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過酷バイトはもう嫌や! 働きたくない凡人女子高生、億り人おじさんと始める『一億円逆算投資戦略』  作者: しばたろう
女子高生編

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07 おじちゃん、会社辞めるの?一億円のポートフォリオと社会資本という名の愛情

 ある晩、お風呂から上がると、リビングでおじちゃんがテーブルに数枚の書類を広げて、眉間にシワを寄せながら読みふけっていた。


「おじちゃん、お風呂お先ー」


 髪をタオルで拭きながら声をかけ、ふとテーブルの上の書類がちらっと目に入った。その瞬間、わたしは少しぎょっとして動きを止めた。

 『早期退職』という、不穏な漢字の並びが垣間見えたのだ。


「おじちゃん、その書類……何?」


 恐る恐る尋ねると、おじちゃんは顔を上げて、困ったような、でもどこか達観したような苦笑いを浮かべた。

「これな。うちの会社で希望退職の募集が始まるねん。俺らくらいの年齢をターゲットにした、体裁の良いリストラやな。退職金を特別に上乗せするから、自主的に辞めてくれへんか、っていう会社の都合や」


「え……おじちゃん、早期退職するん?」


 神崎家でおじちゃんにお世話になっている身としては、急に不安が押し寄せてくる。だけどおじちゃんは、あっさりと首を振った。

「いいや、せえへんよ」


 その言葉を聞いて、わたしはなぜか心の底からホッとして、吸い寄せられるようにおじちゃんの向かいの席に座った。おじちゃんは確か五十を過ぎたところ。世間一般で言えばまだまだ働き盛りだ。それに、何より──。


「そりゃそうやろね。舞香ちゃんの大学の学費とかも、まだ払わなあかんもんね」


 現実的な理由を口にしたわたしに、おじちゃんは書類をトントンと机に叩いて揃えながら、意外なことを言った。

「まあ、それは会社を辞めたとしても、何とでもなるんやけどな」


「えっ、そうなん!?」


 思わず身を乗り出した。会社を辞めても数千万の学費が何とかなるって、どういうこと?

 興味津々で目を輝かせるわたしの顔を見て、おじちゃんは「ふむ」と一息つき、いたずらっぽくニヤリと笑った。


「資本家を目指す遥には、特別に内緒で教えたるけどな。もし今、この上乗せされた退職金をもらって会社を辞めたとしたら、俺の総資産はこれだけになるんや」


 そう言って、おじちゃんは目の前で人差し指を一本、スッと立てた。


「……一千万円?」


 量産型女子高生であるわたしの感覚からすれば、一千万でも大金だ。しかし、おじちゃんは「違う」と首を横に振った。


「一億や」


「おくっ!」


 想像を遥かに超えた単語が飛び出してきて、脳内の計算機能が完全に停止する。


「おじちゃん凄い! 大金持ちやん! 一生遊んで暮らせるやん!」


 わたしは勢いよく椅子から立ち上がり、興奮のあまりリビングの真ん中で叫んでしまった。


「もう、会社なんか辞めたらええやん!」


 しかし、テンションマックスで詰め寄るわたしをよそに、おじちゃんは静かに首を横に振った。


「いいや。まだ、会社は辞めへんよ」


 それはあまりにも意外な回答だった。

 だって、この前わたしに向かって、さんざん「『働かない』という選択肢を持つのもアリや」とか「お前は資本家になったらええんや」とか熱弁を振るっていたのだ。それなのに、自分自身はこれからも会社員として働き続けるという。

 うーん、どうにも腑に落ちない。


 そんなわたしの不満げな表情を、おじちゃんは簡単に見透かした。

「『なんでやねん』って顔してんな。ええよ、ちょっと説明したろか」


 わたしは促されるままに、もう一度椅子に座り直した。フゥと息を吐いて、いったん落ち着く。


「まずな、今の仕事は決して嫌いではないし、俺に向いてると思っているんや」


「おじちゃんは、なんかのようわからんエンジニアやったもんね。技術屋としての誇りとかやりがいがあるんやね?」


「そうやな。それと、会社の上司も同僚もお客さんも、みんなええ人ばっかりで居心地もいい」


「おじちゃんの会社、大企業やもんね。真っ白ホワイトな環境なんやね」


「そういうことや。つまり、今すぐ辞めるだけの決定的な理由がないんや。それに……」


「それに?」


 おじちゃんは少し声を落として、苦笑した。

「仕事を辞めてから次に何やるか、その計画が決まるまでに、まだ時間がかかりそうやねん。」

「俺が昼間っからパジャマ姿でソファに寝転がって、ビール片手に新喜劇見て大笑いしている姿なんて、見たないやろ?」


「絶対に嫌や!」


「そして、そんな怠慢な生活がたたり、体重は増加の一途をたどり、頭は禿げ散らかし……」


「うわ、最悪や。」


 ひとしきり笑った後、おじちゃんはふっと真面目な顔つきになった。

「ええか、遥。世の中には『金のなる木』、つまり、自分に富を運んでくれる資本が『3つ』あるんや」


「3つ?」


「そう。社会資本、人的資本、金融資本の3つや。人生を豊かにするためには、この3つをバランスよく持っていることが何よりも重要なんや。」

「まず『社会資本』は、家族や友人といった人との繋がりから得られる資本や。人間、生まれたらまずここから生きる力を得る」


「なるほど。わたしの場合は、お父さんやお母さんやね。あと、今ならおじちゃんや舞香ちゃんも」


「そうなるな。で、次の『人的資本』は、大人になって自分自身が働いて稼ぎ出す資本のことや」


「会社から毎月もらえるお給料のことやね」


「そうや。相変わらず飲み込みが早くて助かるわ。」

「で、最後に『金融資本』。これは株や不動産から得る資本のことで、これが十分に大きくなった状態の人を『資本家』と呼ぶわけや」


「まさに、わたしの目指すところやね!」


「そう。でもな、この3つの資本は、なにも金銭的な豊かさをもたらしてくれるだけやない。心の豊かさ、つまり『生きがい』ももたらしてくれるんや。だから……」


 おじちゃんの言葉の先を、わたしは頭の中で組み立ててみた。

「……わかった。」

「おじちゃんが早期退職するっていうことは、人と繋がる社会資本や生きがいの人的資本を捨てて、金融資本だけの頭でっかちになってまう、ってことなんやね」


「そういうことや。よく理解できたな」


 おじちゃんの言いたいことは分かった。富があるからといって、ただ引退すれば幸せになれるわけじゃないんだ。でも、わたしにはもう一つ、素朴な疑問が湧いてきた。


「でもな、おじちゃん。このまま働き続けて投資も続けてたら、貯めたお金、一生で使い切れへんの違う?」


「ははは、そうかもしれへんな。でも、もし余ったら、あとは全部舞香のために使ってあげたいと思ってるんや」


「佳織が亡くなってしもうた時な」

 おじちゃんは、かつて先立たれた奥さんの名前を静かに口にした。


「舞香は、医者になるいう夢を見つけて、そこに、寂しさや悲しみや憤りを全部ぶつけることができたと思うんや。俺は、それを後押ししてあげられて、ほんまに良かったと思っている」


 普段は飄々としているおじちゃんの声が、その時だけは少し震えているように聞こえた。自分の悲しみよりも、遺された娘の人生を何より最優先に守ってきた、父親としての強い覚悟が滲んでいる。


「それに、これからも、あいつが結婚して、子供ができて、家を買って……ってなったら、なんぼでもお金かかるやろうからな。もしかしたら急に『開業する』なんて言い出すかもしれへんし。いつでもあいつの力になってやれるように、そのための後ろ盾にだけはなってやりたいんや」

 その優しい横顔を見て、わたしは胸の奥が温かくなるのを感じた。


「そっか……。舞香ちゃんにとっては、おじちゃんが、すんごい『社会資本』そのものなんやね」


 なんてええ親子なんやろう。

 一億という大金よりも、そのお金の向こう側にあるおじちゃんの深い愛情に、わたしはちょっぴり感動してしまっていた。

 

 

 夜、帰ってきた舞香ちゃんの部屋に、わたしは興奮冷めやらぬまま突撃した。


「舞香ちゃん! ちょっと聞いて!」


 先ほどおじちゃんと話した内容を、身振り手振りを交えながら一気に伝えた。おじちゃんが実は一億円近い資産を持っていること。それなのに会社を辞めない理由。そして、そのお金を全部、将来の舞香ちゃんのために使いたいと言っていたこと──。


 おじちゃんの深い愛情に感動した話を、熱を込めて語り終えた。しかし、話を聞いた舞香ちゃんは、驚くどころか「ふふっ」と不敵に笑い、「それは、ちょうどええわ」と想定外の返事をしたのだ。


「え、ちょうどええって……どういうこと?」


 拍子抜けしたわたしが尋ねると、舞香ちゃんはニッと悪戯っぽく微笑んだ。


「わたし、お医者になるやん? けど、結婚もするし子供も作るつもりやねん。でもな、仕事は絶対に続けるつもりやねん」


「それ、めちゃくちゃ忙しいやん!? 寝る時間なくなるで?」


「せやろ。だからな、お父ちゃんに子育て手伝ってもらおう思てるねん」


「へえ……!」


「どうせお父ちゃん、老後は暇やろうしな。せやから、将来は二世帯住宅を建てて、一緒に住もうと思てるねん」


「へえ!」


 舞香ちゃんの言葉は止まらない。さらに未来のビジョンを語っていく。


「それでな、もしかしたら、わたしも将来は自分のクリニックを開業するかもしれへん」


「ほう……」


「そしたら、お父ちゃんに開業の準備とか、実際の運営とか、いろいろ手伝ってもらおうと思てるねん。お父ちゃん、そういうの得意そうやろ?」


「はあ」


「まだ、そんな話はおとうちゃんには一言もしてへんけどね。せやから、お父ちゃんは引退しても、そう簡単に楽はでけへんと思うわ」


 舞香ちゃんは、楽しそうに、そしてものすごい勢いでそんな将来設計を語った。


 でも、わたしには分かった。

 そのどこまでも強気な発言の裏にある、舞香ちゃんの不器用なまでの優しさが、ちゃんと透けて見えていた。


 それは、自分が巣立った後も「絶対に一人にはしない」「一生、近くにいて一緒に生きていく」という、舞香ちゃんなりの最大限の優しさと、固い決意の表れだった。


(おじちゃん……)

 わたしは心の中でそっと呟いた。

 

 おじちゃんにとっても、舞香ちゃんは、とんでもなくすんごい『社会資本』のようやで。

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