3-4.
翌日の朝、久々の潤沢な睡眠をとって身だしなみも整えた渡辺が制作部屋に戻ってくると、技術班があちこちに転がって仮眠をとっており、星野がそれを跨いで避けながらホワイトボードの前で電話をかけていた。
異様な光景に一瞬、足が止まる。その背中から声をかけられた。
「渡辺さん。おはようございます」
「あ、おはよう。ねえ、保科さん。これ、どういうこと?」
部屋の様子を指さすと、保科は「ああ、眠れたんですね」とちょっとほっとした様子を見せた。
「昨日、星野さんが撮影終了後にラッシュ叩くって言って技術班は強制参加だったんですよ。私が帰るときは全然終わり見えてなくて絵にかいたような地獄でしたけど」
「……僕だけ帰っちゃって、良かったのかな……」
渡辺がきれいにひげをそった顎を隠すようにすると、保科は「大丈夫ですよ」と請け負った。
「水島監督も帰りましたし。それに渡辺さんいても役に立たなかったと思うし」
「後半の切れ味……」
渡辺が涙ぐむのを見向きもせずに保科はさっさと自分の指定席へ向かった。ちょうど電話を切った星野がまだ戸口付近で止まってる渡辺を見つけてにっこり笑う。
「おはようございます。眠れました?」
「はい。おかげさまで」
「良かった」
星野は笑顔のまま机から書類をいくつか掴んで歩み寄ってくる。
「じゃあ、みんなが動き出す前にこれ確認お願いします。機材の重複とか移動時間とか、一応見てますけど実現不可能なところがないようにダブルチェックしてください。それで問題なければ助監督と監督に確認とって午前中に印刷して配布します。それからこっちが上から順に対応すべき変更点リストです。チェックが終わったら、印刷と並行でやってください。赤線のところがデッドラインなんでこの時間までに、線より上が終わるように」
「あ、え、あ……はい」
押し付けられた書類を手に既に頭から火花を出しかけている渡辺を置いて、星野はまた席に戻る。
「手が足りなかったらすぐ声かけてください。」
「……はい」
渡辺は狐につままれたような気分で椅子に座り、更新版のスケジュールを見て思わず声を漏らした。単純な日付だけ見ても撮影日程が1週間削られている。まだ渡辺が星野に初めて会ってから24時間経っていない。
「……神?」
その後、休憩から戻った小林に昨日の星野の働きぶりを説明され、渡辺と小林は二人そろって星野を神と認定した。さらにあと、目を覚ました技術班からは「同時に鬼」との評価が寄せられた。それは更新版スケジュールの詳細を確認し、それがまさに「テトリス」のように隙間なく組み上げられていることを知った後では却下しづらい意見となり、スタッフ総意による星野の評価は「神で鬼」となった。
その後、制作部屋に顔を出した水島が更新された香盤表を見るのを渡辺と小林が息をのんで見守った。それを水島につきつけた当人の星野は、涼しい顔で別の作業を進めている。
「星野」
水島に声をかけられて初めて顔を上げ、向き直る。
「はい」
「ここと、ここ。ロケ削らないとダメか」
「ダメです」
そこからは二人は淡々と変更箇所の確認を入れていく。水島は変更理由を確認し、別の手立てがないかと尋ねはするが、頭ごなしに拒否したりはしない。星野も水島の反論を跳ねつけはせず、逐一吟味して一部採用するときもあった。それは完全に共同作業であり、感情的な対立は微塵もなかった。
「小林くん……なんか、すごく平和にスケジュール決まっていくんだけど、僕、まだ夢見てるのかな」
「いや、多分現実だと……」
二人が呆然としている間に撮影スケジュールが合意された。水島の脚本修正を待つとして未定の印がついている部分が多く残るものの、全体日程の圧縮とロケの激減は一目瞭然の変更である。渡辺はそのスケジュールを握り締め、保科のもとへ向かった。財務状況を握っている保科に赤字がどこまで改善するか確認するためだ。
「保科さん……これ……」
保科は差し出された書類を見もしないで答えた。
「はい。朝一番でもらってます。変更点は聞こえていたので把握してます。この変更で赤字は減りますが黒字には程遠いです」
「え……こんなに切っても無理?」
「ダメです」
朝から新しい情報がもたらされる度に目の前が明るくなったり暗くなったり情緒の波が忙しい渡辺に保科が次の材料を放り込んできた。
「ちなみに未定の部分は試算に反映してません。未定ですから」
「えっ……じゃあ、この後半反映したら……?」
一筋の光明に渡辺は縋った。
「まだ赤です」
ばっさりと切り捨てられた。星野は分かっているのかと振り返れば、話は全て聞こえているはずの星野はこちらに関心は示さず、別作業に没頭していた。
「星野さん、まだ打つ手があるのかな……神……」
「渡辺さん、拝むよりもそのスケジュールの周知急いだほうがいいですよ。午後のセット準備の段取り間に合います?」
「え?……あっ」
渡辺は保科に見送られて飛び出していった。
水島がエピソードを削って脚本を修正し終えたのは星野の依頼より一日遅れの三日後になった。二日後の撮影終了後から帰宅せずに書き続けて仕上がったのが翌朝だったので、水島の体感的には二日後の気分だったかもしれない。印刷できたそばから星野が目を通していく。いくつかの数字をメモしながら読み終えて、一言「まだ長いですね」と呟いた。
「これ以上削ったら、瀬尾の存在自体が意味不明になる」
「……分かりました。他で削ります」
星野はもう一度、脚本に戻ると何度かページを行ったり来たりを繰り返した後で手早く赤ペンを入れ始めた。離れてみていた小林や、その日も朝から制作部屋に入り浸っていた鈴木の目にも分かるほどはっきりと斜線が引かれていく。つまり、相当な量のカットだ。隣で様子をみていた水島が黙っているはずもない。
「……映画、死ぬぞ」
「死なせません。死なせないために切ってます」
「フィルムだけ繋がったって、完成したことにはならねえよ」
「今の状態からじゃ理想的なシーンは撮れない。それは分かってますよね? 無理に一つか二つ綺麗なシーン増やしたって、完成するのはシーンだけです。映画としての完成は不可能になる。シーンを諦めれば、映画は完成します」
「本当に映画として完成すんのか? それとも、ただの継ぎはぎの動画を映画として出させる気か」
星野に問いかける水島の声に怒りはなかったが、ごまかしを許さない重みと鋭さがあった。しかし星野は怯んだ様子もなく、まっすぐ水島を見返した。
「できます。監督が最初からこだわって撮ってた貯金があるから」
思いがけない言葉に水島が片眉を跳ね上げる。
「貯金?」
星野は真顔のまま頷いた。
「アイス」
「アイス?」
「意識的に使ってますよね、ずっと。ちゃんとキャラクターと状況にあった商品が選ばれてる。撮り方も徹底してる。人間をじっくり撮れない分はアイスで補えます。アイスとキャラクターが同一化してるから。マキコの素は棒アイスのソーダ味でしょ? ユウリはカップアイスのバニラ。食べ方にいつも心情が出てる」
それからここは、と星野はさらにいくつかの撮影済みのシーンでのアイスを用いた演出について説明した。話についていけなくなった小林が、たまたま部屋に居合わせた撮影クルー達の方へ視線をやると、彼らには伝わったものがあるようで、皆食い入るように星野を見ていた。
「ここは溶けていくソーダのアイスだけで大丈夫です。信じて、待って、傷ついていく、もう戻れない。表現可能です」
水島は同意も反論もせずに脚本のページをめくり、また別の赤い斜線を指さす。
「こっちは?」
問われた星野はぱっと顔を上げて部屋の片隅で目を煌めかせて二人の話を聞いていた鈴木を呼んだ。
「鈴木さん、御社は業務用も取り扱いありますよね?」
「へ? あ、あるよ?」
「バニラ、ありますよね? 十キロくらいの」
「あ、あるけど」
急に呼びかけられて、しどもどと答えた鈴木の返事を聞いて水島の目つきが変わった。
「十キロのバニラアイスか……いいな」
そう口に出したときにはもう誰に目にも明らかに、水島は乗り気になっていた。それ以上星野の説明を求めず、どのシーンにどのアイスをどう配置すべきかと呟いている。もはや、はっきりとした結論を聞くまでもない。星野が引いた斜線は採用され、役者が演技するはずだったシーンがアイス単体のインサートで代替される方向性で修正が入る。撮影の短縮も去ることながら、映像全体の時間の短縮は後続の編集作業すべての短縮を引き連れてくる。コスト面での大きな効果が期待できる。小林がもはや魔法のようだと呆然とする隣で、鈴木は青い顔をして問いかけた。
「ね、ねえ、星野君。アイスって……もしかして……」
星野はにっこりと微笑んで鈴木を見返した。その天使の微笑みで容赦のない要求を突きつける。
「アイスならいくらでもご用意いただけるっておっしゃってましたよね? これから具体的に必要なブランドとフレーバーまとめますから、すぐに発注お願いします。冷凍庫の手配もそちらの方が早そうなんで、現物と合わせてお願いできますか? 保存のための電気代までアイスの費用として持っていただけると大変ありがたいんですが」
「え、えええ。冷凍庫も? 電気代も?」
「溶けたら終わりですから百個単位で必要になります」
「百個、は、十種類あったら千個だよね……」
混乱が口から滑り出ている鈴木に向かって、星野は静かに断言した。
「アイスは間違いなく、この作品の象徴になります」
鈴木は手放しかけていた意識を一瞬で引き戻し、星野と、まだアイスの使い道を検討している水島を見比べて深く項垂れた。長い長い溜息の末に立ち上がるとぐっと顔を上げて星野を見据える。
「……工場に掛け合ってくるよ。配送車と冷凍庫の設置業者も」
「ありがとうございます」
星野は美しい笑顔で答えた。
これで追加される小道具の予算がごっそりスポンサー持ちになった。「えぐ……」と呟く誰かの声にかぶせて星野が鈴木に告げた。
「冷凍庫の設置場所はスタジオ側と交渉中なので、決定次第お伝えします」
冷凍庫の手配まですでに着手済みと聞いた小林は思った。
(スポンサーにも監督にも、最初から断らせる気ゼロじゃん……)




