50 相続税のからくりと、持たざる者への残酷な現実
「知ってると思うけど、俺の資産は、石橋阪大前のマンションの売却益を含め、一億を軽く超えた。この場合、ひとつ、気にせなアカンことがでてきた。」
「うーん。なに?泥棒対策?」
「違う。相続税や」
ソファーに深く腰掛け、コーヒーカップを置いたおじちゃんが、現役時代の鋭い目つきに戻って切り出した。
「相続税?」
「そう。俺が死んだら、全財産は一人娘である舞香が受け継ぐことになる。単純に計算すると、うちの場合、基礎控除額が三千六百万になるから、それを差し引いた金額に三十%の税金がかかってな。細かい計算は割愛するけど、結果、二千万くらい税金でもっていかれるねん」
「高っ! 国、えげつないなあ」
私の口から、おもわず悲鳴が漏れる。せっかくおじちゃんが必死に築き上げた資産の、実に五分の一近くが右から左へ毟り取られるというのだ。
「まあ、富の再分配という考えからして仕方がない制度やとは思うけどな。ただ、それに甘んじるつもりもない」
「さすが、おじちゃんや」
「そこでや。まず、住宅資金として、舞香に一千万を贈与し、頭金として使わせた。これ、特例により非課税になるんや」
「へえー」
「さらに、この家と土地を、俺と舞香と駿くんの共同名義とし、うち、六千万を俺の持ち分にした。俺のものに俺が金を出すわけやから、この六千万を動かしたことに対しては、贈与税も相続税もかからへん」
「なんか、すごいからくりやなあ」
私は腕を組み、脳内のノートにそのスキームを書き留めていく。おじちゃんは不敵にニヤリと笑い、さらに奥の手を明かした。
「ちなみに、この六千万。現金から不動産に変えたことにより、国のルールで、その資産価値は時価の約四割から七割程度に評価が下がる。さらに、『小規模宅地等の特例』というのがあって、俺が死んだ後も舞香がこの家に住み続けるのであれば、土地の相続税評価額が一気に八十%引きになる」
「つまり……七千万円分の資産に対する相続税を払う必要がなくなるってこと?」
「そういうことや。まあ、それでも、まだ数千万は手元に残るわけやけど、大樹の教育資金として非課税枠で贈与したりしてたら、俺が死ぬ頃には俺の総資産は基礎控除の三千六百万以下になって、死後の相続税は実質ゼロになる計算や」
「お父ちゃん、そこまで細かく考えてくれてたんやねー」
舞香ちゃんが、隣の駿くんと顔を見合わせながら感心したように言う。
全くその通りだ。おじちゃんの頭脳は、一ミリの隙もなく神崎家の資産を防衛していた。
しかし、私にとっては目から鱗が落ちるような話だった。今の私は、とにかく資産を『作る』ことで精一杯だが、いざ資産を持った先には、今度は『守る(税金対策)』というフェーズが待っているのだ。
だが、そこで一つの疑問が頭をよぎる。
「なあ。おじちゃん。今の話聞いて思ったんやけど、不動産を持ってたら、税金的にめっちゃ有利ってことやんな?」
「ええところに気づいたな。その通りや。だから、金持ちはこぞって不動産を買うねん。この国の仕組みはな、金持ちが得するようにできてんねん」
――そういうことか!
昨今、世間では『格差社会』とやかましく言われている。
そしてその格差は、偶然生まれるのではない。制度そのものが、格差を代々受け継がせるように設計されているのだ。
持たざる側であっても、この仕組みを早くから知り、血の滲むような努力をすれば、持つ側に回ることができるのかもしれない。
だがそもそも、持たざる側はそんな都合のいいシステムが存在することすら知らないし、義務教育の場では誰も教えてはくれないのだ。
神崎家だって、たまたまこの『チートおじさん』がいたからこそ、持たざる側から持つ側に回ることができた。
知る者はさらに富み、知らない者はただ搾取され続ける。
よって、格差は代々、残酷なまでに固定化されるのだ。
「えげつないなー……」
現代社会の構造の冷徹さに、私は思わず声を大にして叫んでしまっていた。
◇
しばらく放心していた私は、気を取り直して、もう一つ気になったことを問うた。
「おじちゃん、折角やから、一億全額、出してあげたら良かったんやない?」
「これ、遥。そんな厚かましいこと言うたらいけません」
舞香ちゃんが笑いながら私を窘める。
「まあ、それもありやったな。結局は程度問題なんやけどな」
おじちゃんはそう前置きをして、コーヒーカップを揺らした。
「まず、俺が七千万出したのは、あくまで相続税対策であること。そのうえで、残り三千五百万は駿くんにローンを組んでもらったわけやけど、これはこれでメリットがあるねん」
不動産購入時にローンを組むというのは、私たち一般のサラリーマン家庭にとっても、より身近で現実的な事例だ。
「おじちゃん、くわしく」
私は身を乗り出し、先をせがむ。
「まず第一に、医者という最強の社会的信用があれば、国の中で一番安い金利でお金を借りられる。それなら、俺の手元の現金を今ここで使い切るより、銀行の安い金を引っ張ってこさせて、手元の現金は運用に回すか、将来のために残した方が圧倒的に効率が良い」
「なるほど。住宅ローンは、良い借金やって、昔、おじちゃん、教えてくれたもんね」
おじちゃんの意図を瞬時に察し、私は深く頷いた。金利より高い利回りで運用できるなら、あえてキャッシュを残してレバレッジをかける方が、神崎家全体の純資産は増える。
「さらに、住宅ローンを組すると、十三年間、毎年『年末のローン残高の〇・七%』が所得税や住民税からそのまま控除されるんや」
「それ、地味にでかいな……」
地味どころではない。医師という重税を課されているパワーカップルにとって、所得税をダイレクトに奪い返せるこのカードは、最強のPL改善ツールだ。
「あとは、ゆうても、将来、まだ金がかかることがあるかもしれへん。そのときのための余力は残しとかなあかん」
将来二人が病院を辞めて独立開業する場合のタネ銭、あるいは、大樹が医学部を目指した場合の学費――そこまでの出口戦略を見据えているのだろう。
「さすが、おじちゃん。シミュレーションが行き届いているなあ」
私は感心してため息をつく。
「いやあ……」
その隣で、律くんもなぜか、深く大きな息を吐いた。
「どうしたん? 律くん?」
「いやあ……」
律くんはもう一度、しみじみと繰り返した。
「久しぶりに遥と叔父さんのディスカッションを間近に見て、圧倒されたというか……」
国家資格を持つ医師夫婦の資産総額に圧倒されていたはずの律くんが、今や別のベクトルで、私とおじちゃんの『師弟関係』に気圧されている。
「また、惚れ直した?」
私がにやにやしながら突っ込むと、律くんは「うっ」と分かりやすく呻いた。
その律くんの教科書通りのリアクションを見て、おじちゃんも、舞香ちゃんも駿くんも、堪えきれずに大きな笑い声をあげる。
すやすやと眠る子どもたちの隣で、神崎家のリビングは、温かく賑やかな笑いの渦に包まれるのだった。




