第61話 帰る場所
古鬼との戦いから数日後。
事務所の窓から入り込む爽やかな風には、少しずつ夏の暑さが含まれてきていた。
午前中はまだ少しマシだが、今みたいに午後になってくるとかなり暑さを感じる。そろそろエアコンが必要かもしれない。
「いやー、利苑を帰した後に気を失った時はさすがに死んだかと思ったよね」
冬夜は三人分のチーズケーキをテーブルに置くと、「生きててよかったぁ」と安堵の溜息をついた。
チーズケーキは今日のおやつ用にと、冬夜が自宅で作ってきたものである。
志季とコハクは早速フォークを持って、チーズケーキを頬張り始めた。
揃って口に入れた次の瞬間には、その表情が幸せそうなものに変わる。どうやらチーズケーキが相当美味しいらしい。
美味しいと思ってもらえたのなら、冬夜も頑張って作った甲斐があるというものだ。
「でも、やっぱり冬夜さまはすごいです! そんなに大きな術を使って無事でいられるなんて、さすがボクのご主人さまです!」
琥珀色の瞳をキラキラと輝かせたコハクは、とても誇らしげである。
古鬼との戦いで大怪我を負ったコハクだったが、冬夜が飲ませた薬のおかげで大事には至らず、その後運ばれた玖堂家での治療で今はすっかり回復していた。
ちなみに治療を担当したのは、冬夜の姉だ。
それから、自分を助けるために冬夜が封印を解いたことを知って、コハクは冬夜の前で大泣きしたのである。
「よくあれで生きてられたよな。破天の疾雷だっけ、相当な力使っただろ」
あれから丸一日起きなかったもんな、と頷きながら、志季がさらにもう一口チーズケーキを口に運んだ。
「うん、起きてみてびっくりしたよ。まさか一日も経ってるなんて思わなくてさ」
「オレがもらった力もすごかったしな」
「ああ、蒼穹の一閃ね。あれはホントに綺麗だったなぁ」
ほう、と感嘆の息を漏らす冬夜に、コハクが残念そうな表情を浮かべる。
「ボクも見てみたかったです」
「きっとまた見られるよ。ね、志季」
「あれはまだオレの力だけじゃ無理だな。しばらくは冬夜から力もらわないと」
志季がそう言って冬夜の方に顔を向けると、冬夜は自慢げに胸を張った。
「俺だっていつまでもヘタレじゃないからね。次も任せといて」
「そんなこと言って調子に乗ってると失敗するぞ」
呆れたように返す志季に、今度はコハクがフォークを持ったままで噛みつく。
「冬夜さまは失敗なんてしません!」
「その根拠はどこよ」
「そんなの決まってるじゃないですか。冬夜さまだからです!」
えっへん、とコハクが冬夜同様に胸を張ると、志季は額に手を当てて顔を左右に振り、大きく嘆息した。
「コハくんに聞いたオレがバカだったわ……。ところで、今回の件は協会に報告しなくていいのか? 利苑のことも話しておいた方がいいんじゃねーの?」
息を限界まで吐き切った志季が、改めて冬夜の方へと視線を向ける。
「幻妖に関わる事件は報告義務があるから一応簡単に報告するけど、利苑のことにはできるだけ触れないつもりだよ」
志季に問われた冬夜は、向かいのソファーに腰を下ろしながら、はっきりとそう言い切った。
幻妖に関わった場合、退魔師協会に報告をしなくてはならないという規則はあるが、その程度までは細かく決められていない。
なので、冬夜は『幻妖にたまたま出くわしたので退魔した』と、今回は簡単な報告だけで済ませようと思っている。
もしさらに追及された場合には、古鬼のことまで話さなくてはいけなくなるだろう。
しかしあの会長のことだ、きっとそこまでは聞かれずに『おお、よくやった!』程度で終わるはずだと予想できる。
いや、そうなって欲しいと冬夜は心から望んでいる。下手に大事にはしたくないのだ。
「そっか。利苑もただ巻き込まれただけの被害者みたいなもんだし、その方がいいのかもしれねーな」
所長である冬夜の判断に、志季も同意して頷いた。
「そういうこと。もし利苑に協会の見張りなんてついたら大変でしょ」
「封印については話さないんですか?」
二人の話を聞いていたコハクがフォークをくわえたままで首を傾げると、次には冬夜の表情がどんよりと曇ってしまう。
「それなんだけど、父さんに止められたんだよねぇ」
狙われて悪用されたら困るんだってさ、そう言って、冬夜は大人げなく頬を膨らませた。
その姿に、志季が苦笑する。
「話せば、ヘタレ扱いされなくなるのかもしれないのにな」
「そう、そこなんだよ!」
途端に冬夜が持っていたフォークを皿の上に置いて、前のめりになった。そのまま、正面にいた志季の鼻先に指を突きつける。
「お、おお……」
志季は思わず両手を上げて後ずさりしようとするが、残念ながらすぐ後ろはソファーの背もたれだった。
「封印のことを話しちゃいけないってことは、俺はこれからもヘタレ扱いされるってことだもんね」
そう話す冬夜の顔からは、明らかに不満そうな様子が窺える。
「そのことは征一郎さんに言ったのか?」
「もちろん言ったよ。でも『そんなことは知らん』って一蹴されて終わった」
「そっか……」
がっくりと肩を落とす冬夜に、志季はさらに苦笑いを浮かべることしかできない。
きっと志季には征一郎の気持ちも、冬夜の気持ちも理解できているはずだ。そんな志季にとって、これは頭の痛い話だろう。
困ったような志季の姿に、冬夜はすぐそう悟った。
そして、これ以上志季を困らせるつもりはないので、さっさと話題を変えることにする。
「ところで志季」
「何だよ?」
チーズケーキを飲み込んだ志季が不思議そうに首を捻り、まっすぐに冬夜を見た。
「またそんなに甘いものばっかり食べて……。太るよ?」
そう言って、冬夜はわざとらしく志季の腹を指差してやる。
「オレはアンタと違って戦闘で動き回るから太らないんだよ」
だが、志季はしれっとそう返しただけで、遠慮することなくまたチーズケーキにフォークを刺した。
志季の隣ではチーズケーキを食べ終えたコハクが、勢いよく牛乳を飲み干している。
「まったくもう」
冬夜は呆れたような口調でそう言いながらも、楽しそうな二人を微笑ましげに眺める。
志季がいて、コハクがいる。いつも通りの平和な日常。
「……帰る場所があるっていいよね」
その幸せを噛み締めながら、冬夜はチーズケーキを口に運び、静かに目を細めたのだった。
【了】




