19 俺の青春は終わるのか!彼女の返事と推し活の成果
俺の顔を覗き込んでいた吉川さんの動きが、ピタリと止まった。
ざわめくコモンズの雑音が、急速に遠ざかっていく。永遠に時間が止まったかと思われたその時、吉川さんは、泳いでいた俺の目を真っ直ぐに見つめたまま、ゆっくりと、しかし、はっきりと口を開いた。
「ええと、その……」
一瞬、彼女の白い頬が、夕焼けのような朱に染まった気がした。
「ありがとう。水野くんの気持ち、とても、うれしいです」
「……っ」
「水野くんのことは男の子として嫌いじゃないし、むしろ授業で助けてもらって尊敬してる。でも、まだ付き合うとかはよく分からないから……」
──ああ、だめだ。
胸の奥が、冷たい手で雑に掴まれたように痛む。これは、典型的な振られる流れだ。
俺は、次に来るであろう決定的な「ごめんなさい」を受け入れる覚悟を決める。
さよなら、俺の、泡沫の青春。
「『友達から』で、ええかな?」
……あれ?
ぎゅっと目を閉じかけた俺の耳に届いたのは、拒絶の言葉ではなかった。
振られてはいない……のだろうか。首の皮一枚で繋がった状態と言えた。
大学生の男女における『友達から』の正確な定義は、後できちんと確認しなければならない。だが、少し照れたように、けれど真っ直ぐにこちらを見つめる吉川さんの表情から、少なくとも、バッサリと切り捨てられたわけではないことだけは分かった。
じわじわと、視界が明るくなるような喜びが胃の底からこみ上げてくる。
「……よろしくお願いします」
俺は舞い上がる心をどうにか抑えつけ、思わず勢いよく頭を下げて、右手を差し出した。
「はい」
吉川さんははっきりとそう言い、俺の手をそっと握り返してくれた。
差し出した無骨な俺の手を、小さくて、驚くほど柔らかい手の感触が包み込む。ドクドクと、お互いの脈動まで伝わってきそうなほどの熱が、そこにはあった。
その時。
──コン。
少し離れたところで、何かが硬い床に落ちて跳ねた音がした。
そちらに目をやると、一本のお茶のペットボトルが、コロンコロンと虚しく床を転がっている。
視線をそのまま上にスライドさせると、通路の影に、一条さんと田中さんが幽霊のように佇んでいた。
田中さんは両手で口を覆い、目を潤ませてこちらを見つめている。一方、その隣に立つ一条さんは、満足げな笑みを浮かべていた。
俺たちは、電流に打たれたように反射的に繋いでいた手を引き剥がす。
「あ、急用思い出した。私たちは、今日はこれで失礼します〜」
一条さんがロボットのような不自然な動きで田中さんの腕を取り、踵を返そうとする。
「ちょっと待ちっ!!」
吉川さんの声が、コモンズに響き渡った。
◇
テーブルに俺と吉川さんが並んで座り、その向かい側に、一条さんと田中さんが並んで座る。心なしか向かいの二人との距離が遠く感じられる。
田中さんはいまだに両手で口を覆ったまま、潤んだ目で俺たちを交互に見つめている。
「わたし、生告白って初めて見た……エモい。エモすぎるわ……」
そんな田中さんを余所に、吉川さんは口をへの字に曲げながら、正面の一条さんをびしっと指さした。
「さっきから、なんか怪しい思ててん。綾乃、水野くんのことけしかけたやろ?」
「あら、けしかけただなんて、人聞きの悪い」
一条さんは紅茶のカップでも持つかのように、お茶のペットボトルを手にしれっと返す。
「……いや、そうじゃないんだ。一条さんは、俺の背中を押してくれたんだよ」
これ以上一条さんが疑われるのは心苦しく、俺が代わりに釈明の声を上げた。
「背中を押した? そうなの? ……っていうか、なんで?」
吉川さんが不思議そうに小首を傾げる。
「なんでも何も、みずのんが遥にベタ惚れなの、傍から見ててまるわかりやったしな」
「え、そうなのか!?」
俺は思わず声を裏返して驚愕した。常にポーカーフェイスを決め込んで、クールな一匹狼を気取っていたつもりだったのに。
「それにさ、遥とみずのんは、わたしの『推し』やねん」
「推し?」
吉川さんがますます怪訝な顔をする。
そんな観客の疑問を置き去りにして、一条さんは演説でも始めるかのように朗々と語り出した。
「たった一人で見知らぬ土地にやってきた、生真面目な青年」
「方や、豊能の山奥から出てきたばかりの純情無垢な少女」
「山奥いうな!」
すかさず、吉川さんの鋭いツッコミが入る。
かわまず続ける一条さん。
「欲望と快楽が渦巻くこの関西大学のキャンパスにひっそりと佇む二人は、まるで、泥の中に咲く蓮の花…」
「な? このふたり、推せるやろ? もう、推すしかないやろ?」
「それ、めっちゃわかるわー。推せるわー」
田中さんがいまだに両手で口を覆ったまま、激しく同意して首を縦に振った。
「それで?」
一条さんは満足げに頷くと、人差し指で俺たちを交互に指さし、探るような目を向けた。
「君たちは、晴れて付き合うことになったのかい?」
「きゃっ」
その直球すぎる質問に、なぜか隣で田中さんが短い悲鳴を上げる。
俺は居心地の悪さに一つ咳払いをして、どうにか声を整えた。
「……まずは、友達から始めるということに、なりました」
「友達?」
田中さんが拍子抜けしたように聞き返す。
「友達て。遥、あんたそれ、蛇の生殺しやん。まったく、悪い女やなぁ」
一条さんがニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる。
「悪い女て。人聞きの悪い」
吉川さんは憮然とした表情で腕を組んだ。
「まあ、みずのんにしたら上出来や。よくできました」
一条さんはパチパチと小さく拍手すると、すぐに荷物をまとめ始めた。
「ほんなら、お邪魔虫はこの辺で退散しましょ。澪、ごはん食べに行こか。今日のおかずは、みずのんと遥、な」
「それ、めっちゃごはん進むやつやん」
田中さんも目を輝かせ、一条さんの後に続いて立ち上がる。
「ちょっと待って、俺たちは……?」
急に二人きりにされる気配を察知して、俺は思わず引き留めの声を上げた。
「しらんやん。関大前でも梅田でもどこでも行って、ふたりでしっぽりしたらええやん?」
「いや、ちょっと待ってくれ。この状況で、俺、吉川さんとこれから何話していいのか……」
情けない話だが、頭が真っ白で会話の引き出しが完全にロックされている。隣を見ると、吉川さんもコクコクと頷いていた。
「水野くんのことけしかけた責任、最後まで取ってちょうだい」
そんな俺たちの様子を見て、一条さんは深いため息をついた。
「へたれやなー……びっくりするわ」
あきれ顔で俺たちを見回した後、一条さんはふっと表情を和らげた。
「しゃあない。ほんなら、4人でごはん食べに行こか!」




