40 奨学金の戦略的返済方法と彼女たちの未来
「え、そうなん?」
宇佐美くんが興味深そうに身を乗り出す。
「これは、ほとんど遥からの受け売りなんだけど……」
水野くんはそう前置きをした上で、滑らかな口調で語り始めた。
「借金には、いわゆる『良い借金』と『悪い借金』がある。その定義で言うと奨学金は『良い借金』に分類されるんだけど、そういう性質の借金は、むしろ、なるべく長期間かけてゆっくり借り続ける方が得だ、という考え方なんだ」
「ええっ、そうなん!? 私たちの感覚とは完全に真逆やわ」
思わず私の方が声を上げてしまった。
「そう。繰り上げ返済に充てるはずだった資金を、そのまま投資の運用に回すんだよ。今なら年利5~10%くらいをターゲットにして利益を出せる銘柄があるから、借金の利息と、投資利益の『差分』の分だけ、ダイレクトに個人の資産が増えていく。特に俺たちが借りていた第一種奨学金は、国から課される金利がゼロ、つまり完全無利子だからね。投資で得た運用利益が、丸々自分の資産として積み上がっていく計算になるんだ」
水野くんのすぐ隣で、吉川が「水野くん、よくできました」と言わんばかりに、満足そうにコクコクと頷いている。
「だから僕は今、奨学金を急いで繰り上げ返済する代わりに、その浮いた資金を会社の確定拠出年金の『マッチング拠出』に上乗せして拠出しているんだよ」
──確定拠出年金のマッチング拠出。
その単語は、よく覚えている。以前、会社の食堂で吉川からこんこんと説教気味にレクチャーされた、まさにあの制度のことだ。
「なるほどなぁ……! そういう合理的な考え方があるんやな。完全に目から鱗や」
宇佐美くんが心底感心したように息を漏らす。私もまた、内心で激しく脱帽していた。
「奨学金に限った話じゃなくてね。この先、人生のステージが進んでいく中で直面するであろう住宅ローンとか、子供の教育ローンとか、そういうコントロール可能な『良い借金』を上手く活用して、手元のお金を効率よく増やしていくことが、これからの時代は重要なんだって」
「なるほどなぁ。借金を『敵』として忌むんじゃなくて、上手く資産形成の道具として使う、か……。完全に新しい概念やわ。いや、本当に勉強になった。さすが水野くん、視野が広いな!」
宇佐美くんが惜しみない称賛を送ると、水野くんはどこか照れくさそうに頭を掻きながら、隣の恋人に視線を向けた。
「いや、さっきも言った通り、これ全部遥に教えてもらったことだからね。本当に凄いのは僕じゃなくて、遥なんだよ」
「律くん、もっと私を褒めてくれてもええんやで?」
吉川は調子に乗って、おどけた様子でこれみよがしにふんぞり返ってみせた。
(……いや、実際、吉川。あんた本当に大したものだよ)
◇
予約されていたのは、東京ディズニーリゾートのオフィシャルホテルである「シェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテル」だった。
女子部屋のドアを開け、一歩足を踏み入れた瞬間、私のテンションは跳ね上がった。大きな窓の向こうには、夜の静かな東京湾のパノラマが広がっている。
後から荷物を持って入ってきた吉川も、「うわぁ、ええ部屋やねぇ!」と満面の笑みで満足げな声を上げた。
一日中歩き回ってかいた汗を流すべく、二人で交互にシャワーを浴びる。温かい湯を浴びて心身ともにすっきりすると、張り詰めていた緊張が解けたのか、今日一日の疲れが一気に出て猛烈な眠気が襲ってきた。
私たちはそれぞれ、ふかふかのベッドに泥のように転がった。
「隣の部屋で、男子たちは今頃なに話してるんやろねぇ」
吉川が小さなあくびを噛み殺しながら、ぽつりと言った。
「ほんまやなぁ」
あの物静かな二人が、男所帯の部屋で黙々と寝る準備をしているシュールな姿を想像すると、少しおかしくて自然と笑みがこぼれた。
──それにしても。
今日一日を通して繰り広げられた、吉川・水野ペアとの会話には、本当に色々と考えさせられ、驚かされることばかりだった。
何より驚いたのは、将来のお金に関するシビアな考え方を、若い二人が寸分の狂いもなくがっちりと共有している点だった。
天井を見つめたまま、私はその素直な感嘆を口にしていた。
「吉川さんと水野くんって、お金のこと、すごい共有してるよね。というか、吉川さんが水野くんを自分色に染め上げている節すらあるように思うんやけど……なんか、すごいカップルやわ」
「そうやねん!」
眠そうにしていた吉川が、思った以上の勢いで食いついてきた。
「これも叔父さんの受け売りなんやけどね、結婚相手を選ぶときは『お金』と『子育て』の価値観が一致する人を選ばなあかんのやって。せやから今のうちから、律くんとはお互いの考えを全部オープンにして、価値観のすり合わせをしてるねん」
「なるほど……価値観の一致、か。というか吉川さん、もしかして水野くんともう結婚の約束までしてるの!?」
私が驚いて上半身を起こすと、吉川はベッドの上で寝返りを打ちながら照れくさそうに笑った。
「いやぁ、正式にプロポーズされたわけでも何でもないんやけどね。でも、律くん、付き合ったときから『私と結婚する』ってずっと言ってるねん。せやから、たぶんそのうち結婚するんちゃうかなぁって思ってる。知らんけど」
「そうなんや……。でも、学生時代に付き合った相手とそのまま結婚するのが一番幸せってよく言うしね。水野くんと結婚できたら、本当にええね」
「うん、私もそう思う」
吉川は、いつものおどけた調子ではなく、本当に愛おしそうなトーンで小さく微笑んだ。
「うわぁ……なんか、ごちそうさまやわ」
あてられっぱなしの惚気話に私が茶化すように言うと、ふたりで顔を見合わせてくすくすと笑い合った。
でも、確かに吉川の言う通りだと思う。社会人になってしまったら、新しい出会いなんてそう簡単には転がっていない。自分から積極的に動かなければ、良い相手なんて見つからないのが現実だ。
学生時代という純粋な時間の中で、すでに生涯の理想の相手に巡り合うことができた彼女たちのことが、心の底から羨ましかった。
私自身、漠然とではあるけれど、結婚は人生の中でできればしたいと思っている。けれど、世間体に流されて好きでもない男と義務のように無理やり結婚するつもりは毛頭ない。もう昭和の時代のように、「女は適齢期が来たら必ず結婚しなければならない」という呪縛に縛られる世の中ではないのだから。
ただ──好きになった人とは、恋人になりたいし、いつかは結婚もしたい。もしそんな未来が掴めたら、どんなに幸せだろう。
ふと、暗がりの天井に宇佐美くんの顔が浮かんだ。
今日の楽しかった時間を思い返す。以前の私からは想像もつかないくらい、彼とは普通に、それどころか二人きりで熱く会話ができるくらいの間柄に進展できた。
これも、それも、すべては不器用な私をこうして連れ出してくれた、吉川のおかげだ。
「吉川さん、ありがとう」
気づけば、私はそっと声に出して呟いていた。
──思えば、彼女にこんな素直な気持ちで感謝を伝えたのは、初めてのことかもしれない。
ふと、隣のベッドに視線をやると、彼女はすでに心地よさそうな、静かな寝息を立てていた。
私もそっと目を閉じる。明日もきっと、良い日になる。そんな予感を抱きながら、私は夢の国の余韻が残る深い眠りへと落ちていった。




