3-1.
冬の半ば。星野のメールボックスに映研時代の知り合いから連絡がきた。それ自体はそう珍しいことでもない。いつもならば内容は仲間の誰かが関わった映像作品や舞台のお知らせだったり、結婚祝いへの協力の依頼だったり、気軽な内容がほとんどだ。けれど、星野はメールボックスに未読と表示された差出人と「超緊急」という件名を見た時点で、胸騒ぎがした。
文面は簡潔で、久しぶりに会って話したいことがあるから都合をつけてほしいとのことだった。ただし文尾には「水島には内緒で」と書き添えられていた。
「星野! 久しぶり~。悪かったな、急に呼び出して」
「ご無沙汰してます」
夕方のコーヒーショップで顔を合わせたのは映画研究会時代の水島の同期であり、星野の先輩である赤城だ。星野の知る限り、水島の一番の悪友であり、噂が確かであれば水島が昔の仲間から距離を置いていた間も近しい関係にあった唯一の友人でもある。
「来てくれて助かったあ。水島にはちゃんと内緒にした?」
「はい……でも、なんで、急に僕に?」
疑問だらけの呼び出しだ。とりあえず自分が呼ばれた理由が知りたい。水島には知らせるなというからには、水島にも関係があるのだろうが、会う約束をしてから今まで考えても星野には何の話か皆目見当がつかない。赤城は「ううん」と唸って「どっから始めたもんかね……」と星野を上目遣いに見やった。丸っこい顔の上の丸っこいフレームの眼鏡の奥に、これまた丸っこいつぶらな瞳がのぞいている。
「まず、お前らまた付き合いだしたろ?」
「えっ、まあ、はい」
水島と再会して以降、星野は共通の知人の誰にもそのことを話していないから、赤城が二人の関係を知っているとしたら、情報源は水島ということになる。親しい二人なので、何か話していても別に違和感はない。ただ、ちょっと蚊帳の外に置かれた気分にはなった。赤城に話したなら、そのことを教えてくれても良かったのに。
心の中に不満を閉じ込めている星野の前で、赤城はにやっと笑って大げさに頷いた。
「うん、やっぱそうだよな。あいつ、なかなか白状しねえんだけどさ。でも着信の時にお前の名前が見えちゃったからさあ。光の速さで回収してったけど、俺の目は誤魔化せない」
そっか、そっか。良かった。と一人で頷き続けている赤城を星野はじっとり見つめた。そうだ。なんせ水島の一番の悪友だ。赤城は割と悪い奴だった。
「……赤城さん?」
「ん?」
「今、カマかけました?」
「そんなたいそうなことじゃないって。ほぼ確だった情報の裏をとっただけ。つうか、今日の本題に入るためには、割と大事な話だったんだよ。真面目に」
「真面目に?」
「真面目に」
神妙な表情の赤城をしばらく見つめて、星野は信用できるかどうかさっぱり判断できなくて諦めた。赤城は手ごわい。
「最近、あいつから仕事の話聞いてる?」
「短編、撮ってるってことは聞いてます。忙しそうですよね」
今度は不要な言質を取られないように。水島の生活リズムの乱れを間近に観察している星野からしたら忙しそうどころの話ではないのは分かっていたが、あえてぼかして答えた。
「そうそう。そうなのよ。俺もね、それ、一緒に入ってやってんだけど、それは知ってる?」
「……初耳です」
「うん。しかも、撮影監督で呼ばれてきたのに、道路使用許可申請書を書かされそうになった、俺が」
「赤城さんが?」
「そう。制作まわりなんて何も知らないのに、書類書くだけならできるだろって押しつけて行きやがった。制作進行の若者が青い顔して回収に来なかったらマジで書いてたかもしれん」
押しつけたのは間違いなく水島だろう。赤城の口ぶりから容易に想像がつく。今、水島たちが撮っている映画の話が本格化したのは三か月ほど前で、ちょうど二人が新居に移ろうとしていた頃だった。久しぶりの映画で脚本も任せてもらえると、水島がとても嬉しそうにしていた。当時、星野は自分の仕事が詰まっていたので、誘われたとしても簡単に身動きが取れなかったが、そもそも誘われた覚えはない。裏方の手が足りないのなら、まずは自分に相談してくれたら良かったのに。それがひどい無茶ぶりであろうとも水島に請われた赤城に嫉妬心が湧く。星野はコーヒーカップに印刷されたロゴをつめ先で軽くひっかいて気を紛らわせた。
「で、ここからが本題なんだけど」
星野の様子には気を払わず赤城は丸い顔を思い切りゆがめて渋面を作って続ける。
「そんなわけだから、今すげえやばいの。正直、打ち切りの危機」
「……カメラマンに監督が申請書書かせようとしてる現場なんて聞いたことないです」
「そう。俺に書類が来てる時点でだいぶやべえし、スケジュールもコストも限界ギリギリ。制作が死にかけちゃってて、全然収束に向かってない」
「それは……プロデューサーは?」
「スポンサーからせっつかれて、やっとこの前顔出した。よそが忙しいんだとよ」
「スポンサーがもうお冠だと」
「そう。最後まで撮れるかどうかの瀬戸際よ」
自費で撮っていたら赤字を出そうが、遅延しようが迷惑がかかるのは自分だけだが、スポンサーをつけているということは、資金はスポンサーが握っている。資金を引き上げられたら勝手に続きを撮ることはほぼ不可能だ。そのことは星野の一番痛い記憶に刻み込まれている。
「水島さんは?」
「何とかまとめようとしてるけど、あいつはあいつで、妥協できないところあるじゃん。ていうか」
赤城はピシッと人差し指を星野の胸に向けた。
「星野」
「はい」
「たぶん、お前のせいもある」
「は?」
「水島とやりとりし始めたのいつだ? 去年の春の終わりか夏ごろじゃねえ? あの辺からあいつ急にギア上がっちゃって……久々に映画の企画やるって言い出したと思ったら、PVだかCMだかの合間で一気に今回の話まとめてきたぞ。そのくせPVでもクオリティに拘って何かぎゃあぎゃあ言ってたらしいし。ここ何年かあいつもだいぶ丸くなって、うまく仕事こなせるようになってきたなって思ってたのにさあ。もう駄目だよ、今は。映研の暴走列車の再来よ。納得いく画が取れるまで粘るからスケジュールも予算も押す。なんなら今の状況の原因の半分以上アイツ」
「……」
そんな話は聞いていない。星野の喉がきゅうと痛むほどしまった。意識して呼吸を整える。自分と再会してから、水島はそんなに変わったのだろうか。
「でな? その状態になってる水島の手綱握って、全部立て直すのは今入ってくれてる制作には無理だし、俺にも荷が重い」
「……そうなんですか? 赤城さん、ずっと一緒にやってるって聞きましたけど、あちこちから」
嫉妬が、星野に少し意地悪な言い方をさせた。いつもなら、こんなことは言わないのに。数年ぶりに会う赤城はその微細な差に気づいたかどうか、軽い溜息で星野の控えめな嫌味を流した。
「ずっとじゃねえよ。二、三回、タイミングのあったときに同じ現場にいただけだよ。現場一緒でも畑も違うしな」
昔からずっと監督志望の水島に対して、赤城は基本がカメラマンだ。領分が違う。でも撮影監督と監督の領分は隣り合わせで、距離が近いのも確かだ。お互いに悪口ばかり言い合うくせにずっと縁が切れないのはそれぞれの仕事に対する尊敬があるから。
「とにかく、今回は呼ばれた。単に気心知れてて便利だったのか、俺に手綱引いてほしかったのか知らんけど」
「そう、ですか」
星野は椅子の背に背中を預けて息をついた。そこで頼ったのが、赤城なのか。
「ここから本題」
星野は視線だけ挙げて赤城を見た。
「本題、二回目ですよ」
赤城は全くめげない。
「本当の本題。星野、お前、制作入ってくんね?」
「……え?」
「最悪、アドバイザーとしてきて、今いる制作の奴に指示出してくれるだけでもいい。もう、どう考えても、俺の知る限り、水島の映画を救えるのはお前しかいない。あいつ、お前の言うことだけは異常に素直に聞くだろ、昔っから」
「でも……」
「お前を雇う予算は正直ない。それはすまん。結果が出ればスポンサーのおっさんが予算持ってきてくれるかもしんねえけど、今はない。もう予備費まで使い果たしてる。俺と水島の分からなんとか回してもうらうように頼んであるからそれで勘弁してくれ。でもプロデューサーの内諾はとってる。ていうか、逆にあっちからイケてる制作連れてきてテコ入れしてくれってこっちが頼まれてる。だから金はないけど席はある。水島はお前が来たら絶対文句言わないだろ?」
「文句言わないと思うなら、なんで内緒話にしてるんです?」
最初から誘われなかった。星野が力になれそうな状況になってからも、水島からは何も相談を受けてない。弱音も聞いてない。隠されている。水島への不満が赤城へ問いかける声音に出た。
「先に聞いたら断られるからだよ。分かるだろ。あいつの無駄なプライド。星野にいいとこ見せたいからって断るに決まってんじゃん」
「どう……ですかね」
「いいや、絶対そう。大好きな後輩と何年かぶりに連絡取れてさあ、かっこいい先輩の姿みせてえんだろ。ちょうどいい案件だしな、今回の奴。だから、星野が一番だって分かってんのにお前呼んでないんだよ。完成品だけかっこよく見せたいから。18歳かよ、水島! ああ、腹立ってきた。いつまでも青春引きずりやがって」
「青春……」
「そうだろ。お前、あいつの青春の結晶だぞ。今度その話たっぷり聞かせてやる」
「いや、それは別に……」
「とにかくさ、上からの命令なら水島も聞く。そのくらいの成長はしてる。だから頼む! たぶん、ここのタイミング逃したらもう無理。出血多量で死ぬ」
「そんな、急に言われても……」
「仕事、決まっちゃってる?」
「……来月までは空いてます」
「じゃ、決まり! 空いてる間だけでもいいから! 今、手が空いてるってことは、それはもう運命だから。な? やっぱり星野は水島の映画の救世主だよ……」
星野がはっきり返事をする前に、赤城の中では星野の参画は既定路線になったらしい。準備済みだったらしい契約書が差し出され、さらに目の前で関係者の誰かに電話している。「救世主、つかまりました!」と。知り合いであるとはいえ、スタッフの契約にカメラマンの赤城が足を運んでいる時点で破綻寸前は大げさではないらしい。
水島が知ったら、嫌がるだろうか。怒るだろうか。隠していたのだとしたら暴かれて傷つくかもしれない。星野は契約書に目を通しながら逡巡する。それでも最後には赤城の言葉が背中を押した。
ーーー水島の映画を救うのは、お前しかいない。
ちゃんとしたスポンサーを付けて、水島がメガホンをとって作っている映画だ。完成させたかった。少しでも関われるチャンスがあるのなら、自分も関わっていたかった。
星野は手の中のペンをしっかりと握り直した。
契約書のサインを確認した赤城が、いそいそとそれをしまいながら眼鏡越しの上目遣いで星野を呼んだ。
「明日からとか、いける?」
「へ?」
現在時刻は17時を回っている。
「マジで、マッジで、やばいんだって。長椅子あるから、泊まれるぞ」
星野はため息をついた。業界柄、急な招集には慣れている。一度家に帰って支度を整える時間があるだけマシだと思うべきだ。
「……本当に瀕死なんですね」
「ゴッドハンド、期待してる」
バチーンと景気のいいウィンクをよこした赤城に、星野はにこっとして答えた。
「じゃあ、一個お願いしていいですか?」
「ん? 枕もつける?」
「映画が完成したら、この五年くらいの水島さんの話。聞かせてください」
赤城だけが知っている、星野が見ることのできなかった水島の時間。惚れた相手には見栄を張りたい水島が話してくれないであろうことを聞いてみたかった。
赤城はむふっと鼻から息を吐いて、笑った。
「……任せろ。あいつがホットの缶コーヒー飲んでた話とかしてやる」
「何ですか、それ?」
「え? だからさあ、お前に会えない間、寂しくなるとよくお前の真似してたんだよ、水島。缶コーヒーのホットなんて滅べばいいくらいに言ってたくせに……おっと、これは完成後のお楽しみだったっけ?」
にやにや笑いで星野の表情をうかがう赤城は楽しそうだ。星野は首のあたりが熱くなるのを感じた。水島はコーヒー好きで、お店や家ではホットで飲むが、缶コーヒーのホットだけはよほどの事情がないと口にしない。何かが許せないらしい。
「……なんか、聞くの怖くなってきました」
このまま現場へ戻ると荷物をまとめながら立ち上がった赤城が、あ、と声を上げる。
「そうだ。俺も星野に会えたら聞きたいことあったわ。なあ、お前さ、中華料理食べられたよな?」
「……食べられますけど」
脈絡の無さに首をかしげると、赤城は重ねて聞いてくる。
「辛いのは?」
「ああ、辛いのは苦手です。単純に唐辛子と体の相性が悪いんで」
赤城はしたり顔になった。
「はああ、なるほど。うん、分かった。サンキュー、サンキュー」
「え、なんですか?」
気が済んだらしく、店の出口へ向かう赤城は今は答える気はないらしい。映画完成したら教えてやるよと笑っている。
「ちょっと、え、絶対教えてくださいよ?」
絶対に水島絡みだ。それだけは確信があるが、自分と唐辛子の関係が水島にどう真似されたのか気になって仕方がない。別れ際に念を押す星野に「まずは完成が先よ」と赤城は笑う。
「じゃあ、明日から、よろしく頼むな!」
元気よく手を振りつつ、足元をふらつかせながら赤城が去っていく。あの足のもつれ具合は二徹かな、と星野は胸の中で合掌し、今夜はしっかり寝ておこうと思った。
赤城と別れた帰り道。星野はスマホにメッセージアプリを開いたまま打ち込むべき言葉を探していた。明日、現場で不意打ちするのは避けたい。でも、先に知らせたら赤城の言った通りに「来るな」と言われてしまうかもしれない。契約上は問題がなくても、水島に面と向かって断られたら気持ちが折れる。
『今日も帰り遅くなりますか?』
どう伝えるか、決めきれないまま送ったメッセージにしばらくして「YES」。さらに間をおいて「帰れないかもしれないから寝てて」と返信があった。
メールで済ますような話ではない。もしも水島が今日帰宅できたら、ちゃんと話そう。もし会えなかったら、それは仕方がなかったと思おう。星野はそう決めた。覚悟を決められないから先送り。そうやって逃げていると分かっていても、どうしても「明日から押しかけていきます」という勇気が出なかった。
その日、水島は帰宅しなかった。




