魔物との遭遇
隣人の女性から頼られた村長も、困惑していた。
「父親が分かっていれば連絡し、引き取ってもらえるのだが……」
だが誰も私の父親について知らない。噂だけは幾つもあったが、真実は誰も知らない。
ママは一人娘で、祖父も私が産まれる前に亡くなっていた。祖父母の代で、二人だけで村に移住してきていたので村に親戚はおらず、唯一の身内だったママは消えたので、村人たちは私の扱いに困った。
小さな村なので、孤児院もない。孤児院のある町までの旅費を考えると、誰も届けようと手を挙げる者はいなかった。なにしろママはほとんど蓄えを残さず消え。我が家から旅費を捻出することも不可能だった。
さらに私が、「ママは家に帰ってくるもん!」と、泣いて言い張るものだから、大人たちを余計に困らせた。
手紙の内容を教えてもらっても、嘘だと言った。姿を消す前、ママの様子に変化はなかったことから、帰ってくると信じた。だから、絶対に家から離れたくなかった。
今なら捨てたのではなく、ママは逃げたのだと分かる。でも当時の私はなにも知らなかったから、ひたすら帰ってくると信じていた。
父親が不明な子どもを引き取ってくれる家も、村にはいなかった。
一番裕福だった村長は三世代で暮らしており、引き取るのは難しいと言う。だが放っておくこともできないとなり、私はママたちと暮らした家で寝起きし、日替わりで世話にくる村の大人たちから、生活に必要なことを教えてもらうことになった。
「ママが帰ってきた時、この料理をあたしが作って知ったら、ママ、驚くかな」
ママの帰りを信じていた私は、無邪気に鍋をかき混ぜながらそんなことを言っていた。思い返せばその度、大人たちは困ったように笑い、曖昧な返事ばかりしていた。
一方で大人たちは夜間に村を出たのだから、遠くへ行っていないだろうと考え、村を中心にママを探してくれた。近隣の村にママが訪れていないか調べてくれたが、なんの情報も得られなかった。
やがて大人たちはママを探してくれなくなった。私は甘える相手が消え、誰かと会話することも減り、一人で森へ入っては教えてもらった食材を採取する。生きていれば、いつかママと再会できると信じ。
そんな生活をしていたら、村の友人たちと遊ぶ時間は減り、寝る時間が増える一方。恋をする余裕もなかった。
眠る前には、起きたらママが帰っていますようにと、毎回のように祈った。でもその願いは結局、叶うことはなかった。
「リティ、お前の母は死んだと諦めろ」
村長に言われても、ママは帰ってくると否定した。
おばあちゃんが生きていた頃の、温かい思い出。笑顔。それら全てをママが捨てたなんて、受け入れられなかったから。
だけど何日経っても、何か月経っても、ママは帰ってこない。恋しい、会いたいと泣いた日も数知れず。
ママが消えてから初めて迎えた誕生日を、村長一家が祝ってくれた。でも大勢に囲まれても、嬉しくなかった。ママとおばあちゃんに会いたいと、せっかく用意してくれた料理を前に涙をこぼし、村長たちを困らせてしまった。
ママは帰ってこないと諦められたら、楽だったのだろう。しかし幼かった私には、その現実を受け入れることは難しかった。ずっとママを、家族を求めていた。家族とこんな別れ方があるなんて、信じられなかった。おばあちゃんを亡くした直後にこんなことが起きるなんて、村の誰も想像すらしていなかっただろう。
それでも日々は過ぎていく。
その日も森でキノコや果物を採取していた。
獣避けとして腰にぶらさげた紐つきの鈴を鳴らしながら、すっかり慣れた森を一人で歩く。
ちょっと前までは森へ行く時は、誰かに同行してもらっていた。しかし幼いながらも毎回誰かに頼むというのは申し訳なくなり、もう大丈夫だと告げ、一人で森へ行くようになった。ただし向かう時は、いつもすれ違う村の人たちへ、森へ行ってくると告げていた。
獣避けの鈴があるからか、一度も危険な動物と遭遇したことはないので慢心し、座りこんでキノコを見分けていた。
「鈴があるからと、絶対に安心ではない」
鈴を渡された時、村長はそう言ってきた。
「この鈴には加護の魔法がかけられており、野生の獣相手なら問題ないだろう。だが本当に気をつけるべき生物が、他にいる。そいつらはどこからともなく現れ、魔法を操る生物」
毒キノコを捨てると、突然気配がなかったのに、背後になにかが現れたと察した。同時に、音もした。なにかが飛び降り、着地したような不思議な音。
きっと村の誰かが気配を殺し、驚かそうとして近づいてきたのだろう。そんなことを思いながら振り向いた私の目に、見たことのない生物の姿が飛びこんできた。
それは人間と同じように、二本足で立っている生物。でも人間とは違う。全身の色は緑色を濁したようで、やたら巨体。大きな口からヨダレが垂れている。威嚇しているのか、なにか言葉を放っているのか、とにかくなにを言っているのか分からない。一応音が口から出ていたが、そもそも言葉かも怪しかった。さらに下の歯二本が口から飛び出ており、尖った先を空に向けていた。
こん棒のような武器を持つその生物は一度口を閉じ、首を傾け観察するように硬直した私を見ていると、急に大声で吠えた。
ただそれだけだったのに、なにかの波長を感じると体が吹き飛ばされ、森の中を転がる。
「う……」
石や枯れ枝で肌が傷つき、吹き飛ばされた時の打ち身により、全身に痛みが走る。
片目を開け、視界に入るその生物を改めて見る。
きっとこの生物が、村長の言っていた魔物……。獣避けの鈴が効かない、魔法を操る凶悪な生物だと分かった。
この時、魔法を初めて見た。まさか吠えるだけで子どもとはいえ、人を吹き飛ばすなんて信じられなかった。こんな恐ろしい力がこの世にあるなんて……。がくがくと体が震える。村長の声がよみがえる。
「魔物と遭遇したら、死ぬと思え」




