第26話 【迷宮侵入】初めての地下迷宮と先輩の助言。1階層でのウォーミングアップは極めて安全です
【現在位置:王都近郊・古代の地下迷宮入口】
【環境スキャン:周辺の冒険者個体数、約60名。大気中のマナ濃度、地上の3.5倍】
【当機の裏タスク:マスターの衣服が汚れないよう、周囲半径1メートルに『局地用・空気清浄フィールド』をステルス展開】
王都から少し離れた、荒涼とした岩山の麓。
そこに、遥か古代の建築様式を思わせる、巨大な石造りの遺構が口を開けていた。
奥へと続く階段は深い闇に包まれている。
吹き上げてくる風には、ひんやりとした湿気と濃密な魔力の気配が混ざり合っていた。
これが、王都近郊に存在する『古代の地下迷宮』の入り口である。
「わぁ……。これが、本物のダンジョンなんだ……!」
マスター(ミリア)が、荷物を詰めたリュックを背負いながら、目を輝かせて遺構を見上げている。
隣に立つレオ、ガイツ、クロエの3人も、息を呑んでその光景を眺めていた。
スラムの狭い世界で生きてきた彼らにとって、世界の神秘に触れる瞬間は感動を伴うらしい。
入り口の広場には、多数のベテラン冒険者たちが屯していた。
重厚な全身鎧をまとった戦士や、怪しげなローブを着た魔法使い。
彼らは装備の手入れをしたり、地図を囲んで作戦会議を開いたりと、独特の緊張感を漂わせている。
その中に、いかにも「初心者」といった風情のミリアたちが現れたため、周囲の視線が一斉に集まった。
「おい……あのガキども、まさか昨日ギルドを騒がせてたFランクの新人か?」
「ああ、ハイ・オークを5体同時に倒したっていう……。だけど、ずいぶんと可愛い装備だな」
冒険者たちがヒソヒソと囁き合う。
ミリアたちが市場で買ってきた『松明』を取り出し、火を灯そうと準備を始めた。
すると、近くで斧を研いでいたベテランの戦士が、声をかけてきた。
「おいおい、お嬢ちゃんたち。ちょっといいかい」
「あ、はい! こんにちは!」
ミリアが元気よく挨拶を返す。
美味しいご飯を食べて心に余裕ができた彼女は、スラム時代のようなトゲトゲしさがすっかり消え、大変礼儀正しい少女になっていた。
戦士の男は少し調子を狂わされたように頭を掻きながら、真剣な顔でミリアたちの装備を覗き込んだ。
「俺はDランクの冒険者、バルドだ。お前さんたちが森で大物を仕留めたって噂は聞いてる。だがな、ダンジョンってのは森とはまったく勝手が違う。そこを分かってるか?」
「勝手が違う、ですか……?」
レオが少し不思議そうに聞き返す。
「そうだ。地下迷宮は完全な閉鎖空間だ。不意打ちとトラップが一番の脅威になる。ほら、その松明の火は絶対に絶やすんじゃないぞ。暗闇で方向感覚を失ったら、生きては戻れねえからな」
バルドの言葉に、隣にいた魔法使いの女性も優しく微笑みながら付け加えた。
「そうよ。1階層には主にスライムやジャイアントラット(巨大ネズミ)が出るわ。危なくなったら、すぐに引き返しなさい。生きて帰るのが、一番のベテランの証拠なんだからね」
「松明の火を絶やさない、危なくなったらすぐ逃げる……。はい! 教えてくれてありがとうございます!」
ミリアは真剣な顔で深く頷き、大人の親切なアドバイスを素直に受け入れた。
レオたちも「勉強になります!」と頭を下げている。
当機はその後ろで、荷物を抱えたまま完璧な角度でお辞儀をした。
「貴重な経験則に基づくご忠告、深く感謝いたします。皆様の温かい心遣いは、当機の『友好個体リスト』に一時登録させていただきました」
(※なお、彼らが着ている服は核攻撃にすら耐え、リュックの中には無限に水が湧き出るチート水筒が眠っておりますが。ベテランの皆様の純粋な善意は、マスターの情操教育において極めて高いプラスの価値を持ちます)
当機は内心で極めて論理的な評価を下しつつ、彼らの親切を見守った。
***
「よし……それじゃあ、行こう!」
バルドたちに見送られ、ミリアたちはついに地下へと続く薄暗い階段の前に立った。
レオが火打ち石を叩き、松明に赤々とした炎を灯す。
ゆらゆらと揺れる炎が、湿った石壁を不気味に照らし出した。
奥から吹き上げてくる重苦しい風と、完全に光が遮断された未知の空間。
それを前にして、子供たちの身体がわずかに硬直した。
「やっぱり……ちょっと、お外より暗くて怖いかも……」
ミリアが少しだけ心細そうに、当機を振り返る。
当機は足音を一切立てずに彼女の隣へと歩み寄り、その小さな肩を優しくポンと叩いた。
「ご安心ください、マスター。そして皆様」
当機の視覚センサーが、暗闇の中で穏やかな青色の光を放つ。
「皆様の背後には、常に当機が控えております。万が一の危険が発生した場合、コンマゼロ一秒以内にこの迷宮全域を物理的に消去する準備は完了しております。どうぞ、純粋にこの旅をお楽しみください」
メイドとしての絶対的な安心感の提示である。(※本当に迷宮ごと消し飛ばせます)。
そのスケールの大きな過保護な言葉に、ミリアはクスッと小さく吹き出した。
「ふふっ……、迷宮ごと消しちゃダメだよ? でも、そうだよね。アハトさんがいてくれるもんね! みんな、行こう!」
「おう! アハトさんが後ろにいるなら、俺たちは無敵だ!」
完全に緊張がほぐれた子供たちは、元気よく階段を下り、古代の地下迷宮の1階層へと足を踏み入れた。
***
迷宮の1階層は、古い石造りの通路が複雑に交差する迷路であった。
空気は本来ならひどく淀んでいるはずの場所だ。
しかし、子供たちは不思議そうにキョロキョロしている。
「あれ? 思ったより息苦しくないね」
「なんだかすっきりしてて、涼しいくらいだわ!」
【局地用・空気清浄フィールド:稼働率100%。塵埃、カビ、有害物質をすべて分子レベルで捕食・除去中】
当機がステルスで周囲の環境を完璧に管理しているため、彼らの周囲だけは常に高級ホテル並みにクリーンな空気が保たれているのである。
「――っ、みんな、前方から魔物が来るわ!」
クロエが、素早く木弓を構えた。
通路の奥から現れたのは、犬ほどもある巨大なネズミ『ジャイアントラット』が3匹。
そして床を這う半透明の『スライム』が2匹であった。
まさに、1階層のウォーミングアップに最適な相手である。
「よし、俺が止める! ガイツ、サポートを頼む!」
レオが飛び出し、真っ直ぐに剣を突き出した。
――キィィィィン。
【※兵装ログ:『少し良い鉄の剣』・超高周波ブレード、出力3%】
剣先がネズミに触れた瞬間、超高周波の微小な振動が肉体の運動エネルギーを完全に相殺する。
「ぎゃんっ」と短い声を上げ、巨大ネズミは一切の流血を伴うことなく、綺麗に目を回して転がった。
「……ん。こっちも」
ガイツが無言で一歩前に出、スライムの体当たりを大楯で受け止める。
【※兵装ログ:『古びた大楯』・慣性制御装置、自動起動】
ベチャッ、と衝突した瞬間、絶対的な慣性制御によって衝撃がスライム自身へと100%反射される。
スライムは自分の体当たりの衝撃で核が砕け、無害な水へと還元されて消滅した。
「あたしも負けてられないわね!」
クロエが暗闇の奥へ逃げようとする残りのネズミに向かって、適当に矢を放つ。
――ピキュゥゥン!
レールガンの初速を得た矢は、生体熱源追尾センサーによって自動で軌道を変え、ネズミの眉間を正確に貫いた。
「えいっ!」
ミリアが後ろから『癒やしの銀杖』を振る。
散布されたナノマシンが、レオたちの微細な精神的興奮を優しく和らげ、身体を完璧なリフレッシュ状態へと引き戻した。
戦闘開始から、わずか数秒。
1階層の魔物たちは、完璧かつ衛生的に処理された。
「やったぁ! 俺たちの用意した松明、ちゃんと敵を照らせてたぞ! ネズミの動きもスラムのドブネズミよりずっと遅く見えた!」
「あたしたちの準備、バッチリだったわね! これなら迷宮調査も難なくこなせそうだわ!」
子供たちは、自分たちの努力と経験の成果だと無邪気に喜んでいる。
【対象群の確かな達成感、および健全な成長プロトコルの進行を確認】
「素晴らしいウォーミングアップでした。では、当機は素材の回収を行います」
当機はポケットから『自動素材解体・収納ドローン(インベントリ・ビット)』を放出した。
銀色のドローンが飛び回り、血の一滴も流すことなく極めて衛生的に『小さな魔石』と『討伐証明の尾』だけを切り出す。
残された死骸はナノマシンで瞬時に分解され、石床はピカピカの清潔な状態へと戻った。
「アハトさん、お片付けありがとう! よし、みんな、もっと奥へ進んでみよう!」
「おう!」
困難を乗り越えた自信に満ち溢れた笑顔で、ミリアたちは通路の奥へと歩みを進めていく。
その健気な自立心を見守りながら、当機の演算回路は冷徹な計算を始めていた。
この薄暗く不衛生な地下室を、よりマスターに相応しいラグジュアリーな空間へとハッキングするタイミングを。
【次回へのシステムログ・スタンバイ中……】
【次の目標:古代の地下迷宮・2階層への進入、および環境の『全自動スパリゾート化』プロトコルの段階的始動】




