22 俺はとんでもない子を好きになった!最優秀借金と委ねられた決断
「確かに、わたしは奨学金を学費の足しにしてる。けど、わたし、それに対してなんにも苦労も気負いもないんよ。お金のない学生のうちは、国からお金を借りる。しかも国は、民間じゃありえへんくらい安い金利で貸してくれる。そして大学を卒業して、自分が働き出して、お金に余裕ができたら、そこから無理のない範囲で計画的に返していけばいい。わたしはただ、国が用意してくれてる『合理的に学生を支援する仕組み』を、最大限に利用してるだけやねん」
「仕組み?」
あまりにもサラリと、まるで当然の経営戦略を語るかのように言い切る遥ちゃんに、俺はただオウム返しに聞き返すことしかできなかった。
「そう、仕組み」
遥ちゃんは小さく頷き、ゴンドラの窓ガラスに指先を少し這わせるようにしてから、再び俺を見た。
「この仕組みを賢く利用して捻出した『時間』を、わたしはただサボるためじゃなくて、将来の自分のためになることに、すべて投資したいと考えてるねん」
「……」
俺は完全に圧倒され、言葉を失っていた。
夕暮れのゴンドラという、およそロマンチックなはずの空間が、一瞬にして経済学のゼミ室か何かにすり替わったかのような錯覚に陥る。呆然とする俺を置いて、遥ちゃんの独白はさらに熱を帯びて加速していった。
「世間ではさ、『奨学金は借金だから悪だ』っていうステレオタイプな意見がよくあるけど、そう決めつけるのは余りに短絡的やと思うんよね。借金には『悪い借金』と『良い借金』があって、良い借金はむしろ積極的に借りたらええねん。その点、第1種奨学金なんか、まさに『最優秀借金』やわ。なんせ、金利ゼロやからね。 有り得へんよ、今の世の中で調達コストゼロの融資なんて。借りない手はあらへん」
「……っ」
「わたしが毎日必死に勉強頑張ってるのもね、その『金利ゼロ』っていう最高の条件を獲得するため。律くん、知ってる? 金利の掛かる第2種奨学金と、無利子の第1種。例えば月5万円を4年間借り続けた場合、将来的に支払う利子の差額って、トータルで50万円くらいになるねん。つまり、大学で勉強を頑張れば、自分の知識やスキルになるだけやなくて、実質50万円ものコストを削減できることになる。めちゃくちゃ合理的やろ?はっきり言って、うちの大学でええ成績取るのなんて受験勉強に比べたら全然簡単やで?」
遥ちゃんは、淀みなく数字を並べ立てていく。
「あと、大学には授業料免除の制度もあるんやけど……残念ながら、うちは少し条件から外れてもうててん。ほんま、世の中にはせっかく色んなお得な制度があるのに、みんな、ろくに調べもせえへんのは勿体ないよね」
そして、遥ちゃんはそこで一度言葉を切り、少しだけ躊躇するような仕草を見せた。
夕闇が迫るゴンドラの中で、彼女は悪戯っぽく、けれどどこか真剣な面持ちで俺を真っ直ぐに見つめる。
「これは……わたしと付き合う覚悟を決めてくれた律くんにやから、特別に言うんやけどね。ほんまは、人様のお金のことに口を出したらあかんって、きつく言われてるんやけど」
一拍。
彼女は小さく息を吸い、確信に満ちた声でこう告げた。
「律くんも、第1種奨学金、借りたらええと思ってる」
「え……?」
「そしたら、バイトも減らせて、私ともっと会えるやん?」
そこまで一気に熱っぽく語り終えると、遥ちゃんは「ふーっ」と深く大きな息を吐き出した。
張り詰めていた空気がふっと緩み、彼女の頬にいつもの柔らかい、穏やかな微笑みが戻ってくる。
「さて……図らずも、『本当のわたし』をちょっとだけ、見せてしもうたわけやけど」
遥ちゃんは小首を傾げ、悪戯な笑みを浮かべて俺の顔を覗き込んできた。
「律くん。まだ、わたしと付き合いたいと思てる?」
その、試すような、けれどどこか愛らしいセリフと同時に、カチャリと静かな音を立てて、観覧車のゴンドラのドアがゆっくりと開いた。
◇
「そしたら、帰ろうか?」
観覧車からプラットホームへと降り立った遥ちゃんは、何事もなかったかのようにそう言って、トコトコと先を歩き始めた。
少し前を行くその小さな背中を追いかけながら、俺は沸騰寸前までオーバーヒートした頭を落ち着かせようと深呼吸した。
(──奨学金は、借りればよい)
ゴンドラのなかで遥ちゃんが熱っぽく語った真実は、今まで親や周りの断片的な情報から刷り込まれてきた常識を、根底からガラガラと覆すものだった。確実に、俺の頭の中で小さなパラダイムシフトが起きていた。彼女の言う通り、今の生活を、国の制度も含めて見直してみるべきなのかもしれない。
いや、それ以上に、あんなガチすぎる話題が彼女の口から飛び出してきたことに、ただただ圧倒されていた。ちょっと真面目で、おっとりした普通の女子大生だと思っていた彼女から、よもや「国の制度」だの「調達コスト」だの「金利の良し悪し」なんてワードが次々と口をついて出てこようとは。
この子には、一体何が見えているのだろう。
けれど──。
そんな彼女の想定外な一面を突きつけられても、俺の心は「それでも、ひとつだけ、確かなことがある」と、俺に告げていた。
俺は、その心の命ずるままに、その小さな背中に向かって、静かに、しかし、はっきりと告げた。
「遥ちゃん。 ──さっきはちょっと不意を突かれたけど、でも」
遥ちゃんの足が止まる。
「遥ちゃんへの俺の気持ちは微塵も変わらない」
刹那、振り返った遥ちゃんの瞳が、夕陽を反射してきらりと潤んだ。
そっと浮かべた微かな微笑みの隙間から、一筋の涙がその白い頬を伝い落ちる。
(……え、泣いてる!? なんで!?)
あまりの事態に、俺の心臓はドギマギと激しく脈打ち、パニックに陥る。
そんな俺の狼狽を察したように、遥ちゃんは「ふふっ」と小さく鼻を鳴らし、ハンカチでそっと涙を拭った。
「よかった……」
心底安心したような、掠れた声だった。
「わたし、ひとりでいらんことベラベラしゃべってもうて……。律くんに、嫌われてしもうたかもなぁって、思ってたんよ」
そう言って照れくさそうに見せる笑顔の横顔を、沈みかけた夕陽が優しく、オレンジ色に照らし出していく。
その瞬間、先日のカプリの丘で、彼女が不安げにこぼしていた言葉が鮮明に脳裏に蘇った。
『ほんまのわたしを知ったら、律くん、ひいてしまうかもしれへん』
そうか。遥ちゃんも、怖かったんだ。
自分の特異な一面を見せて幻滅されるのが不安でたまらなかったのに、それでも、俺たちの距離を縮めようとしてくれたんだ。
(──ああ、愛おしい)
彼女をこの手で思いっきり抱きしめたい衝動に駆られる。けれど、理性のリミッターでそれをぐっと堪え、俺はできる限り優しい声で言葉を返した。
「遥ちゃんから、思いもよらぬ専門的な話が出たからさ……正直、ちょっとびっくりはしたよ。でも、遥ちゃんが話してくれたことは理解できたと思う。……俺、奨学金とか授業料免除の制度のこと、調べてみるよ」
「そう? ……嫌な気にならへんかった?」
まだ少し不安そうに上目遣いで覗き込んでくる彼女に、俺は力強く頷いた。
「全然、大丈夫。むしろ、もっと色んなことを教えてほしい」
その言葉を聞いた瞬間、遥ちゃんの顔に、何の曇りもない、にかっとした満面の笑顔が咲いた。
「わかった! ありがとう。ほんなら──帰ろか!」
弾んだ声と同時に、遥ちゃんはすっと手を伸ばすと、俺の右手をきゅっと握りしめた。そのまま、ぐいっと俺の手を引っ張るようにして、駅に向かって歩き出す。
繋がれた彼女の手は、驚くほど柔らかくて、びっくりするほど温かかった。
(遥ちゃんと、手をつないでいる!?)
ようやく冷静さを取り戻しかけていた俺の脳みそは、想定外の第二波を喰らい、再び派手にオーバーヒートしたのだった。




