【保科日記】1
【保科日記】は本編と同じ時間軸で展開する保科視点での独り言です。飛ばしても本編のストーリーはつながります。コメディよりになりますので世界観がぶれると思う方は飛ばしてください。
私、保科律子は映像制作会社に勤務している。もともと小さな貿易会社で経理を担当していたのだけど、思うところあって映像業界へ転職して三年目になる。基本的には映画やドラマの現場に貸し出されて行って、そこで経理を担当する。現場ではデスクと呼ばれる役職のプロを目指して修行中というところだ。今回、小さな作品だからと紹介されて初めて先輩と離れて一人でデスクを担当している。
大きなロケーション撮影もない、スタントも特撮も特殊効果もない。撮影期間も2か月以内。安全な作品。そう聞いていた。
実際、撮影開始前の手配は問題なかったと思う。上司に当たる制作チーフの渡辺さんも私のキャリアが短いのを踏まえて丁寧かつ親切に接してくれた。監督はちょっと顔が怖いけど、スタッフは気の良さそうな若手が多くて気楽だったし、当たり案件だと思った。
問題は撮影が始まった後だ。水島監督が全然OKを出さない。スケジュールが全然消化できない。しかも、ただでさえスケジュールが押しているところに計画変更をねじ込んでくる。1か月半ほどで終わるはずの撮影が全く終わらない。収支予測はあっという間に赤字に転落し、あとは雪だるま式に赤字が膨らんでいくばかりだ。
毎日、帰宅するたびに愛猫マロンに愚痴を聞いてもらっていたら、だんだん気配を察したマロンに逃げられるようになってしまった。監督には家族の絆の危機に対して責任を取ってほしい。
そう思っていた日々に変化があった。
あまりに衝撃的だったので、その日から日記をつけることにした。
1日目:
今日から制作にテコ入れが入ると聞いていた。暴走する水島監督の手綱を握れる可能性がある人を引っ張ってくると。正直、今更だと思った。もう打ち切り以外の未来が見えてない作品だ。いかに赤字を小さく畳むかだけが検討する価値のある問題だ。だから期待していなかった。
なのだけれど。
午前中から夕方に至るまでの記憶があまりない。衝撃が大きすぎた。イケメン過ぎた。いい人過ぎた。何よりも有能過ぎた。近づいてきたときちょっといい匂いした。クラっとした。
危険すぎるので匂いの原因の特定を急ぐべきだ。あれはきっとシダーウッド。それ以上解析できなかったのは制作部屋がカップラーメンやらコーヒーやらの臭いで臭すぎるせい。自前の空気清浄機は自席周辺しか効果がないのが口惜しい。より強力なものとの入れ替えを検討する。
テコ入れにきたイケメンの名前は星野さんと言った。
星野さんと監督との対面は見ごたえがあった。あの水島監督が怒鳴らずに、話を聞いて、シーンカットに同意した。怒鳴らずに、シーンカットに、同意した。何回でも繰り返したい。大事すぎる。しかも、その後に脚本の書き直しにまで同意した。渡辺さんは先に帰らせてもらっておいて正解だったと思う。あれ見たら、これまでの苦労がバカバカしくなって蒸発したかもしれない。
その後の技術班強制参加合宿はお気の毒様だったけど、赤字を垂れ流す原因は早く取り除くに限る。星野さんの判断は間違ってない。徹夜用に用意したいろんなグッズが星野さんのポケットマネーだったことをみんな知らない。彼は領収書をこっちに回そうともしなかった。回されてもたぶん受理しなかったけど。でも最初から回さないという態度が重要。確認の手間が省ける。星野さんの分のエネドリに相当する金額だけはどこかでキャッシュバックできるように記録した。
合宿参加を免除された水島監督が部屋を出る前に星野さんにガンつけてた。さんざん演出に口出されてシーンカットされたから捨て台詞でも言うかと思った。そのくらいしないとこれまでの態度との落差の説明がつかない。と、思っていたのに黙って出て行った。5秒後に星野さんも出て行った。
目の前に領収書を抱えた小林がいなかったら追いかけたのに。
あの時差、気になる。




