24 俺はなんてちっちゃい男なんだ!夏休み過酷バイトと合宿の楽しい思い出話
関大近くに軒を構えるレストラン『カプリの丘』のランチタイムは、文字通り目が回るほどの大忙しであった。
次から次へと舞い込むオーダーに、出来上がった料理の配膳、空いたテーブルの片付け。俺は目まぐるしく店内を動き続けた。ピークを過ぎ、ようやく昼休憩にありつけたのは、時計の針が午後二時を回った頃だった。
普段は夜のシフトがメインなのだが、今日は人手不足ということもあり、十二時から二十一時までの超ロングシフトに組み込まれてしまったのだ。
まあ、その分、バイト代をがっつり稼げるのだから良しとしよう──そう自分に言い聞かせる。
しかし、夏休み期間ということもあってか、いつも以上にカップルの来店が目立っていた。
仕事中、仲睦まじい男女が楽しそうに会話を弾ませながら、パスタやピザを仲良く分け合って食べている。そんな姿を見るたびに、俺は無意識のうちに自分と遥ちゃんの姿をそこに重ねてしまっていた。そして次の瞬間、あまりにも寂しい妄想と現実のギャップに、手痛い精神的ダメージを食らうのだ。
遥ちゃんとは、あの『EXPOCITY』での初デート以来、一度も会えていない。
遥ちゃんがあの日のすぐ後、所属しているバドミントンサークルの二泊三日の合宿に出かけてしまったからだ。
出発前、遥ちゃんからは冗談めかしてこんな提案をされていた。
「律くんも一緒に来る? 飛び入り参加で。なんなら、サークルに電撃入部してしまう?」
部外者である俺がサークルの合宿にまでついていくなんて、客観的に見ればまるで遥ちゃんのストーカーではないか──。
そう冷静に突っ込む自分もいたが、初デート直後の尋常ではない昂ぶりのなかにいた俺は、一瞬「それもアリだな」と真剣に考えてしまっていた。しかし、すでにこの地獄のバイトシフトを入れてしまっていたため、結局は断念して今に至る。
そんなことを思い出し、少しだけ気分が滅入ってしまった。
ポケットのスマホを見ると、そろそろ休憩時間が終わる。
いつまでも暗い思考に沈んでいるわけにはいかない。
俺は「よしっ」と小さく声に出して気合を入れ、再び賑やかなフロアーへと戻って行った。
◇
遥ちゃんが、二泊三日の合宿から無事に帰ってきた。
俺が少しの勇気を出して「会いたい」とLINEを送ると、
『ええよ。お土産渡したいし』
という快い返信が届き、翌日すぐに会うことになった。
しかし、この日も俺は夜からバイトが入っているし、遥ちゃんだって合宿の疲れがあるはずだ。
今回は遠出をあきらめ、お互いに行きやすい関大前のカフェで一緒にランチを食べることにした。
◇
「はい、これお土産! 但馬牛のレトルトカレー。律くん一人暮らしやから、ご飯のお供にええかなと思って」
席に着くなり、遥ちゃんが嬉しそうにパッケージを差し出してくれた。
「ありがとう。すごく、嬉しい。……大切に部屋に飾っておくよ」
「いや、はよ食べて! 律くん、今のボケよかった。腕上げたな」
ははっ、と遥ちゃんが楽しそうに笑う。
一週間も経っていないはずなのに、久しぶりに見る彼女の笑顔は酷く眩しかった。
店内の照明すら掠れるようなその輝きに、ここ数日のバイトで凝り固まっていた体と心が、すうっと癒されていくのを感じる。
注文したランチが届くと、遥ちゃんは身振りを手振りを交えながら、バドミントンサークルの合宿の思い出話を聞かせてくれた。
「合宿言うてもね、バドミントンが三で、遊びが七って感じや。私的にはちょっと物足りんかったわぁ」
「でもな、新緑の中でBBQやってん。めっちゃ気持ちよかったで」
「夜はみんなで花火。きれいやったけど、山の中やからめっちゃ蚊に噛まれたわ」
「うん、うん」と相槌を打ちながら話を聞いていると、遥ちゃんがサークルのメンバーたちと楽しそうにワイワイと盛り上がっている光景が、ありありと脳裏に浮かんできた。
それと同時に、喉に小骨が引っかかったような妙な感覚が這い上がってくる。
彼女が眩しい思い出に囲まれていた、その間。
俺はと言えば、ただひたすらにバイト漬けの日々を送っていた……
そもそも、なぜ俺はこんなところで、汗水垂らしてバイトなんかしているのか。
そんな自問自答が再び頭をもたげる。
答えなんて、最初からわかり切っている。もとはと言えば、俺の家にお金が無いからだ。
方や、裕福な家庭に育った男どもは、生活費のためにバイトなんかする必要もない。彼らは何不自由なく夏休みを謳歌し、当然のようにサークルの合宿に参加して、まばゆい新緑の中、遥ちゃんと楽しげにシャトルを追いかけ、肉を焼き、花火を見上げていたのだ。
世の中お金がすべてではない──綺麗事のようだが、俺だってそうは思う。
しかし、お金がないということは、そのぶん選択肢を狭められ、我慢したり、あきらめたりすることを強要されるということでもある。そしてその結果は、いつだって息の詰まるような生きづらさへと繋がっていく。
現実は、どこまでも不平等で、残酷だ。
目の前で楽しそうに話を続ける遥ちゃんを見つめながら、俺はそんな格差に改めて気づかされ、胸がちくりと痛んだ。
それでも、大学に入学して早い段階で、奨学金を申し込む算段をつけられたことは本当に良かったと思う。
この申請が通れば、月々のバイトを減らし、今よりもずっと時間的な余裕を持つことができるはずだ。
しかし──実際に奨学金の申請結果が出るのは早くて十一月頃らしい。
つまり、審査が無事に通って口座に振り込みがあるまでは、少なくとも、今のバイトのペースを維持しなければならないということだ。
結果が出るまでの、あと四カ月。
楽しかった合宿の余韻に浸る彼女の横顔を前にして、俺はその道のりの長さに、どうしようもない鬱々たる思いが広がっていくのを止められなかった。
◇
「律くん、どうしたん?」
遥ちゃんの心配そうな声で、俺ははっと我に返った。
気づけば、自分の手元を睨みつけるようにして黙り込んでしまっていたらしい。
「なんか……怒ってる?」
遥ちゃんが怪訝な表情で、下から俺の顔を覗き込んでくる。
(しまった。完全に顔に出てた……)
俺のただならぬ雰囲気を察したのか、遥ちゃんの表情がみるみる硬くなっていく。
──沈黙。
重たい空気が、一瞬にしてテーブルの上を包み込んだ。
これは、致命的にまずいぞ。
こういう不穏な空気になった場合の対処方法なんて、恋愛偏差値ゼロの俺の引き出しには、逆立ちしたって入っていない。
変に取り繕って嘘をつくよりは、ここはもう、素直に白状するしかないだろう。
「ごめんね、遥ちゃん」
腹を括って、俺は遥ちゃんの目を真っ直ぐに見つめた。
「俺……嫉妬してしまったんだ」
「嫉妬? 何に?」
遥ちゃんが少し驚いたように、パチリと瞬きをした。
「合宿で、遥ちゃんと楽しい時間を過ごした、サークルのメンバーのみんなに」
一度口を開いてしまえば、堰を切ったように本音が溢れ出す。
「遥ちゃんと楽しく過ごしてた男どもの様子が、どうしても頭に浮かんでしまって……」
遥ちゃんは一瞬、呆気に取られたような表情を見せた。
けれどすぐに黙って、再び下から俺の顔をじっと覗き込むように見つめてくる。
その真剣な瞳が、「続けて?」と無言で語りかけているようだった。
「要するに……俺は、自分に自信がないから。不安になってしまったんだ。ちっちゃい男でごめん……」
己の器の小ささを自白しているうちに、情けなくて、なんだか少し泣けてきた。
「つまり……わたしが、誰かに取られるかもって、やきもきしてしまった、と?」
俺の顔を覗き込む遥ちゃんの声に、ふっと悪戯っぽいニュアンスが混ざる。
見上げると、彼女の顔はいつもの柔らかい、おっとりとした表情に戻っていた。
あまりにも見事な図星だった。
「……はい。その通りです」
恥ずかしさが限界に達し、俺はたまらず目をそらした。
しかし、遥ちゃんはすかさず先回りするようにして、再び俺の視線の先に回り込んで顔を覗き込んでくる。
どうやら、俺のこの情けない赤面を、一瞬たりとも逃さないつもりのようだ。
「そうかぁ。やきもち、焼いてしもうたんやー」
そう言った遥ちゃんの声は、怒るどころか、なんだかもの凄く嬉しそうだった。
「でも、安心して?」
俺の顔を覗き込んだまま、遥ちゃんがどこか得意げに言った。
俺の怪訝そうな表情を見て満足したように頷くと、彼女はそのまま話を続けた。
「合宿早々にな、綾乃が『遥に彼氏ができた』って暴露してな。」
「いやいや、そんなん半分嘘やん? 誇張やん? ただのブラフやん?」
「そしたら、サークル内が大騒ぎになってしもうて。質問攻めにあうわ、男子数名が一時行方不明になるわで、ほんま大変やってん」
「でもな、そのおかげで、合宿中はもう誰ひとりとして、私にグイグイ来おへんかったよ?」
「あ、大丈夫やで? その『彼氏』の正体はちゃんとぼかしておいたから。律くんの身元は割れてへん」
そこまで一気に話し終えた遥ちゃんが、ふと不審そうに眉をひそめた。
そして再び、俺の顔をじっと凝視してくる。
「……律くん。めっちゃ満面の笑顔やけど。どうしたん?」
(しまった。また顔に出ていたようだ……)




