15 ようやくスタートラインに立ちました!女子大生投資家の誕生
2月。私立大学の受験は、約2週間に及ぶ長期戦となった。
私立大学の一般入試は試験日が複数用意されており、すべり止めの甲南大学は2回、そして本命の関西大学にいたっては、異なる入試方式を組み合わせれば最大で6回もの受験機会がある。
もちろん、1回試験を受けるごとに約3万5000円の受験費用がチャリンチャリンと飛んでいく仕組みだ。けれど、回数を重ねて打席に立つ数を増やした分、合格率が当然上がるのもまた厳然たる事実。だからこそ、周りの受験生も大体みんな複数回のエントリーをしている。わたしも、おじちゃんの「徹底的に手堅くいけ」という教えに基づき、甲南大学を2回、そして関西大学は4回受験するというポートフォリオを組んだ。
……合計6回分の受験料。計算しただけで、頭の中に札束が消えていく音が聞こえる。
ぶっちゃけ、完全に教育という名の「課金ゲーム」に踊らされている気がしてならなかった。
まったく、大学側も本当によくできたビジネスモデル(集金システム)を構築しているものだ。世間では「大学不要論」だの「学歴以外を重視した企業採用」だのといった綺麗事が毎日のように謳われていたりするけれど、これだけ巨大な経済システムがガチガチに出来上がっているのだから、今の受験偏重な社会システムはそうそう簡単に変わるわけがない。日経新聞を読んできた今ならわかる。これは教育であると同時に、あまりにも巨大なマーケットなのだ。
そんなことを、仕掛け人の視点から冷ややかに分析しつつも、プレイヤーとしてのわたしは目の前の問題に必死にしがみつきながら、2週間に及ぶ過酷な受験日程をすべて全力でこなしたのだった。
◇
そして、運命の合格発表の日。
わたしは実家の自室で、パソコンの画面を前にしていた。心臓がうるさいくらいに脈打つなか、震える手で合格照合サイトのページを開き、自分の受験番号を入力する。
画面が切り替わった。
【 結果 】
関西大学 経済学部 ── 合格
一瞬、文字の意味が頭に入ってこなかった。何度も番号を確かめ、赤い『合格』の二文字を凝視する。
「──やった……!」
わたしは椅子を蹴立てるようにして立ち上がると、階段を音を立てて駆け下り、リビングにいたお母さんのもとへ飛び込んだ。
「お母さん! 関大、受かった! 経済学部、合格したよ!」
「えっ!? 本当に!? よかったぁぁぁ!」
お母さんと二人、リビングの真ん中で手を取り合い、文字通りぴょんぴょんと飛び上がって涙ぐみながら大喜びした。
2年前の「働きたくない」と本音をぶちまけて大目玉を食らっていたあの頃のわたしからは、到底考えもしなかった最高の結果だ。
自分で目標を立て、それに向けて事前準備をし、時間を味方につけて努力を重ね、最後に結果をこの手で勝ち取る。それが、こんなにも嬉しくて、胸が震えるものだとは知らなかった。
しかし、喜びの波がひとしきり落ち着くと、不思議とすうっと冷静な自分が戻ってきた。と同時に、心地よい緊張感で全身の気が引き締まるのを感じた。
これはゴールなんかじゃない。むしろ、ここが本当のスタートラインなのだ。
これから、わたしの資本家としての道は、始まったばかり。
おじちゃんから学んだ経済の仕組みを、今度は大学という最高のアカデミアの舞台で、もっと深く、もっと広く体系的に学んでいくことになる。今回はそのための切符を手に入れ、ひとまず、手堅く一歩を進めただけに過ぎない。
市場の海は深く、資本家への先はまだまだ長い。
◇
3月、お彼岸。
おじちゃんと舞香ちゃんがおばちゃんのお墓参りに行くというので、わたしも一緒に連れて行ってもらうことにした。
おじちゃんが運転する車の窓からは、うららかな春の光が差し込んでいる。お墓のある霊園へと向かう道中、静かな車内にウインカーの音が規則正しく響いた。
「遥、大学の入学準備はもうできたんか?」
バックミラー越しにおじちゃんが聞いてくる。
「うん。スーツも買ったし、ばっちりやで」
そう答えたものの、わたしの胸の奥には、少し前から小さな塊のような不安が居座っていた。
春からは、関西大学の経済学部。本格的に「経済学」という未知の学問をがんばって学んでいくことになる。
(でも……わたしなんかに専門的な大学の授業が、ちゃんと理解できるんやろか。早々についていけなくなったらどうしよう)
そんな本音をポロッと口にすると、助手席に座っていた舞香ちゃんがシートベルトをきしませてくるりと振り向き、悪戯っぽく微笑んだ。
「大丈夫。大学受験と違ってな、大学の単位っていうのは『人脈』が物を言うねん。過去問持ってる先輩と仲良くなったり、真面目な友達とノート見せ合ったりな。そういう意味では、コミュ力高い遥やったら絶対に大丈夫やわ」
経験者である舞香ちゃんにそう太鼓判を押されると、現金なもので少しホッとする。けれど、自分の頼りない対人スキル(とおねだり力)だけにこれからの4年間をフルコミットするのは、さすがに心許ない。
「人脈が大事なのはわかったけど……それでも、純粋に経済学を学んでいく上で、ほかに重要なことってなんかある?」
もっと学問的なアドバイスを求めて問いかけると、
「数学やな」
舞香ちゃんが即答した。
「え?」
「うん、数学やな」
運転席のおじちゃんも、前を向いたまま深く同意するように頷く。
「……そうなん?」
それは完全に初耳なんですけど、と心の中で絶叫した。わたしは自他共に認めるド文系で、数学の脳みそは高校1年生の「数Ⅰ・A」の段階で完全に成長がストップしている。
「経済学ってな、言葉で説明するだけじゃなくて、数字を使って世の中の仕組みを証明していく学問やから、結構ゴリゴリに数学使うらしいで」
「そうそう。微分積分も普通に使うらしいで?」
おじちゃんと舞香ちゃんが、楽しそうに代わる代わる追い打ちをかけてくる。びぶん、せきぶん。受験で一切触れなかった、あの理系の悪魔のような単語が今ここで登場するとは思わなかった。
「うえ……」
わたしは思いきり天を仰いだ。経済学部って文系じゃなかったんか。
「まあ、せっかくの春休みなんやし、遊んでばっかりおらんと、ちょっと高校の数学の復習でもしといたら? 転ばぬ先の杖や」
おじちゃんがハンドルを切りながら、まるで他人事のように涼しい顔で言う。
「遥は案外、数学のセンスもあると思うで。知らんけど」
舞香ちゃんも慰めてくるけれど、全く慰めになっていない。
どうやら、資本家への道は、想像以上に険しいようだ。
◇
おばちゃんの眠る霊園は、山の緑に囲まれた小高い丘の上にあり、見晴らしが良くてとても気持ちが良かった。すっかり冬の冷たさが抜けた春の風に吹かれながら、周囲の木々の若い葉がサワサワと音を立てて揺れている。
きれいに掃除をして、真新しいお花とお線香を供えた「神崎家」の墓標の前で、わたしたちは三頭身よろしく並んで静かに手を合わせた。
(おばちゃん。おじちゃんと舞香ちゃんのおかげで、わたし、無事に大学に合格できたよ。)
目を閉じ、お線香の香りに包まれながら、わたしは心の中でしっかりとおばちゃんに合格の報告を伝えた。
目を開けると、隣に立つおじちゃんと舞香ちゃんは、まだ深く頭を垂れて、じっと目を閉じたまま手を合わせ続けていた。
きっと、二人とも、おばちゃんに伝えたい積もる話がたくさんあるのだろう。
不意に、ひときわ大きな春の風が優しく吹き抜け、お墓の前に佇む二人の髪を、そっと優しくなでていった。
おじちゃんと舞香ちゃんには、もう感謝の気持ちでいっぱいだ。
マンションに居候させてもらったというだけではない。わたしは二人の背中から、もっとずっと本質的で、目に見えない大きなものをもらった気がする。
思い返せば2年前。わたしは「働きたくない」という不純な動機から、おじちゃんの言葉に綺麗にのせられ、「資本家になりたい!」と鼻息を荒くしていた。
でも、世の中のお金というものの正体を学ぶにつれ、わたしの心境は少しずつ、けれど確実に変わっていった。お金を学ぶプロセスは、人間というものを学ぶプロセスそのものだった。そうして、人生で本当に大切なものは「お金だけじゃないんだ」ということに、いつしか気づかされたのだ。
それは、大切な人との温かい「人とのつながり」であり、目標に向かって自分を限界まで高める「やりがい」であり、そしてそれらすべての土台である「健康」といった、かけがえのない無形資産の数々。
もちろん、お金があるに越したことはないし、大金は大歓迎だ。しかし、お金はそれ自体が目的なのではなく、あくまでそれらの本当の価値を叶えるため、あるいは守るための、強力な『道具』にしか過ぎないのだ。
だから、改めて、今のわたしの本当の夢を叫ぶならば。
「わたしは、幸せになりたい」
これに尽きる。
ただ経済的に豊かになるだけでなく、自分の周りの大切な人たちと一緒に、心身ともに豊かで自由な人生を謳歌する。この究極の願いを最高の手際でかなえるために、わたしはこれから大学という新しいフィールドに飛び込み、本気で「資本家」を目指します。
だからね、おじちゃん。
まだまだ教えてもらうことが山ほどありそうよ?
おじちゃん、舞香ちゃん。
最高のスタートラインに立たせてくれて、本当にありがとう。
そして──これからも、ずっとよろしく!
明日より、女子大生編がスタートします。
大学生になった遥と、その仲間たちの新たな日常と、ここから始まる新しいストーリーを、引き続き温かく見守りながら読んでいただけると幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。




