33 わたしはワークライフバランスを重視する!彼女の社畜生活と想定外の入社理由
吉川遥。
彼女は、なかなかの社畜体質だ。
入社して4ヶ月。
新入社員である私たちは、まだまだ会社の戦力にはならない。なので、先輩方の指示に従って仕事を進める。私たちも御多分に漏れず、それぞれチューターの先輩から教育がてら仕事が割り振られるシステムになっている。
しかし、そこはさすがホワイト企業である。私たち新人に割り振られる仕事の締め切りは極めて緩やかであり、誰もが余裕を持って取り掛かることができるはずだった。
だが。
夕方16時。
「三条先輩。今朝頼まれた分析資料、できました!」
吉川がオフィスに響く明るい声を上げる。
「ええ、もうできたの? 吉川さん、仕事早いなぁ!」
向かいの席に座る、吉川のチューターである三条実が感嘆の声を上げた。
「えへへ。SharePointのフォルダに置いてますので、チェックお願いしまーす」
「了解。すぐ見とくから。そしたら、頼んでた次の作業、進めてもらえる?」
「了解です!」
そうなのだ。
彼女は、締め切り前だというのに、どんどん仕事を片付けてしまう。
仕事できるアピールなのだろうか。承認欲求の塊か。
そんなことをしたら、次から次へと新しい仕事が舞い込んできて、キリがなくなるだけなのに。
しかも、あの笑顔。無駄にタスクを背負い込み、自ら首を絞めて喜んでいるようにしか見えない。マゾなの?
私は、彼女とはスタンスが違う。きっちりと締め切りまでじっくり時間をかけて、ロジカルに取り組む。
それが自分のペースを守り、効率よく生きる賢い大人のやり方だ。
17時。
三条先輩が画面から顔を上げて声を上げる。
「吉川さん。さっきの資料、チェックしたよ。修正点あるよ」
「あ、はい、すいません!」
「……結構、たくさん」
「うへぇっ!」
この会話はもう、この数ヶ月で何度も聞いた。
だいたい、いつもそうなのだ。
吉川は仕事の着手とスピードだけは早いが、圧倒的に詰めが甘い。
早く終わらせたところで、修正だらけでは二度手間だ。自ら「私はまだ未熟です」と周囲にアピールしているようなもので、見ていてハラハラしてしまう。
「修正点、説明したいから、今から会議室入れる?」
「あ、はい、大丈夫です!」
その瞬間、定時終了を告げるチャイムが社内に鳴り響いた。
「あ、吉川さん、定時終わってしまうけど、時間大丈夫?」
「はい、全然大丈夫ですっ!」
そう言って、二人はノートPCを片手に会議室へと消えていった。
だいたい、こうなのだ。
結局、彼女は自分で仕事を増やし、残業する羽目になる。
定時内に仕事をコントロールできず、わざわざ残業を呼び込むなんて、要領が悪いなぁとため息が出そうになる。
私は心の中でやれやれと首を振ると、寸分の無駄もなくPCをシャットダウンした。
◇
金曜日の夜。
淀屋橋。会社近くの、少し騒がしい大衆居酒屋。
「かんぱーい!」
4人掛けのテーブルに、沢田健太の陽気な声が響き渡る。
今日は、新入社員4人組での「状況報告会」という名の飲み会だ。
正直に言って、私はこういうにぎやかな、生産性の低そうな飲み会は少し気疲れしてしまう。タイプが違いすぎる吉川なんかとアルコールを共にするのも、本来ならあまり気が進まない。
だが、私はいつも断らない。なぜなら、宇佐美くんも参加するから。
「吉川さん。こういう男混じりの飲み会とかって、彼氏的にOKなん?」
ビールを喉に流し込んだ沢田が、待ってましたとばかりに興味津々で身を乗り出す。本当にデリカシーのない男だ。
「うん、全然OKやで。お互い、同期の親睦は大事やねって言ってるからね」
「ほんなら、俺とのニフレルデートもええんちゃうん?」
「まだ蒸し返してくる!? アカンに決まっとるやろ。なんでいけると思ったん?」
「えー、なんでやねん。厳しいなぁ!」
ワハハ、とまた私立文系二人組がアホなラリーで盛り上がっている。見ているだけでちょっと頭が痛くなりそうだ。
ふと視線を動かすと、あのクールな宇佐美くんまで楽しそうにクスリと笑っていた。
あかんよ、宇佐美くん。そんな低レベルな会話に相手をしたらだめ。アホが伝染ってしまう──。
「だいたい、沢田くんこそ彼女おらへんの? シュッとしてるし、いかにもモテそうやん」
吉川が焼き鳥を口に運びながら、お決まりの社交辞令を返す。
「そうやねん! 俺、シュッとしてるしモテそうなんやけどな、実は半年前に別れた。見事に振られてもたわ」
「そうなん? それはつらいなぁ」
「そうやねん、絶賛ハートブレイク中やねん。吉川さん、俺のこと慰めて」
「そんなん、隣の宇佐美くんに慰めてもらい。宇佐美くん、沢田くんのこと、やさしく抱きしめてあげて」
「……絶対嫌や。気持ち悪い」
それまで静かにハイボールを飲んでいた宇佐美くんが、間髪入れずに真顔で拒絶した。
「宇佐美に素で拒絶されたー!」
沢田がオーバーにのけぞり、また二人して手を叩いて爆笑している。全く騒がしい。居酒屋の喧騒も相まって頭がクラクラしてくる。
しかも、宇佐美くんまで一緒になって大笑い。
あかん。早くこの場を収めなければ、宇佐美くんが完全にアホになってしまう。
◇
しばらくくだらないバカ話で盛り上がった後、ふと、沢田が思い出したように切り出した。
「吉川さんって、そもそもなんで情報システム部を志望したん? いや、沓沢は分かるよ。バリバリ情報工学専攻やったわけやし。でも、吉川さんってド文系やんな?」
ーだれが、沓沢や。変なあだ名つけんといて!
しかし、沢田のその疑問に関しては、実は私もずっと気になっていた。関西大学の経済学部。畑違いもいいところだ。どうせ「ITってなんか今っぽくてカッコよさそう」とか、その程度のふんわりした理由に決まっている。
「それはね!」
吉川は、いつもの明るいトーンで切り出した。
「最初は全く考えてなかってん。でも、色んな会社の説明を聞いてるうちに気付いてな。実は、企業の情報システム部の仕事って、ただバリバリプログラムを組むんじゃなくて、むしろ現場の人の意見を聞いて、業務内容を整理したり改善したりする仕事なんやって知ったんよ。それって人と話したり、資料にまとめたり、むしろ文系に向いてる部分もあるって聞いて、私でもいけるかもって思ったねん」
そこまで言ったところで、吉川の表情からふっと笑みが消えた。
それと同時に、いつもの朗らかな口調から、まるで一点を見据えるような、芯のある鋭い口調へと変わっていく。
「もちろん、コンピュータやプログラムの知識が必要なのは百も承知やで? そこは死ぬ気で勉強せなあかんと思ってる。でも、これからはもうAIの時代やん? システム開発の下流工程──コードを書くだけの作業は、今まさにAIに取って代わられ始めてるって聞いてな。でも、システム開発の最上流工程……『何のために、どういうシステムを作るか』を人間と対話して決める部分は、AIにはまだまだ無理で、人間がやることになる。その最上流のポジションに未経験の新人が滑り込めるのって、歴史的に見て今がラストチャンスかもしれへん。だから今、情報システム部でスキルを習得すれば、将来的にめちゃくちゃ貴重な人材になれるやろ?」
そこまで一気に語りきると、吉川はふーっと息を吐き、ジントニックを一口飲んだ。
「……みたいな?」
瞬時に、いつものゆるい口調に戻っていた。
沢田が、完全に圧倒された様子で感嘆の声を漏らす。
「はえー……すごいな吉川さん。そこまで考えて就活してたんや。ぶっちゃけ、なんも考えてへん残念な子かと思ってたわ」
「ちょっと、どさくさに紛れて何ディスってんのー!」
「いや、でも、吉川さんの言う通りだと思うよ」
宇佐美くんまでが、深く感心したように頷いていた。
──吉川、ずいぶんと見事な……!
私の胸の奥にも、言いようのない衝撃が走っていた。
あの、コミュ力特化の文系だと見くびっていた彼女の口から、上流工程だのAIによる代替だのという言葉が飛び出してくるなんて。ただ業界用語をそれっぽく並べ立てただけのハリボテではない、驚くほど冷静で、大局的な戦略に基づいた説明だった。
私は……この子のことを、少し見くびっていたのかもしれない。




