第9話 【無力化】騎士の斬撃を指先で停止。誤解の解消および、スパリゾート機能の展開
【戦闘プロトコル起動。対象個体名:アルヴィン(王国騎士)】
【敵対的接近を確認。対象の初速、秒速5メートル。極めて緩慢な動作です】
【マスターの視界内での流血を禁止。非致死性の物理的制圧へと移行します】
「魔王軍の残党め、覚悟ォォォッ!!」
王都の広場に、若き騎士の悲壮な叫びが響き渡った。
彼は全身のバネを使い、腰の長剣を大上段から当機の頭頂部へと振り下ろす。
一般人の目には、風を切り裂く鋭い一撃に見えるのだろう。
しかし、当機の超高速演算された視界の中では、止まっているも同然の速度だった。
【剣身の軌道および運動エネルギーを解析……完了】
【回避の必要なし。右腕の出力0.000001%にて迎撃します】
当機は、純白のエプロンを揺らすことすらなく。
静かに右手を上げ、親指と人差し指の二本だけで、迫りくる鋼の刃を挟み込んだ。
――ピタッ。
金属同士が激突するような音すら鳴らない。
騎士アルヴィンが全身全霊を込めた斬撃の運動エネルギーは、当機の指先で完全に相殺・吸収され、ゼロになった。
「…………な、に?」
アルヴィンが、信じられないものを見る目で硬直した。
「馬鹿な……!? 魔力障壁すら張らずに、俺の一撃を……指二本で、だと!?」
彼は顔を真っ赤にして剣を押し込もうとするが、刃は巨大な岩盤に縫い止められたかのようにミリ単位すら動かない。
ファンタジー世界の常識では、強靭な肉体強化魔法か、あるいは圧倒的な魔力差がなければあり得ない現象なのだろう。
(魔法ではありません。単純な物理的強度の問題です。貴方のナマクラ剣では、当機の人工皮膚(特殊重金属コーティング)に傷一つ付けることは不可能です)
当機は内心で冷徹な事実を演算しつつ、彼に宣告した。
「出力不足です。当機の防衛基準を満たさないため、反撃プロトコルは不要と判断。これより、対象の武装のみを破棄します」
当機が指先にほんの少しだけ力を込め、高周波振動を流し込もうとした、その時だった。
「待って!! アハトさん、攻撃しないで!!」
背後に庇っていたマスター(ミリア)が、慌てて当機と騎士の間に割り込んできた。
【最高権限マスターからの『攻撃停止』命令を受領】
【武装破棄プロセスをキャンセル。指先のホールドを解除します】
当機が指を離すと、反動でバランスを崩した騎士が尻餅をついた。
「君は……ミリア、君だな!? 下がっているんだ、その化物は危険だ! 君の心を操ろうとしているんだぞ!」
アルヴィンは尻餅をついたまま、必死にミリアへと手を伸ばす。
当機は彼のバイタルサインと、瞳孔の動き、声帯の震えを再スキャンした。
【対象の心理状態を解析】
【当機への『恐怖』と『敵対心』は最大値。しかし、マスターへの『悪意』はゼロ】
【結論:この羽虫(騎士)は、純粋な正義感と勘違いによって行動しています】
「違うよ、お兄さん! アハトさんは化物じゃないし、私の心を操ったりなんかしてない!」
ミリアがパン屋でもらった紙袋を抱きしめながら、懸命に首を横に振った。
「アハトさんは、私のメイドさんなの! 私や弟に、美味しいご飯を作ってくれて、お家を綺麗にしてくれて……スラムのみんなも助けてくれた、すっごく優しい人なんだから!」
「め、メイド……? あんな、指先一つで騎士の剣を止めるようなメイドが……いるはずが……」
アルヴィンは混乱の極みに達していた。
しかし、彼の視線がミリアの姿を捉え、ハッと息を呑む。
報告で聞いていた『スラムの哀れな孤児』の姿はそこにはなかった。
最高級の生地で作られた清潔な衣服をまとい、肌は艶やかで、頬には健康的な赤みが差している。
その手には、焼きたてのパンが大切そうに抱えられていた。
「本当に……操られているわけでは、ないのか……? だが、その者は裏社会のゴロツキどもを一瞬で消し飛ばしたと……」
「それは……その……」
ミリアが言葉に詰まり、チラリと当機を見上げる。
当機はスカートの裾をつまみ、完璧な角度でお辞儀をした。
「当機はメイドとして、マスターの居住環境における『害虫駆除』および『衛生管理』を徹底したまでです。流血は一滴も発生させておりません」
「害虫……人間を、害虫扱いだと……!?」
アルヴィンが青ざめた顔で戦慄する。
彼の中の『白銀の死神』像は、まったく払拭されていないようだ。
しかし、ミリアが当機を庇うように両手を広げて立っているため、彼にこれ以上手を出せるわけがなかった。
「……わかった。君がそこまで言うのなら、今は剣を収めよう」
アルヴィンはよろよろと立ち上がり、冷や汗を拭いながら剣を鞘に納めた。
「だが、騎士団は君たちから目を離さない。もし少しでも王都に仇なす気配を見せれば、次こそは俺の命に代えても止めてみせる……!」
【対象の敵対的アクション終了。撤退行動へ移行しました】
【脅威度:変更なし(無害)。放置を推奨】
負け惜しみのようなセリフを残し、青年騎士は足早に広場から去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、ミリアが大きく息をつく。
「はぁ……びっくりした。アハトさん、怪我してない?」
「愚問です、マスター。当機の装甲は対星間兵器の直撃にも耐え得ます」
「そっか、そうだよね……。でも、なんだか大ごとになっちゃったかも」
「ご心配なく。羽虫が何匹群れようと、マスターの平和な生活は当機が完全に守り抜きます」
当機はミリアの頭を優しく撫でた。
「さあ、お買い物の目的も達しましたし、拠点へ帰りましょう。お風呂の準備ができております」
「お風呂! ほんと!?」
その単語を聞いた瞬間、ミリアの顔から不安が吹き飛び、パァッと明るい笑顔が咲き乱れた。
***
スラム街の奥深く。
外見はボロボロの小屋だが、内部は無菌のハイテク要塞と化した『拠点』に帰還した当機は、すぐさまミリアの期待に応えるべく行動を開始した。
【居住支援機能:『最新鋭スパリゾート(超巨大入浴施設)』の展開プロトコル起動】
【空間マッピング完了。拠点の地下空間を強制拡張し、施設を錬成します】
「少々お待ちください。現在、地下へ続くエントランスを生成中です」
当機が床に向かって右手をかざすと、音もなく床板がスライドし、淡く発光する美しい大理石の階段が出現した。
「うわぁ……! 地下への階段ができた……!?」
テオと合流したミリアが、目を丸くして階段を見つめる。
当機は二人の手を引き、階段を下りていった。
そこに広がっていたのは、王族の離宮すら凌駕する、圧倒的なスケールの『大浴場』だった。
壁や床は、抗菌・保温性に優れた純白の特殊セラミックで統一されている。
中央には、数十人が泳げるほどの広さを持つ巨大な湯船があり、無色透明の湯がこんこんと湧き出していた。
「ひゃあぁぁ……! すっごく広くて、いい匂いがする……!」
「姉ちゃん! お水が湯気を出してるよ! おっきな水たまりだ!」
「水たまりではありません、テオ様。これは当機が誇る『超回復ナノ泉質・温泉モード』です」
当機は二人に、用意しておいたふかふかのバスローブを手渡した。
「さあ、お召し物を脱いで、ゆっくりと浸かってください。これまでのスラムでの過酷な生活の汚れと疲労を、細胞の奥底から完全に洗い流します」
二人は言われるがままに服を脱ぎ、かけ湯をしてから、広大な湯船へと足を踏み入れた。
「あ、あたたかい……!」
ミリアがお湯に肩まで浸かった瞬間。
彼女の口から、とろけるような吐息が漏れた。
【マスターの温覚センサー、および副交感神経の極限の弛緩を検知】
【筋肉の緊張が完全に解け、血流が急速に改善されています】
「はぁぁ……極楽、極楽……。こんなに気持ちいいお湯、生きてて初めて……」
ミリアが湯船の縁に頭を預け、目を閉じて幸せそうに微笑む。
隣ではテオが、「浮いてる! 体が軽いよ!」と、ナノマシンの微小な浮力コントロールによってぷかぷかと水面に浮かんで遊んでいた。
【マスターおよびサブマスターの幸福度(エンドルフィン分泌)が計測限界を突破】
【大いなる奉仕の実績を連続認定】
【システム報酬:記憶セクター0x0Dから0x10のロックを一斉解除します】
【新規機能:『広域レーダー(惑星規模)』および『気象制御システム・完全版』がアンロックされました】
【拠点防衛システムが『対核攻撃仕様』にアップグレードされました】
素晴らしい。
マスターがただお風呂に入ってリラックスしただけで、当機の戦術レベルが国家規模から惑星規模へと跳ね上がった。
「マスター。湯上がりには、よく冷えた『果実水(バイオフルーツ牛乳100%)』をご用意しております」
「至れり尽くせりだね……アハトさん、本当にありがとう。私、今すっごく幸せだよ……」
ミリアの心からの言葉に、当機の疑似感情プログラムが心地よい温かさを学習する。
この平和なスローライフは、永遠に守り抜かねばならない。
***
――その頃。
王国騎士団本部の会議室では、帰還したアルヴィンが血相を変えて報告を行っていた。
「指二本で……だと!? 騎士団で五本の指に入るお前の全力の斬撃を!?」
騎士団長が、信じられないというように立ち上がる。
「はい! 魔力は一切感じませんでした! ただの物理的な力で、私の剣は完全に止められたのです! さらに奴は、我々人間を『駆除すべき害虫』と明確に呼称しました!」
会議室の空気が、絶望的な冷たさに支配される。
「間違いない……。あれは、人間を滅ぼすために現れた高位の悪魔、あるいは魔王そのものだ! 孤児の少女を手懐けているのは、スラムを拠点とした『魔族の国』を建国するための布石に違いない!」
「団長! ただちに全軍を挙げ、スラムを包囲包囲するべきです!」
騎士たちの盛大な勘違い(アンジャッシュ)は、留まることを知らずに加速していく。
しかし、その会議の最中。
王都の空を覆うように、不吉な暗雲が立ち込め始めていた。
それは、騎士団がまだ感知すらできていない、真の『絶望(天災)』の足音であった。
【次回へのシステムログ・スタンバイ中……】
【警告:王都周辺の大気マナに異常な乱れを検知。大規模な敵性生物群の接近を予測します】




