27 俺はなぜお前とふたりで焼きそば食べているのだ?彼女のエプロン姿と学園祭の対決
十一月。雲一つない秋晴れが広がった、気持ちの良い日のこと。
関西大学の千里山キャンパスは、年に一度のビッグイベントである学園祭の熱気に包まれていた。
どこを見渡しても人、人、人。色とりどりの看板が並び、賑やかな音楽と美味そうな匂いが五感を刺激してくる。
そんな喧騒のなか、俺の胸は期待と緊張で小さく跳ねていた。
今日、俺は遥ちゃんと一緒に学園祭を回る約束を取り付けていたのだ。
いわゆる、学園祭デートである。『心が躍る』とは、まさに今の俺のためにあるような言葉だった。
ただし、遥ちゃんは所属しているバドミントンサークルの模擬店『焼きそば屋』で、お昼前まで売り子としての当番があるらしい。そのため、その当番が終わってから合流して一緒に回るという手はずになっていた。
とはいうものの、遥ちゃんのエプロン姿の売り子はぜひとも拝んでおきたい。絶対に可愛いに決まっている。
そういう不純かつ純粋な動機に突き動かされ、俺は張り切って遥ちゃんの当番時間に合わせて模擬店へと向かった。
威勢のいい呼び込みの声が響くテント群のなかに、お目当ての看板を見つける。
模擬店のカウンターの向こう、お揃いのエプロンを身にまとって忙しそうに立ち働いている遥ちゃんの姿が、すぐに目に飛び込んできた。
(──よし、声をかけに……)
歩みを早めようとしたその瞬間、俺の足がピタリと止まった。
遥ちゃんが、一人の男と楽しげに談笑している。
遠目からでもはっきりと分かった。背が高く、短く整えられた髪。シャツの上からでも分かるがっしりとした体躯の、絵に描いたようなスポーツマンタイプ。
なにやつ。
その瞬間、俺のなかの対抗心が限界突破してマックスに振り切れた。
(──そこをどけ。俺の遥ちゃんに気安く近づくな)
そんな、敵愾心を胸の中でメラメラと燃やしながら、俺はずんずんと足音を荒立てるようにして遥ちゃんのもとへ近づいていった。
気配を察したのか、遥ちゃんが俺に気づいて「あ」と小さく口元を緩め、軽く手を挙げる。
隣にいた男もそれにつられるようにして振り向き、俺と真っ正面から目が合った。
爽やかなイケメンである。非の打ち所がないタイプの。
(──チッ、イケメンだろうが何だろうが、負けるもんか……!)
「律くん、おはよう!」
いつも通りの遥ちゃんの声。だが、俺と遥ちゃんとイケメンの三人が並んだ空間には、一瞬だけピリッとした緊迫した空気が流れた。
「紹介するね。こちら、山神優斗くん」
あ。
お前が、あの琵琶湖のボランティアのときの、レクサスぼんぼんか……!
山神優斗は、俺の視線を受け止めると「どうも」と小さく会釈を返してきた。
笑顔の裏に嫌味が一切ない。爽やかだ。ちくしょう。
「優斗くん。彼は、水野律くん」
遥ちゃんに促され、俺も精一杯の虚勢を張って「どうも」と挨拶を返す。自分で分かるくらい、引きつった笑顔になっていたと思う。
数秒の、妙に重い沈黙。
それを破ったのは、申し訳なさそうに眉を下げた遥ちゃんだった。
「……律くん。わたし、まだ交代の時間まであるから、その辺でちょっと時間つぶしておいてくれる?」
「あ、うん。わかった。そしたら……焼きそば一つもらおうかな。それ食べて待ってるよ」
「ありがとう! 一つ五百円になります!」
プロの売り子の笑顔でお札を受け取る遥ちゃんからパック詰めの焼きそばを受け取ると、俺はそそくさとその場を後にした。
◇
模擬店から少し離れた、並木道沿いのベンチ。
俺はそこに腰掛け、プラスチックのパックに入った焼きそばを割り箸でつつき始めた。
遠くの方では、相変わらずササッと立ち働いて、お客さんに笑顔を振りまいている遥ちゃんの姿が見える。
やっぱり、可愛い。
そう思いながらソースの絡んだ麺を口に運んでいると、ふと、視界の端から影が伸びてきた。
見上げると、さっきのイケメンぼんぼん──山神が立っていた。その手には、俺と同じ焼きそばのパック握られている。
山神は俺の視線に気づくと、人懐っこい笑みを浮かべた。
「となり、ええかな?」
何事だ。一瞬、警戒心が跳ね上がる。だが、ここで「嫌だ」と断れば、なぜか男として負けて逃げたことになりそうな気がした。
「……ああ、いいよ」
平静を装って答えると、山神は「ありがとう」と言って俺の横に腰掛けた。
彼はパックを開け、焼きそばを一口すすると、前を向いたまま静かに口を開いた。
「なあ、もしかして……君が、遥ちゃんの彼氏なん?」
俺の遥ちゃんを気安く『遥ちゃん』と呼ぶな。
心の中で激しい突っ込みを入れながらも、俺は努めて冷静に、しかし一切の迷いを排して言い切った。
「うん。そうだ。俺が、遥ちゃんと付き合っている」
断言した。
『本当はまだ友達です』なんてこと、口が裂けても、この男の前で言うつもりは毛頭ない。
すると山神は、意外そうに俺の顔をじっと見つめてきた。品定めするような、それでいてどこか得心のいったような目で。
やがて、彼はフッと息を漏らした。
「そうか。いつからの知り合いなん?」
「大学に入学してから。同じ経済学部なんだ」
「そうか。で、いつから付き合ってるん?」
「……夏休み前から」
「どっちから告白したん?」
「俺から」
矢継ぎ早の質問に、俺は一歩も引かずに答えを返していく。
すると山神は、観念したように肩の力を抜いた。
「そうか。夏休み前かぁ……。一足遅かったかあ。君、ええ子捕まえたなあ。ほんま、うらやましいわ」
山神のまとう空気が、トゲのない柔らかいものに変わる。
拍子抜けした。と同時に、胸の奥からじわじわと少しの優越感が湧き上がってくるのを感じた。
「な、何だよ……。君も、彼女のこと、狙ってたのか?」
「ああ。ボランティアのとき、話もめっちゃ合ったし、これ行けると思ったんやけどな。すでに彼氏持ちやったとはなぁ」
「会ったばかりで、そんな、すぐに好きになるもんかい?」
自分が春の時点で遥ちゃんに一目惚れしていたことを完全に棚に上げて、俺は尋ねた。
山神は苦笑しながら、再び模擬店の方へ視線を向けた。忙しそうに、けれど楽しそうに動く遥ちゃんの姿を、慈しむように目で追っている。
「ああ。彼女は特別やった。この前のボランティア、一回生は俺と彼女だけやってん」
山神の声は、どこか真剣味を帯びていた。
「一回生のうちからボランティア始める子なんて、普通は少ないやん? しかも話してみたら、もう就職説明会も行ってる言うやんか。そんな子、俺の周りにはおらへん。俺もそういうの、人より早めに動いてるつもりやったけど、俺とスピード感が合ってる子に初めて会ったんよ」
──ああ。
悔しいが、こいつの言っていることは、痛いほどよく分かる。
確かに、遥ちゃんは特別だ。ただ可愛いだけじゃない。未来を見据えて、自分の足でしっかり歩いている。
「それにな、聞いた? 俺、レクサス乗ってんねん。六百万円くらいするやつ」
「……ああ、遥ちゃんから聞いたよ」
「それ聞いて、君、どう思った?」
「どうって……親が金持ちなんだろうなって。あと、学生が乗るにはちょっと贅沢すぎるだろ、とは思った」
「そうやな。普通はそう思われるわな」
山神は自嘲気味に微笑み、また遥ちゃんに視線を戻した。
「だいたい、今まで俺の車に乗せた子は、みんな同じ反応やねん。『すごい』『高い』『かっこいい』『お金持ちなんやね』って。」
山神の目が、細められる。
「でも、彼女は違った。親が会社経営してるって言うたら、『じゃあ、この車って経費?』って、言うたんよ」
「……経費?」
「そう。実際その通りやねん。会社の経費で車買えるねん。うちの親父は、もちろん俺への入学祝いっていう名目もあるんやけど、それ以上に会社の節税対策のために、俺にあの高い車を買い与えてん。彼女、そこを見抜いたんよ。一回生でそんな会社の仕組みに気づく子、普通おらんよ? ──たぶん彼女は、俺のことをただの社長の息子やのうて、もう一段深い、本質のところから見てくれる存在やと思った。だから、特別やねん」
胸の奥が、冷たく冷え切っていくような感覚がした。
こいつは、遥ちゃんを単なる「見た目が可愛い女の子」として狙っているわけじゃない。彼女の聡明さ、社会の仕組みを冷静に見つめる能力、その真のポテンシャルを見抜いた上で、「自分のパートナーにしたい」と切望しているのだ。
彼女の本当の凄さを理解し、特別視しているのは、この世界で俺だけだと思っていた。
だが、隣にいるこの男は、俺以上に彼女の本質を理解し、評価しているように思えた。
山神に対して、どこか同じ視点を持つ者としての奇妙な親近感が湧くと同時に、それを遥かに上回る、底知れない危機感が脳裏を支配する。
もし、俺が今のこの曖昧な関係のまま、遥ちゃんとの『独占交渉』に失敗したら──。
その瞬間、遥ちゃんはあっさりと、この男に奪われてしまうだろう。
喉の奥に張り付いた焼きそばが、妙に重く、苦く感じられた。




