2-1.
たまたま仕事終わりの時間と場所が重なった日。待ち合わせて居酒屋で軽く飲んだ帰り道に水島が妙なことを言い出した。
「水島さんって長くない?」
「何ですか、藪から棒に」
「だって星野は三文字だけど、水島さんだと倍の六文字だぞ。とっさの時とか呼びにくくないか?」
「だから何ですか、とっさの時って。別に呼びにくいと思ったことないですけど」
怪訝そうな星野に、水島は不満げな声を上げた。
「ええー」
「ええーの意味が分かりませんって。水島さんって言われるの嫌なんですか?」
「そういうわけじゃないけど」
歯切れの悪い返事をして、水島は目を逸らす。言いたいことを我慢するのは水島らしくない。言うべきと思ったことははっきり言うのが常だ。それが多少無礼だろうとも、表現が直截過ぎようとも。それが口ごもるのだから、何か言いにくい理由があるのだ。そう思った星野は人通りの多い駅前を過ぎるまで、黙って歩いた。周囲の人影が途切れてから問いかける。
「航って呼ばせたいんですか?」
「っつ。は? 違うよ。中高生じゃあるまいし、そんなとこ」
「そこじゃないんだ」
じゃあ、何だろうとまた考え出した星野の横顔を睨んで水島は「お前よ」とこぼす。
「だって、六文字がダメで三文字ならいいみたいだったから。ワタルならちょうど三文字だと思って」
「だから違うって」
「あ、じゃあ、さんづけの方ですか? でも今さら水島呼びはかなり抵抗あります」
「そう? 別に俺は構わないけど」
「大学入ったときからだから、十年以上「水島さん」できてるから……。「水島さん」を「水島」にするくらいなら、まだ航にする方が気が楽かもしれない」
真面目な表情の星野に水島は興味深げな顔を向ける。
「そうなの?」
「あ、やっぱり航って呼んでほしいんでしょ?」
ピッと顔を指さした星野の右手を押しやって水島は「違うって」と繰り返す。
「本当に?」
「ほんとに」
「怪しいなあ。気になるなあ」
水島を覗き込むようにする星野を見返して水島はちょっといたずらそうに問いかける。
「じゃあさ、お前は? 星野より良樹の方がいいとかあるの?」
「いや、全然」
あっさり返されてしまうと、つまらなそうに「ふん」と顔を逸らした。
「やっぱりこんなおっさんがよ、呼び名一つできゃっきゃはしないよな」
「あー、でもあれだなあ。水島さんの元カレとかが現れてあてつけがましく「航~」とかやられたら、ちょっとムカつきますね」
本当に嫌そうにいう星野に水島はぶはっと吹き出した。
「それやられたら俺もムカつく。誰だよ、俺に「わたるう」とか言ってくるやつ」
「知りませんよ」
「いねえよ、そんなん」
ばっさりと即答した水島に、星野は真面目に返した。
「そこは変な嘘いらないですよ。昔の彼女もたくさん知ってるし」
実際に直接会ったことがある人も少なくない。大学の映研時代から卒業後に細々と映画を撮り続けていた間の十年近く、星野はずっと水島のそばにいたので大抵のことは知っている。水島ももちろん覚えているから、ちょっと苦い顔になった。
「お互いさまのことを言うな。こっちも知ってる。お前、生意気にモテたからな」
「何言ってんですか。そっちこそ綺麗どころを片っ端からいっといて」
それなりに心当たりのあるらしい水島はつと目を逸らした。
「若気の至りよ。でも、誰も今さら鳴かず飛ばずのおっさんに「わたるう」はしてこないだろ」
「さあ、どうだか」
「やきもちは嬉しいけど、勝手に妄想して妬かれてもなあ。それになあ、うまく別れて後を引きずらせてそうなのはどう見てもお前の方だしな。「わたるう」は出現しなくても「よしきい」はあり得るぞ」
今度は星野が噴き出した。
「ないない」
「どうだかなあ」
にやにや笑いの水島にすっかり煙に巻かれて、水島が「水島さん」の文字数にこだわった理由は分からないまま、家にたどり着いた。ほろ酔いの星野がよろめきながら靴を脱いで玄関の壁に肩をぶつけるのを支えてやりながら水島はふっと星野に口づけた。
「え、みずしま」
驚いた星野の言葉が途切れたところで水島はにやっと笑う。
「ほら、とっさのときに六文字って長いだろ?」
「はあ?」
さっさと家に上がる水島を、星野がまごつきながら追っていく。
「いやあ、肝心なときに「みずし」くらいで途切れられると続きが気になるから三文字くらいならいいかなと思ったんだけど。まあ、大したことじゃないから気にすんなよ」
「はああ?」
星野の呆れはてた声に、水島は「あはは」と笑ってから「それと」と付け加えた。
「敬語も、いつでもやめていいよ。無理にやめろとは言わないけど、なんかさ、今の関係にあってないだろ」
「え?」
トイレに逃げてしまった水島を視線で追いながら、絶対に本題はこっちだったと確信した星野は今度は「はああ」と長い溜息をついた。
「こんなにわかりにくいことある?」
独白して、それから自然と口元が緩んでくるのを止められずにふふふっと笑いをこぼした。そう簡単に直せるものではないけれど、たぶん意識しなくても時間とともに変わっていくだろうという気がした。お互いに安心して爺と罵れるくらいの年になったころに「うるせえな、じじい」とか言い合うのかもしれない。




