45 理想の御堂筋線沿線で直面する「検索結果:0件」
「そうやで。まだ序の口やで。遅くとも十年以内に借り上げ社宅を出なあかんやろ? その後はどうする?」
おじちゃんに尋ねられ、私はもぐもぐと鉄火巻きを口に運びながら考えた。
「うーん。別の賃貸を借りるか、それこそ、家買うか……やね?」
「そのとおりや。で、賃貸を借りるとした場合、ここにも落とし穴があるんや」
「またもや落とし穴!」
「最初の社宅は、2LDKもあれば夫婦と小さい子供ひとりが暮らすには十分や。でも、次の賃貸を借りるころには、子供も大きくなったり増えたりして、ある程度の広さは必要となるやろ?」
「うん。最低3LDKは欲しいなあ。自分の部屋も欲しいって言い出すやろうし」
「でもな、賃貸マンションて、3LDK以上の物件は2LDK以下と比べて圧倒的に数が少ないんや。とくに『駅近』や『築浅』といった好条件のマンションになればなるほど、3LDKの賃貸を見つけるのは砂漠でダイヤを探すくらい難しくなる。運よく見つけても、家賃がバカ高かったりするしな」
「ええ、そうなん?」
「そう。で結局、条件が悪くて家賃の高い賃貸を渋々借りるか、あるいは、そこで観念して家を買うかになる」
「うん。そうしたら、もう、家、買うわ」
「そう考えるわな。ただ、戸建てにしろマンションにしろ、新築にしろ中古にしろ、地域によって値段差は激しい。予算内に収まる物件を探して、かなり広範囲で探すことになる」
「うーん。なんか、考えただけでも疲れてくるわ。せっかく慣れた土地から離れるのも嫌やし……」
「で、その場合、遠くの新居に引っ越すことになるんやけど、タイミングが悪ければ子供を転校させることになる。それはかわいそうやから、子供が小学校に入る前になんとか家を探すか、あるいは……」
おじちゃんの言葉の先を予測した瞬間、私の脳内にピカッと稲妻が走った。
「そうか! 最初から、将来マイホームを買う候補地を狙い定めて、そこで社宅を借りるってことやね!」
「その通りや。さすが、遥。ようわかったな」
おじちゃんが嬉しそうに目を細める。
「まとめると、子育て世代の共働き夫婦は、保育園に入りやすく、かつ将来に家を買う候補の土地に、最初から社宅を借りるべきということやね。おじちゃん、ようわかったわ」
私は点と点が線で繋がった快感に震えながら、感心してため息をついた。
「さすが、おじちゃん。シミュレーションが行き届いているなあ。ライフステージのロードマップが完璧やわ」
「いやあ……」
その隣で、律くんもなぜか、深く大きな息を吐いた。
「どうしたん? 律くん?」
「いやあ……」
律くんはもう一度、しみじみと繰り返した。
「学生時代から、遥の経済知識には圧倒されっぱなしだったけど、そのルーツに、おじさんとこんなディスカッションがあったんだなあって、今更ながらに思い知ったというか……」
律くんは、どうやら、私とおじちゃんの長年培われた『師弟関係』の濃さに、すっかり気圧されてしまったようだ。
「惚れ直した?」
私がにやにやしながら顔を覗き込んで突っ込むと、律くんは「うっ」と分かりやすく呻いた。
その律くんの教科書通りのリアクションを見て、おじちゃんも堪えきれずに大きな笑い声をあげた。石橋の夜は、最高に知的な熱を帯びながら更けていく。
◇
次の日、早速、律くんと社宅の候補先調査を開始した。
「律くん。逆算で調べていこう。まず、適切な価格で家を買えるか。そして、保育園に入りやすいか。」
「OK。それらを満たした土地が社宅を借りる候補地になるわけだね」
「そういうこと!まず、手始めに、江坂でマンション買ったらなんぼするか調べてみようよ」
「そうだね。じゃあ、WEBで調べてみよう」
そう言って律くんは、テーブルの上にパソコンを開き、不動産サイトの「SUMOMO」を立ち上げた。
「条件、どうしようか?」
「そうやねえ。3LDK。駅から徒歩5分。新築分譲マンションでどう?」
「OK。その条件で検索してみよう!」
律くんは手際よく条件を入力し、パチンっと勢いよくエンターキーを叩く。
しかし。
画面に表示された検索結果は、0件。
「……」
「……」
「ゼロ件て」
しょっぱなから見事な肩透かしを食らい、思わず声が漏れる。
「厳しいとは予測してたけど、まさかゼロ件とはね。よっぽど、土地がないんだろうね」
「しゃあない。律くん、中古で探してみて。条件は同じで。あ、あと、築浅がええから、築10年以内にして!」
「OK」
律くんは気を取り直して、条件を中古に変え、再びエンターキーを叩いた。
しかし。
検索結果は、またしても、0件。
「……」
「……」
嘘でしょう。画面を凝視するけれど、無情な数字は変わらない。条件を少しずつ緩め、築年数を「20年以内」にしてようやく1件が画面に引っかかった。
しかし、そこに躍り出た価格は、7,400万円。
「高!」
「ちょっと待って。そもそも、俺たちいくらまで出せるんだろう?」
「そうね。まず、そこから調べてみよか!」
急に現実へと引き戻された私たちは、そこから必死になって色々なサイトのシミュレーションツールを叩いた。夫の年収の5倍をベースに、妻である私の収入を安全圏で合算し、5年間社宅暮らしした場合に貯めることのできる頭金を足し合わせる。
弾き出された水野家の絶対安全なアッパーラインは、5,150万円。
感覚的にも、それ以上は生活のゆとりを破壊する危険水域だと分かった。
「結論。江坂でお家は買えません」
「じゃあ、気を取り直して、別の場所を考えてみようか」
「それなら、千里中央あたりで探してみよ!」
私たちの職場へのアクセスを考えると、この地下鉄御堂筋線沿線というのは魅力的な条件だ。そして千里中央は、江坂から御堂筋線で8分ほど北上したところにある、大阪有数の大人気ベッドタウンなのだ。
「よし。じゃあ、条件を千里中央に変えて検索してみるね」
結果。
駅近、築浅の中古マンションとなると、どれも7,000万円を下回ることはなかった。
新築マンションに至っては、もはや、検索する気にもなれない。
「……」
「……」
「ちょっと待って。さすがに千里中央は人気すぎた。一つ手前の桃山台で調べて」
すでに私の声は、悲鳴に近かった。
「……わかった」
律くんは神妙な声で答えると、おもむろに条件を桃山台に変更し、検索ボタンを押す。
千里中央と同じ条件で、画面に出てきた一番安い物件の価格は、6,980万円。
「僅差やん……」
「家って、高いんだねえ……」
なんだか、わたしは段々と腹が立ってきた。都会のバブルに私たちのささやかな夢が足蹴にされているような、理不尽な感覚。
これでは、社宅を出るとなったら自動的に「ここではないどこか」に引っ越すことを余儀なくされてしまう。最初から根を下ろすつもりで社宅を選ぶというおじちゃんの戦略とは、完全に矛盾してしまうのだ。
江坂に代表される御堂筋沿線は、一般の子育てサラリーマン家庭が無理なく、背伸びせずに暮らせる場所ではないという冷徹な現実が、画面の向こうから突きつけられているようだった。




