32 わたしはあの子が苦手。京大卒のプライドと同期ランチ中の爆弾発言
吉川遥。
私は、どうにも彼女が苦手だ。
理由を挙げるときりがないが、まず、誰にでも愛想が良くて世渡りが上手いところ。いつも上司のおじさんたちに可愛がられていて、遠目でそのノリを見ているだけで少し疲れてしまう。おじさんたちも「遥ちゃん、遥ちゃん」とデレデレだ。やれやれ。
社内で『クール』と評され、その裏では『不愛想』と硬く見られがちな私とは、まさに正反対の存在。
ああ、もう。なんだかペースを乱される。
私と彼女は、この春、大阪の淀屋橋に本社を置く大手繊維・素材メーカー『大和化学工業』に、新入社員として入社した同期だ。そして、同じ情報システム部に配属され、デスクを並べている。
同期と言っても、年齢は私の方が上だ。私は京都大学大学院の情報学研究科を修了した24歳。対する彼女は、関西大学の経済学部を卒業した22歳。
それにしても、関西大学か。
私からすれば、あまりに畑違いというか、学歴のカラーが違いすぎる。よくこの大手の高倍率を潜り抜けられたものだと思うが、きっとあの持ち前のコミュ力を面接でも発揮したのだろう。
学歴も、システムに関するスキルも、私のほうが圧倒的に上だ。
しかし、どうもこの古い体質の職場では、積み上げてきた知性よりも「若くて愛嬌があること」のほうが優先されるらしい。私よりちょっと若く、ちょっと可愛いだけで、何かとチヤホヤされて実質的な評価まで上に見え隠れするのだから、ストレートに納得がいかない部分はある。
どうせ、仕事なんて結婚までの腰掛けくらいにしか思っていないのだろう。
願わくば、なるべく早く素敵な人でも見つけて、めでたく寿退社してくれたほうが、お互いのキャリアパスのためにも平和でいいのに、と私は心から思っている。
◇
キーンコーンカーンコーン……。
午前業務終了を告げるチャイムが、オフィスに鳴り響く。
隣のデスクで、吉川遥がうーんと大きく伸びをした。
「沓沢さん、食堂行こうか?」
人なつっこい笑顔を向けてくるあの子に、私は「うん」と愛想笑いを浮かべる。
「今日は何食べようかなぁ」
「昨日はうどんやったしなー、やっぱり定食にしよかな」
廊下を歩きながら一人でぶつぶつ言っていたかと思えば、「なぁ、沓沢さんは?」と話を振ってくる。私は「うん、適当に」とだけ相槌を返し、スマホに目を落とした。
食堂の入り口に到着すると、すぐに騒がしい声が降ってきた。
「吉川さん、沓沢さん、こっちこっち!」
大きく手を振っているのは沢田健太。その隣には、宇佐美智也が立っていた。
二人は、私たちの同期だ。新人研修で同じグループであり、そして、淀屋橋の本社配属となったため、こうしてお昼を一緒に食べる仲になっている。
沢田健太は、国内営業部配属。同志社大学の社会学部を卒業した22歳だ。
私立文系ではあるが、同志社ならまぁ及第点、この会社の中では堅実な部類だろう。ただ、とにかく明るいだけのムードメーカーで、いわゆる陽キャ。若干、中身の薄いお気楽なノリが吉川と被っているのが、私としては少し落ち着かない。
そして、宇佐美智也。
彼は生産技術部配属で、大阪大学大学院の工学研究科を修了した24歳。
宇佐美くん。頭が良くて、クールで物静かな雰囲気を纏っている。私と同じ、旧帝大の院を修了した理系の人間。話の通じる、数少ない貴重な存在だ。
私たちは4人並んで、食券の列に並ぶ。
正直に言って、私は吉川と一緒に昼ご飯を食べるのは、少し気疲れしてしまうのだ。あのテンションの高い愛想を至近距離で見せつけられるのは、インドア派の私にはちょっとした負担でしかない。
しかし、私がこのお昼の集まりに加わり続けている理由。
それは、ここに宇佐美くんがいるから。
宇佐美くんは、あの賑やかな文系2人とは違う。知的で、落ち着いていて、私と対等に話ができる。
できれば、吉川たち抜きで、彼と二人だけでランチができたなら──。
トレイを手に取りながら、私はそっと隣の宇佐美くんを盗み見る。願うだけなら、タダだ。
◇
食堂の片隅、私たちは4人掛けのテーブルを囲んでいた。
それは、本当に何気ない会話からだった。
何かの話の流れから関西の水族館の話題になり、吉川が「ニフレル、めっちゃええよ」と口にした。万博記念公園にある、あのちょっと風変わりなミュージアムのことだ。
すると、案の定というか、沢田健太がこれ幸いと乗っかってきた。
「そうやな! ニフレルええな、おしゃれやし。お、俺ら気ぃ合うやん。今度一緒に行かへん? ニフレルデートしようや」
身を乗り出して、実に軽薄な笑みを浮かべる。ああ、ノリが軽い。ちょっと可愛い子がいれば、誰にでもかれにでも、すぐにそんな誘い文句を言っているのだろう。これだから私立文系のノリはついていけない。少々中身がスカスカすぎる気がする。
「デートはあかんわ」
吉川は笑いながらも、そっけなく返した。
まぁ、そう返すわな。安売りはしないタイプというわけだ。
だが沢田は食い下がった。
「ええやん。ええやん。なんであかんの?」
しつこいぞ。まさかこいつ、案外本気なのか?
ふと見ると、隣で宇佐美くんもどこか渋い顔をして手元の定食を見つめている。知的で静かな彼にとっても、沢田のこういう下俗なノリは不快なのだろう。
そんな男たちの視線を受け流しながら、吉川は実にあっけらかんと言い放った。
「あかんも何も。彼氏に怒られるわ!」
一瞬、テーブルの上に冷ややかな沈黙が落ちた。
そして。
「え!?」
「え……」
「……え?」
沢田が絶句し、宇佐美くんが絶句し、私も内心で絶句した。
「吉川さん、彼氏、おったん!?」
沢田が、まるで世界がひっくり返ったかのような顔で声を裏返らせる。
そういえば、新人研修の時からも含めて、そんなプライベートな話はあまりしてこなかった。
でも、まぁ、そりゃそうか。癪ではあるが、彼女は一般的には「ちょっと可愛い」部類に入る。彼氏くらいいるのは論理的な帰結だ。
それにしても──ちょっと待って。
なんで、宇佐美くんまでそんなフリーズしてんの!?
「ええーっ、誰!? なにしてる人!?」
沢田がショックを隠しきれない様子で、ずけずけとプライベートに踏み込んでいく。
吉川は、お茶を一口飲んでから楽しそうに笑った。
「大学のときの同級生やで。今、本町でSEやってるわ」
「なにもう、めっちゃ長い付き合いやん! はよ言ってよー!」
「なんで沢田くんにわざわざ言わなあかんねんー」
二人は親しげに爆笑し合っている。
そうか、関西大学の彼氏か。
本町のSE。きっとどこか小規模なIT企業か何かで、毎日地道にコードでも書いているのだろう。同じ大学出身の文系同士、お似合いのカップルじゃないか。身の丈に合った堅実な相手と付き合っているようで、なんだか少しホッとした。
そう思いながら宇佐美くんの方へ視線を戻した私は、凍りついた。
……あれ?
なんで、宇佐美くん、ちょっとしょんぼりしてんの?
いつも凛としている彼の視線が、心なしか泳いでいて、箸の動きがあからさまに鈍くなっている。
宇佐美くん。
嘘でしょ。まさか、吉川のこと──。
吉川、あなたって人は……っ!!




