第六章 事情聴取
第六章 事情聴取
母の遺骨が見つかってから三日後、父と俺は警察署へ呼ばれた。
受付で名前を告げると、先日家へ来た二人の刑事が現れた。
年配の男は岡崎、若い女は野上と名乗った。
岡崎刑事は、今日も少しくたびれた灰色のスーツを着ている。表情も話し方も穏やかで、刑事というより、定年を間近に控えた会社員のように見えた。
一方、野上刑事は黒いスーツを隙なく着こなし、背筋を伸ばしていた。手には薄いノートパソコンを抱えている。
母は俺の横で、二人を見比べた。
「女の人、今日も怖い顔してるわねえ」
「まぁ、な」
野上刑事が俺へ視線を向ける。
「何か?」
「何でもありません」
また聞かれた。
父と俺は、別々の部屋で話を聞かれることになった。
父が別の捜査員に連れられ、廊下の奥へ進んでいく。
母も当然のように父を追った。
だが、俺から十歩ほど離れたところで身体が止まり、見えない力に引かれて戻ってきた。
「ちょっと! お父さんについていきたいのに!」
「無理なんだから諦めろ」
「一人で大丈夫かしら」
「子供じゃない」
「何でも一人で抱え込む人なのよ」
岡崎刑事が振り返った。
「どうしました?」
「いえ。行きましょう」
俺は母を連れ、事情聴取を行う小さな部屋へ入った。
◇
部屋の中央に、長机が置かれていた。
俺の向かいに岡崎刑事が座り、その隣へ野上刑事が腰を下ろす。
野上刑事はノートパソコンを開いた。俺の氏名や生年月日を確認しながら、慣れた手つきで入力していく。
母は二人の後ろを歩き、パソコンの画面をのぞき込んだ。
「私のことも書いてある?」
「見えない」
「字、小さすぎるわよねえ」
「黙ってろ」
キーボードを打つ音が止まった。
野上刑事が顔を上げる。
「緊張していますか」
「別に」
「では、始めましょう」
そう言ったのは岡崎刑事だった。
机の上に手帳を置いているが、開こうとはしない。俺の顔を見ながら、ゆっくり尋ねた。
「ご両親は、よく喧嘩をしていましたか?」
「いいえ」
「まったく?」
「俺の前では、ほとんど」
「声を荒らげるようなこともなかった?」
「覚えている限りでは」
岡崎刑事は小さく頷いた。
「仲はよかったと思いますか?」
「そう思います」
「お父さまが一方的に我慢しているように見えたことは?」
「ありません」
「では、お母さまが我慢しているように見えたことは?」
「それもありません」
岡崎刑事の質問に、野上刑事が答えを入力していく。
何げない会話のようでいて、同じ場所を何度も角度を変えて聞かれている気がした。
「お母さまが、急に家を空けることはありましたか?」
「ありません」
「一人で旅行へ行ったことは?」
「たぶん、ないです」
「何日か友人の家に泊まったことは?」
「知りません」
「夜遅くまで帰らなかったことは?」
「覚えてないです」
岡崎刑事は、俺が知らないと答えても嫌な顔をしなかった。
すぐに次の質問へ移る。
「お母さまの友人を、何人くらい知っていますか?」
「ほとんど知りません」
「家へ遊びに来る人は?」
「何人かいたと思います。でも名前までは」
「男性は?」
「来てないと思います」
「お母さまが、お父さま以外の男性と会っているところを見たことは?」
母が俺の横で目を丸くした。
「ちょっと。私、浮気してたと思われてる?」
「質問されてるだけだ」
小さく答えると、野上刑事がパソコンから顔を上げた。
「お母さまに男性関係があった可能性を、考えたことはありませんか?」
「ありません」
「なぜ?」
「母は父さんが好きだったから」
野上刑事の指が止まる。
「ご本人から、そう聞いたんですか?」
「見てれば分かります」
「家族に見せる顔が、その人のすべてとは限りません」
「母はそんな人じゃない」
「八年前、あなたは十二歳です。ご両親の関係を、すべて理解できる年齢だったとは思えません」
俺が言い返す前に、岡崎刑事が穏やかに割って入った。
「野上。記録を頼む」
野上刑事は何も言わず、再びパソコンへ視線を落とした。
岡崎刑事が質問を続ける。
「お母さまがいなくなった夜、ご両親は言い争っていたそうですね」
「はい」
「何時頃でしたか?」
「覚えてません。夕食のあとです」
「あなたはどこに?」
「二階の自分の部屋にいました」
「何について話していたか、聞こえましたか?」
俺は少し迷った。
以前、家で聞かれた時には、何も覚えていないと答えた。
「断片だけです」
「どんな言葉でしたか?」
「『今さら』と、『佑のためには』」
「どちらが言ったのか分かりますか?」
「分かりません」
「声の調子は?」
「母の声が、いつもより大きかったと思います」
野上刑事が、パソコンから顔を上げた。
「お父さまが、お母さまを責めていた可能性は?」
「知りません」
「では、お母さまがお父さまを責めていた?」
「分からないって言ってるでしょう」
「そのあと、お母さまは買い物に出た。夫婦喧嘩の直後に」
「そう聞いてます」
「お母さまがいなくなったあと、お父さまはどうしていましたか?」
「家にいました」
「確認したんですか?」
野上刑事の声が少し強くなった。
「自分の部屋にいたあなたに、お父さまが外へ出なかったと言い切れるんですか?」
「父は出てません」
「寝ていたのでは?」
「父が母を追いかけて殺したとでも言いたいんですか」
椅子を引き、立ち上がりかけた。
その時、母の声が飛んだ。
「佑、座りなさい」
いつもの軽さが消えていた。
同時に、岡崎刑事の声が重なる。
「野上。その聞き方はやめろ」
俺は立ち上がるのをやめ、椅子へ座り直した。
野上刑事は唇を引き結んだ。だが数秒後、また俺を見る。
「状況を確認しているだけです。お父さまには夜間のアリバイがない。最後に口論をした相手も、お父さまです」
「それだけで犯人扱いするのかよ」
「現状、私たちは何の証拠もつかめていません。だからこそ、最も身近にいた人物を――」
岡崎刑事の表情が変わった。
声を荒らげたわけではない。
けれど、さっきまでの穏やかさが一瞬で消えた。
「野上。お前は黙って記録してろ」
低い声だった。
野上刑事が悔しそうに唇を噛む。
それでも反論はせず、パソコンへ視線を戻した。
部屋の中には、キーボードを打つ音だけが響いた。
母が俺の隣で、小さく息を吐く。
「お父さんを疑われたら腹が立つのは分かるけど、ここで怒鳴ったら余計に怪しまれるでしょ」
「分かってる」
「分かってないから立とうとしたんじゃない」
「うるさい」
「お母さんの言うこと聞きなさい」
「あんたが母親らしいこと言うな」
「佑君」
岡崎刑事に呼ばれ、顔を上げる。
「もう一度だけ聞きます。夫婦喧嘩について、本当にそれ以上は覚えていませんか?」
「覚えてません」
「お父さまを守るために、話していないことは?」
「ありません」
岡崎刑事は、しばらく俺の目を見ていた。
疑っているのか、信じているのか、まったく読み取れない。
やがて静かに頷いた。
「分かりました。今日はここまでにしましょう」
◇
部屋を出ると、父は廊下の長椅子に座っていた。
背中を丸め、両手を組んで床を見つめている。
母がすぐに駆け寄ろうとした。
「佑、早く!」
「引っ張られるの分かってるだろ」
俺が父へ近づくと、母もようやくその隣まで行くことができた。
父を挟むようにして、長椅子へ座る。
母は慎重に腰を下ろしたつもりらしいが、やはり尻が座面へ少し沈んでいた。
「大丈夫か」
俺が尋ねると、父は顔を上げた。
「ああ。同じことを、いろいろな聞き方で聞かれただけだ」
父も、岡崎刑事に同じように質問されたのだろう。
母は父の顔をのぞき込んでいる。
「何かひどいこと言われなかった?」
もちろん、父には聞こえない。
少し離れた場所で、岡崎刑事と野上刑事が話していた。
最初は声が聞こえなかった。
だが突然、野上刑事の声が廊下に響く。
「私が女だからですか!? 事情聴取もさせてもらえないのは!」
父が驚いて顔を上げる。
俺も二人を見た。
岡崎刑事は何も言わず、ゆっくり首を横に振った。
それから何かを答えたが、声が低くて内容までは聞こえない。
野上刑事は納得していない顔をしている。
岡崎刑事はそれ以上説明することなく、手にしていた書類へ視線を落とした。
「何なの、あの子」
母が呆れたように言う。
「自分で考えろって顔されてるじゃない」
「聞こえたのか?」
「聞こえないわよ。でも、顔見れば分かるでしょ」
野上刑事は俺たちの視線に気づくと、気まずそうに顔を背けた。
父を犯人だと疑っている若い刑事。
何を考えているのか分からない、くたびれた年配刑事。
その時の俺には、二人とも信用できなかった。
ただ一つ分かったのは、母を殺した犯人が見つかっていないということだけだった。




