赤城に向かって水島が問いかける。
「お前はあの小屋いつもらったんだよ。大学の時点でじいちゃん普通にぴんぴんしてたじゃん」
「あれ? 中学んとき。本家の襖絵を勝手に更新したら追い出された」
「ちょうどいい小屋があって良かったですね」
フォローの方向が間違っている星野に水島が「そういう問題じゃねえよ」と突っ込んで赤城が笑っている。
「えーっと、じゃあ、赤城君は少なくとも中学生の頃から独学で絵とか、彫刻とか、やってたってこと?」
音羽が何とか使えそうな情報を引き出そうと食い下がると、赤城は「絵自体は昔っからずっと好きだったなあ」と返した。
「やっぱり、そういう人が多いんでしょうね……」
「それは本当にそうだと思いますよ」
こればかりは三人そろって首を縦に振った。
「あの、そしたら学科の方はどうですかね。やっぱり勉強もできないとダメですよね」
今度は三人そろって微妙な沈黙が下りる。聞いた方が気まずくなる直前で星野が口を開いた。
「最低限をクリアすれば大丈夫だから、過去問をしっかりやりこんでおくのがいいんじゃないでしょうか。お二人、他に何かやりました?」
問いかけられて水島が答える。
「何かって…普通の試験勉強は一通りやったよ。一校しか受けないわけじゃないから」
赤城も記憶を掘り返したらしい。
「そうねえ…よく覚えてないけど、学校の先生が心配してよく面倒見られてたな…あれやっとけ、これやっとけって宿題山積みにして」
「計画部分が実質外注だったんですね」
「手が空くと碌なことしないからって。ひどくね?俺の評価」
問われた水島は「正しい」とばっさり切り捨てて星野に視線をうつした。
「入試自体は受けなかったにしても、星野は推薦取れるくらいだから元々の成績も良かったろ」
「特別いいって感じではなかったですけど」
星野の自己評価は信用できない。聞いている全員がそう思っているところで赤城が予備情報を出してきた。
「星野はそもそもがちゃんとした進学校じゃん。しかも生徒会長とかやってそう」
「やってませんよ」
「え、意外…すごいやってそうなのに」
「副会長でした」
あっさり答える星野に対して「それは誤差の範囲」と赤城が答えて、みんなの気持ちを代弁した。周囲の視線をどう解釈したのか話がひと段落したと思ったらしい星野が改めて音羽に向き直る。
「音羽さん、その甥っ子さんっておいくつですか?」
「中学に上がったばかりです」
星野と赤城と水島は顔を見合わせた。
「それは……」
「美術が好きなら……」
「好きなだけ絵を描かせてやるのが一番っすよ」
「あと、途中でやりたいこと変わってもいいように、学校の勉強くらいは押さえておいた方がいいですね」
「簡単に言ってくれるねえ。くらいって」
うひひ、と笑いつつ赤城は腕時計を確認してよっこらせと立ち上がった。休憩時間の終わりが近づいている。その動きに自分も時計をみた音羽が慌てた様子で頭を下げた。
「ああ、もう休憩終わっちゃう。貴重な時間にすいません。まあ、あの、姉には本当に好きな人だけが進むべき道だと、伝えておきます……」
「入っちゃえば、価値観の近い人の集団になるから楽しいですよ」
「変人ばっかり」
水島の一言に「お前が言うか」と赤城が混ぜ返し、「そのセリフ、そっくりそのまま返す」などと言い合いながら二人は去っていった。
「お役に立てなくてすみません」
星野がぺこりと頭を下げると、音羽はとんでもないと手を振った。
「ある意味、とても参考になりました」
音羽も出ていった後で、小林がぽつりと「監督が一番まともに見えました。そんなことも、あるんすね……」と呟いた。




