プロローグ
茶会へ向かうフィーラ様の斜め後ろを歩いていると、少し先にある廊下の曲がり角から現れた別の一団に気がつく。
護衛に守られ向かってくるのは、王太子のラーロン様。フィーラ様の弟だ。
「あら、ラーロン。……ああ、そうだったわね、今日なのね」
正装とまではいかないが、普段よりも格式ある服を着られているラーロン様へ、フィーラ様から話しかける。
フィーラ様は権力に興味がなく、弟より王位継承権が低くても気にされていない。二人の仲も良好だ。それなのに困ったことにフィーラ様を利用し、権力争いを興して、己の発言力を高めようと近寄って来る者が後を絶たない。
「ええ、姉上は?」
「茶会よ。そろそろ皆様が到着されるから、迎えに行かなくては。……ねえ、ラーロン、無理をしなくても良いのよ? 断っても問題のない家だということを、忘れないで」
短い会話を終え、姉弟はすれ違うように歩き出す。
会話を聞いていた私は、今日がラーロン様のお見合いの日だったのだと知る。フィーラ様はああ言っていたけれど、二人が一目惚れをすれば? 馬が合い盛り上がり、とんとん拍子に話が進めば、ラーロン様はその人と結婚する。
そこまで考え、作った拳を強く握る。
護衛中になにを考えているの、リティ。今はフィーラ様を守る任務中でしょう? これが私の選んだ道じゃない。この思いが叶うことがないことも、分かっているでしょう?
だって私は、正体を知られたら殺される。正体を知られなければ、身分差で結ばれない。
どのみち、思いが成就することはないと分かっているでしょう? 今さらなにを苦しんでいるの。
でもあの時、シンリン様と出会わなければ。フィーラ様を助けなければ。身分不相応な恋心は生まれなかったのに……。
私の一番古い記憶は、ここから遠く離れた村で、ママとおばあちゃんと三人で暮らしていた時のもの。父親は私が産まれる前に亡くなったとママから言われて育った。
私の人生の転機は幾つかある。その一つがおばあちゃんが亡くなり、ママが失踪し、シンリン様と出会った頃のこと。
◇◇◇◇◇
「ママ」、「おばあちゃん」と呼び、私は二人に甘えていた。もちろん甘やかすだけではなく、叱る時は本気で二人は叱った。叱る二人を怖いと思ったことはあるが、二人のことが大好きだった。父親がいないけれど、他の家と同じく家族で普通に暮らしていると思っていた。
でも一部の村の人からママは、相手に捨てられた、遊ばれたのだと噂されていた。幼い頃は意味が理解できなかったが、今なら分かる。ママは見下され、憐れまれていたのだと。
王都へ働きに出ていた人間が、未婚で赤子を抱えて戻ってきたのだ。それだけで娯楽の少ない小さな村ではおもちゃを見つけたと好奇の目を向けられ、下世話な妄想であれこれ邪推された。ママがなにも語らなかったから余計、様々な噂が生まれた。それをママもおばあちゃんも、全て無視していた。ただ私の父は亡くなったとしか、言わなかった。
私の最初の機転。生活が一変したのは、おばあちゃんが亡くなってから。
おばあちゃんの葬儀が終わり、一週間も経たなかった朝のこと。
「ママ?」
起きると、いつも台所に立っているママの姿がなかった。ぬいぐるみを抱えたままテーブルに着席すると、ママは近所へ出かけているのだろうと考え、足をぶらつかせながら帰りを待った。だがいつまで経っても、ママは帰ってこない。
食事をするテーブルの上には紙が一枚置かれていたが、興味を向けず、ただママを待っていた。
時々ぬいぐるみに話しかけるが退屈で、時計の針だけが規則的に進む。お腹が空いたと思う中、針の音がどんどん大きく聞こえ、不安になってくる。静かな家が怖くなり、お気に入りのぬいぐるみを強く抱きしめても耐えられず、ついには椅子を飛び降りるとぬいぐるみを抱えたまま隣家へ向かい、ママを知らないかと尋ねた。
「どういうこと?」
「ママがいないの」
隣家のおばさんは、家のどこかでママが倒れているかもしれないと心配し、家に来てくれた。そこでテーブルの上に置かれた紙を見つけると目を通すなり、「大変」と言い、飛び出した。
「おばちゃん、どこに行くの?」
返事をしてくれない隣人を、ぬいぐるみを放って走って追いかけた。行き先は村長の家で、すでに二人は紙に視線を落としながら、何事か話していた。
後から教えてもらったが、それはママの置手紙だった。娘をよろしく頼む、もう村には帰らないという内容。
私はママに捨てられたのだ。




