3-6.
依頼から三日後、撮影現場に巨大な冷凍庫と大量のアイスが搬入されスタジオの一隅で連日のアイス撮影が繰り広げられることになった。
特にインサートは役者を入れての撮影が終わったあとの遅い時間帯を中心に水島が自らカメラを抱えて撮る拘りようで、星野の予言通りアイスが作品の象徴に育てられていく。
それを見てさらに発奮した鈴木は水島の要望通りの小道具を整えるために奔走した。工場相手の電話で何べんも頭を下げる様子が目撃され、スタッフの鈴木への好感度は急上昇した。そして、これまでの「制作部屋に睨み聞かせにきてる暇そうなおじさん」から「一緒に映画を作る仲間」に認識が完全に格上げされた。
合流早々に神と鬼の称号を与えられていた星野は、計画実現のために更なる辣腕を振るう様子があちこちで見られ、その都度「鬼」と「神」のバランスを調整されながら、どちらの称号も奪われることはなかった。
しかし、撮影シーンを削り、美術を削り、エキストラどころか役者さえも予定を早めて手放し、鈴木にアイスの費用を押し付け、さらに星野が一つ一つ虱潰しに編集の経費削減ポイントを拾い上げて積み上げても、なお膨らんだ赤字が消しきれず、プロジェクト全体の黒字化には至っていなかった。出資打ち切りをちらつかせるスポンサーの上層部に対して、改善しているからもう少し待ってくれと必死に鈴木が説得し、それを星野たち制作チームが支えて何とか凌いでいる。
「ダメです」
制作部屋で星野に向かい合っていた保科が短く答えた。最新の計画に基づいて収支予測をやり直していた結果が出たのだ。
「まだ足りないですか」
星野はふうと小さく息をつく。手元の書類に目を落とし、何か打てる手がないかと考えてみるが、正直もうできることはほとんど残っていない。
「あのう……」
考え込む星野に保科が恐る恐るといった風情で声をかけてきた。
「大型のリース品とかは切れないんですか? そのクラスのものに手をつけないと、赤字消しきれませんよ」
計算すべき事柄の指示を受けてからの計算は早くて正確な保科だが、計算対象を決めるようなこと、つまりは撮影に直接関わるような事柄について進言してきたのは初めてのことだ。星野は少し驚いて保科を見返した。目が合うと、居心地悪そうに視線がパソコンのモニタに移動する。
「単価100万越えのリース品、リスト化できます」
できるというより、たぶんもうリストはできているのだろう保科の発言に星野は小さく微笑んだ。
「ありがとうございます。でも、今残ってるものは、もう削れません」
「そうなんですか?」
「撮影に必要です。必要な道具がなければ監督の描く絵が撮れなくなりますから」
「…でも、今の計画だと少し早めに返却してもよさそうなものがありますよね」
保科はファイルから資料を引き出し、いつ、何の撮影にどんな機材を使うかをまとめた表を示して見せた。基本は星野が作成した香盤表だが、保科が付け足したのであろう返却予定日や金額情報も追加されている。
「ああ、先に確認してくれたんですね。でも、ダメなんです。計画上なくても、実際に撮り始めてから必要になることもあります。その時にもう使えないとなったら監督の思う映像が撮れないので」
「……水島監督のひらめきの奴ですか」
保科の声に苦々しいものが混じる。制作チームがこれまでにしてきた苦労の大部分は水島の撮影クオリティへの拘りが原因だ。星野にも彼女が苦い顔をするの背景は理解はできる。
「急ですけど、でも、監督がそうやって譲れないと思って撮ったシーンっていつもすごく良いんですよ」
「……そうですか」
だから、その直感を実現するために最低限の道具は撮影の最後まで残して置く計画になっている。保科は機材の表を手元に戻してファイルにしまった。そのファイルを片付けながら星野に問いかける。
「星野さん、水島監督とのお付き合いが長いってお話ですけど」
「はい」
「なんでずっと続けてるんですか? あの、制作視点でいえば、水島監督って割と扱いづらいというか、ハズレというか、手間がかかるというか…」
何度も言葉を選び損ねながらでも、保科が言いたいことはよく伝わった。星野は小さく笑う。
「そうですね。ちょっと手間はかかりますよね」
「ちょっとどころか……。あの急発進と急展開で何度計画をご破算にされたか」
眉を寄せて口の端を落とした保科には、相当な恨みがありそうだ。
「あれでも監督としては優れた決断力と実行力なんですよ」
「こちらは迷惑です」
星野が宥めるように挟んだ言葉は、にべもなく切り返された。それでも星野は少し困ったように微笑んでいる。
「否定はできません…でも、出来上がった作品がね。僕は好きなんです」
「作品、ですか」
保科は目的もなくキーボードの上に置かれたままの指先に視線を向けた。
「あの、私、こんな仕事しておいてなんですけど、映画にあんまり興味ないので自分で観ても善し悪しが分からないんです。水島監督の作品はどんなところが、いいんですか?」
純粋に疑問なのだろう。揶揄する響きではなかった。星野は即答した。
「優しいです」
「えっ⁈」
がばっと顔をあげた保科が普段よりよほど大きな声を上げて驚く。
「驚きすぎです」
「いや、監督本人とのギャップが…」
「ははは。優しいですよ。本人も。分かりにくいけど。でも映画だともっと分かりやすくて、どんな人の、どんな努力も見逃さないで描くんです」
それは若い日の星野の心の中にあった理想郷に近い。思い返して星野は自然と眩しいものを見る目つきになった。
「何も起きない一日でも、それがすごいって。一歩も動けない日も、倒れなかったから、偉いって…そういう感じです」
黙って聞いていた保科は、少し考えた後でゆっくりと口を開いた。
「……それはすごく…星野さんみたいですね」
星野は少し目を見開いて保科を見返した。
「僕、ですか?」
保科はこくりと頷く。
「今の。監督よりも星野さんが言いそうです。みんなよくやってますねって。監督はいつも周りを引き摺り回しといて、誰もついてこれないと怒るじゃないですか。必要以上の情熱は感じますが、正直、優しいとは思ったことないです」
歯に衣着せぬ保科に星野は声をたてて笑った。保科の観察も間違ってはいない。水島は自分の信じる方へ迷いなく駆け出す。みんな同じように走れると信じているから、振り返ったときに仲間がついてきていないと、なぜそうなるのか理解できないのだ。赤城は少しは丸くなったと言っていたが、今も十分に暴走していて、後ろに続く仲間たちが必死にしがみついたり、振り落とされて怒ったりしている。何も変わっていない。
「そっかぁ」
星野がクスクス笑っていると、パソコンに視線を戻した保科から「笑い事じゃありません」とだけ苦言が返ってきた。それでも保科はそれ以上、撮影機材の返却は勧めず、彼女なりに別の方策がないかと考えることにしたようだった。それから星野と保科は新たな収支改善の方策について話し合った。
数日後の制作部屋で、とうとう星野が宣言した。
「これ以上削ったら映画になりません」
「でも次の報告までに黒字化しないと……」
もはや制作チームの構成員とカウントされつつある鈴木が問いかけると、星野は答えた。
「水島監督が作りたい世界が描ききれなくなったら公開しても売れません。これ以上削ったら質が下がって収入も下がる」
絶望の表情を浮かべる鈴木に対して、相変わらず自分の区画から出ようとしない保科がさらっと口をはさんだ。
「支出を減らさずに黒字化するには収入を増やすしかありませんよ」
「収入……」
言葉に詰まる鈴木の向かい側で、星野が鮮やかにパスをキャッチした。
「ですよね。だから収入を増やしていく方に軸足を移しましょう。鈴木さん、もうひと頑張りお願いできますか?」
キャッチどころではない。ボレーシュートの勢いで鈴木にボールが飛んだ。星野に微笑みかけられた鈴木の口の端がヒクっと震える。見た目だけなら天使の微笑みなのに散々アイスを搾り取られた後では、もう素直に喜べない。
「もう、私の動かせるお金残ってないよ……」
「宣伝部から出せないのは承知してます」
「え、他の事業部から予算取ってこさせる気?!」
正気かと疑ってみても天使は微笑んでいる。鈴木は首の皮一枚でつながっている自社での自分の地位を思って涙目になった。
「せっかくGWでの公開を予定してますし、アイスの広告が本格化するところに相乗りさせてもらたら……」
「制作費の不足分を、営業部の販促予算からとって来いってこと?」
星野はにこっとした。
「水島監督がずっとCMでお付き合いしてきた営業部の方あたりにお話し繋いでください。映画をCMに乗せて流してもらえたら共同宣伝費としてあちらにつけられるんじゃないかと」
「完全にうちの初夏の販促キャンペーン当てにしてるよね?」
「水島監督、さすがに御社の事情に詳しかったんで。ちょっと教えてもらいました」
星野、渡辺、小林、保科。八つの目がじっと鈴木を見つめている。
「私、もう社内では完全に撮影スタジオにアイス運ぶ人だと思われてるよ……」
「これが通れば、全社の販促プロジェクトになります。映画が売れればアイスも売れるように一緒に頑張りましょう」
鈴木は笑顔を浮かべる星野の顔を涙目でじっくり見つめて、胸の前で拳をぎゅっと握った。
「……分かった。ちょっとでも成功率上げるために、話を社内を持ち帰る前に準備してもらいたいものがある」
そして鈴木はいくつかの注文をつけた。
「まずはポスターイメージ。忙しい営業部長を一瞬で落とすインパクトがあるやつ。掴みが良くなきゃ話聞いてくれないから。星野君……モデルやってくれるよね?」
ここまでの無茶ぶりに耐えてきた鈴木からの逆襲を、星野は苦笑いで承諾した。
「モデルさん手配するより早くて安いですからね。でも、CMはちゃんと映画のシーン使ってもらいますよ。そもそも、僕、演技できないし」
いいよ、ポスターさえあれば、と気安く答えた鈴木は、さらに映画とのタイアップによる販促効果を数字で出す必要があると事細かに数字を指定してきた。渡辺が青くなるのをよそに、保科が高速で数字を叩き出していく。彼女のファイルの中には映画に関するあらゆる数字が入っている。が、それにしたって早い。途中で鈴木が気が付いた。
「……保科さん、星野君とグルでしょう? この計画、先に聞いてたよね?」
「グルも何も、チームですから」
さらりと返された返事に問いかけた鈴木よりも、横で聞いていた小林の方が驚愕している。プロジェクト全体がどんな苦境に合っても自区画を独立王国として君臨していた経理の女王がチームと言い出す日が来るとは。渡辺の目には涙すら浮かんでいた。
「鈴木さんもですよ?」
星野に微笑みかけられて、鈴木はそれ以上の詮索は止めた。ただ、星野のポスター撮影時にはアドバイスをするから必ず自分も呼ぶようにと厳命して新たな仕事に向かっていった。
結果として鈴木は社内稟議の内諾をもぎ取ってきた。星野が鈴木から連携された情報をもとに保科に最新の数字を手渡す。
「これで、行けると思うんですけど」
その日、制作部屋にいた全員が固唾を飲んで見守る中、保科は試算表を高速で更新していく。やがて手が止まり、最後に一つ息をついた後で、パアンといつもよりも気合を入れてエンターを押した。
「……いけました!」
わっと場が湧く。計画の黒字転換。これで映画の公開まで打ち切り無しで完走できることが保証された。
星野が吉報を届けるために撮影中のスタジオを訪ねていくと、ちょうど主演の俳優がアイスを食べるシーンが撮影されていた。セットの外にはストーブが並び、OKテイクが撮れるまでアイスを食べ続ける俳優のために温かい飲み物も準備されている。星野は、つい先日、鈴木発案のポスター撮影のためにアイスを食べさせられたことを思い出してちょっと身震いする。いくら暖房を入れているとはいえ、真冬に夏服を着てアイスを何度も食べるのは思った以上に辛かった。カメラマンの手配をする時間と経費も惜しいということで水島が撮ってくれたのだが、差し入れだとスープジャーに生姜を利かせた豚汁を持ってきてくれたのは本当に有難かった。珍しく自分の区画を出てきた保科が貼るカイロをくれたのも嬉しかった。
撮影の切れ目を待って水島に近づくと、ちょうど集まっていた助監督と主演俳優が先に星野に気が付いた。
「監督、星野さん……」
「ん? ああ、どうした?」
振り返った水島に指でOKサインを示して見せる。そのまま手首を返してお金を示す仕草をすると、それで星野に注目していた全員に意味が伝わったらしい。水島だけでなく、助監督、主演俳優までぱっと期待の表情を浮かべた。
「鈴木さん、やってくれましたよ。本作の完走、確定です」
わっと歓喜の声を上げたのは助監督で、あっという間に現場中に情報が伝わっていく。水島は黙ったままその場にしゃがみこみ、じっと蹲ったと思ったら、さらに倒れこんで床に大の字に転がってしまった。
「よかったあああああ」
星野はその横にしゃがみこむ。
「監督が何年も真面目に仕事して、営業さんたちの信頼を勝ち得てきたからこその決裁だと思いますよ」
寝転がったまま自分を見上げた水島が、目をわずかに潤ませたことは見なかったことにする。
「いいコネ、持っててくれて助かりました」
星野がしゃがんだままぺこりと一礼すると、水島はその場に身を起こして床に額が付きそうなくらい頭を下げた。
「星野、ありがとう」
そのまま動かなくなってしまったので、星野は肩を掴んで顔を上げさせる。水島がやはり涙目になっているのが他のスタッフに見えないように身を寄せて囁いた。
「もちろん、計画通りに進行させるのが絶対条件ですけどね」
ぐふっと喉を詰まらせた水島は、星野を軽くにらんだ。
「分かってる」
「僕、最後までいられないんで渡辺さんの言うこと、ちゃんと聞いて下さいよ」
「ちゃんとやるよ」
「お願いします」
星野がポンと背中を叩いて立ち上がると、水島も一緒に立ち上がった。周りのスタッフたちは皆一様に明るい表情でざわめいている。
「よし、皆! スケジュール厳守! 計画さえ守れば公開確定だぞ!」
水島が大きな声をかけると、あちこちから「監督次第ですよ!」とか「任せてください!」と返事が返ってきた。「お前が一番頑張れよ」と言っていたのはたぶん赤城だ。
星野は現場の士気の高さに満足し、後を水島に託して自分の持ち場へと戻ることにした。準備さえ整っていれば、水島は必ず良い映画を作る。そこには何の不安もなかった。




