23 俺たちのことはほっといてくれ!デートの余韻と奨学金の申込
家に帰って、自分の部屋のドアを閉めても、初デートの余韻はしばらく消えそうになかった。
おもむろにスマホを取り出し、画面をタップする。
そこにあるのは、遥ちゃんから届いたばかりのLINEだ。すでに三度は読み返しているというのに、俺の指は自然とまたそのトーク画面を開いていた。
先ほど、駅で別れた直後に俺が送ったお礼のメッセージに対する、彼女からの返信。
『律くん、今日はありがとう。わたしもとても楽しかった。また、遊びに行こうな。おやすみ』
たったそれだけの、短くて、ありふれたメッセージ。
それなのに、画面の向こうで「おやすみ」と微笑む彼女の顔が鮮明に浮かび上がってきて、自分の顔が締まりなくニヤけていくのを止められなかった。
バッグを床に放り出し、部屋の真ん中でベッドの縁に腰掛けたまま、俺はしばらく放心状態になる。
楽しかった記憶が、きらきらとした残像になって、頭の中をぐるぐると駆け巡っていた。
思い返せば、帰りの電車の中では、なぜか遥ちゃんから怒涛の「お小言」を頂戴した。
「だいたい、律くんが悪いねん」
吊り革に掴まりながら、遥ちゃんは少し頬を膨らませて俺を睨んだ。
「わたし、律くんとは、末永く、いい友達でいたいって、ずっと思ってたのに……。」
遥ちゃんはふいっと視線を斜め下に落とすと、少し耳を赤くして言葉を続けた。
「それやのに、いきなり告白してきてさぁ。前置きも何にも無しに、いきなりわたしの懐に飛び込んできて!あんたは幕之内一歩か! こっちは何の心の準備もできてへんちゅうねん」
「うん……ごめん」
「いや、まあ……律くんの気持ちは嬉しかったし、今となっては別にええねんけど。ただ、当時のわたしが如何にパニックになって混乱したかってことだけは、ちゃんと知っといてほしいと思うわけよ」
「うん。はい」
首をすくめて平謝りする俺だったが、こうしてプリプリと怒っている姿すら死ぬほど可愛いな、と不謹慎なことを考えていた。すると、彼女の鋭い視線が俺の顔を捉える。
「ちょっと、人が真剣に訴えてるのに、何さっきからニヤニヤしてるんですか?」
「いや……可愛いなと思って」
本音が口をついて出ると、遥ちゃんは一瞬絶句し、それから顔を真っ赤にして俺を指差した。
「律くん! あんた、ええ人そうな顔しといて、実は結構、女転がすタイプやろ!?」
「いや、そんなことは……」
完全にたじたじだった。
そんな先ほどまでのやり取りを思い出し、静まり返った部屋のなかで一人ほくそ笑んでいると、ズボンのポケットでスマホが鳴った。
──しゅぽん。
画面を見ると、LINEが届いている。送り主は、田中澪からだ。
『遥から報告あったけど。あんたら、もう帰ってきたん? ほんま、中学生のデートやなあ。呆れるわ~』
(……ほっといてくれ)
俺は心の中で毒づいた。
こっちだって、普通の大学生の平均的なデート時間なんて知らないなかで、初デートで遥ちゃんを疲れさせてはいけないとか、遅くなって親御さんに心配をかけてはいけないとか、あれこれ必死に頭を悩ませて気を遣っていたのだ。
人の気も知らないでと、反論LINEを打ち返そうとしたその時、
──しゅぽん。
間髪入れずに、また通知音が鳴った。
今度は、一条綾乃からのLINEだった。ポップアップされた短いメッセージに、俺の指がピタリと止まる。
『ちゅーした?』
「やかましいわ!」
俺は思わず、誰もいない部屋でスマホに向かって盛大に突っ込んでいた。
◇
翌日、俺はさっそくパソコンを開き、ネットで奨学金と授業料免除について徹底的に調べた。いずれも次の募集時期となる、秋の定期採用は10月。まだ時間はあるが、のんびりしている余裕はない。
募集要項を読み進めると、奨学金や授業料免除の審査条件は、主に親の年収や家族構成(資産や扶養親族の数)で決まるようだった。うちは下に高校生の妹と中学生の弟がいる5人家族だ。調べてみると、扶養する子供の数が多いほど世帯収入の基準が緩和されるため、うちの構成なら審査にはかなり有利に働く模様だった。
あとは学力の基準だ。1年次の秋採用の場合、高校の評定平均に加えて、大学の前期の成績も審査条件に組み入れられるそうだが、こちらもなんとかなりそうだった。俺は高校のときから、不器用だが大崩れしない真面目さだけが取り柄だったし、大学の講義もサボらずに出席している。
親に用意してもらう必要書類や、手続きに必要な情報をメモ帳にまとめた上で、俺はさっそく実家の母親宛てにLINEを送った。
『大学1年生の秋から、授業料免除と、無利子の第1種奨学金を申し込みたいと考えてる。色々調べたら、うちの場合、兄弟が3人いるから年間約70万円の授業料免除を受けられる可能性がかなり高いみたい。10月に正式な手続きがあるんだけど、お父さんとお母さんのマイナンバーや、扶養人数を確認できる源泉徴収票か確定申告書の控えが必要になるから、今から手元に準備しておいてほしい』
送信して間もなく、スマホが震えた。画面を見ると、予想通り母親から驚きと戸惑いの混じった返信が届いていた。
『本当に大変助かるお話だけど……授業料免除はともかく、奨学金なんて借りて本当に大丈夫なの? どんな理由であれ借金は借金だから、お父さんもすごく心配してるよ』
実家側のその反応は、つい昨日までの俺の意見そのものだった。
俺は一呼吸置き、昨日観覧車のなかで遥ちゃんから教わった「最優秀借金」と「調達コストゼロの投資」のロジックを、自分の言葉に噛み砕きながら説明し、最終的には、『あまり無理はしないようにね』という一言とともに承諾を取り付けた。
「よし……。次は大学の窓口で手続きのスケジュールを確認して、それから……」
画面に表示された次の段取りに目を移しながら、俺は小さく息を吐いた。
確かに国はこうして、学生への救済の手を差し伸べてくれている。けれど、その手はあまりにも控えめに差し出されており、こちらから能動的に掴みにかからなければ、すり抜けてしまう性質のものだった。知っている者だけが救われ、知らない者は静かに不利益を被る。それこそが、この社会のリアルな仕組みなのだ。
ふと、遥ちゃんが黙々と自身の奨学金の申請書類を準備している姿が脳裏に浮かんだ。
俺がただ闇雲に予定表にバイトを詰め込んで心身をすり減らしていた間、彼女はこうやって淡々と、社会の仕組みを自分の武器にするための準備を整えていたんだ。
おっとりとした笑顔の裏にある、彼女の圧倒的なしたたかさに、俺はいまさらながら気づかされた。




