ある視点~ダフネ・レオニールの場合
次回、第一章最終話です!
最後までよろしくお願い致します!
この牢獄に繋がれて、何日目になるだろうか。
ダフネは、日を数えるのを止めた。数えるほどに、今の境遇に発狂してしまいそうになるからだ。
ルークの殺人未遂の容疑で拘束された翌日、レオニール公爵家はダフネとの絶縁を発表した。貴族籍を失ったダフネは、貴族牢から一気に最下層の牢へと場所を移された。レオニール公爵家は降爵して、レオニール伯爵家となったようだ。
糞尿や鼠の這う音、重罪人たちの下品な声、言葉、揶揄いの視線、深夜行われる罵り合い――だが、看守たちも彼らを止める様子はない。ただ、ひたすらに彼らを侮蔑するような視線を投げかけ、監視している。
その彼らには、ダフネも含まれている。この上ない屈辱だった。
だが、それも仕方ないことだ。
起きたことは、全てダフネの責任だ。あの時、ダフネに計画を囁いた”ミシルの顔をした誰か”は、最初からいなかったかのように姿を消した。”本物のミシル”は、既に処刑されたと聞いている。……”本物のミシル”は、ダフネの巻き添えとなっただけだということは、誰も知るよしもない。
ダフネは、唇を噛んだ。せめて、と思う。
――せめて、あの”偽ミシル”を突き止め、処刑させることができれば……。
不衛生な環境で、足は既に色を失い、爪はひび割れている。靴は没収されていて、ダフネの足の裏は糞尿より吐き気のする臭いがした。髪はぼさぼさで、フケが囚人服に付き、肌は擦過傷や汗で荒れていた。命を断ちたくとも、腕に嵌められた自殺防止の腕輪がダフネの行動を制限する。
そんな悪夢が幾夜も続いたある夜、
「おい、百七十九番。おまえに対する陛下の沙汰が決まった。おまえはとある方のお慈悲で、無期の労働奉仕刑となった。これからは、そのお方のために生涯身を捧げろ」
看守がダフネを牢から出し、「歩け」と鞭で突いてくる。歩くだけで足が小さな石や棘で傷つくが、足の裏の皮が厚くなったのか痛みはない。泥や鼠を踏んだ足で上層の牢獄を幾つも階段で上がり、地上に上る。
カッと月の光が、ダフネの目を焼いた。長く闇にいた身にとって、今は些細な光さえもが天敵だった。
「ダフネ」
どこかで見覚えのある侍女服に身を包んだ女が、名を呼んだ。
これは確か――リーンシュタット公爵家の侍女服だ。
「さすがに汚いですね」
あからさまに鼻をつままれると、みじめで泣きたくなる。女は、ついてくるように、と言うと、荷馬車にダフネを放り込んで「お嬢様の元へ」と呟いた。
連れていかれた邸では、侍女たちが数人待ち構えて個室で服を剥がし、ダフネの体を水を含んだ布で擦った。その後に風呂場に連れていかれ、かつての公爵家令嬢時代と同様に湯あみをさせられた。
――一体、どういうこと?
最下層の牢に入ってからまともな食事をとってない。頭が働かず、ただ侍女たちに磨かれていくからだがあまりに貧相で情けなくて、今度は本当に涙がこぼれた。
軽く夜食も提供された。礼儀作法にのっとって食べたかったが、侍女が「急いでください」と睨むため、ややがっつく食べ方になってしまった。
もう自分は、本当に「ただのダフネ」なのだ。
商人の娘程度に思われるくらいのドレスを着せられ、靴を履かされ、やはり先程の侍女についてくるように、と言われた。
自然と、歩く足が震えた。
邸の構造は、レオニール家と変わらない。だから、わかった。
「ダフネを助けた慈悲深きお方」が、邸の人間の中でも上位に位置する者だと。
扉が開かれる。ダフネには、わかる。ここは、令嬢が客をもてなす応接間だ。
「こんにちは、ダフネ」
部屋の灯りが、ダフネの目を刺す。ダフネの頭が、ふらりと傾いだ。
イオレ・リーンシュタット、オフィーリア・モルガン、リズベット・ラーゲン、アイリーン・ヴェルヴェリー、ベル・ファレンハイト――かつてのライバルたちが、部屋に集っていた。
ふっとなぜここにターシャ・アッヘルがいないのかが気になった。
答えはすぐに解かれた。
「ターシャ様は、ルーク殿下の中継ぎ婚約者となられたわ。今宵は、ターシャ様のお披露目パーティーなの」
「そう、ですか……」
思ったより傷ついていない自分がいる。ターシャが選ばれたことに心から納得していた。
ダフネの心は、ラウザニッツ病の件での彼女の捨て身の行動でポッキリ折られてある。あの一件で、自分がいかに夢見がちに淑女教育に取り組んでいたのか教えられたような気がした。
「なぜ、イオレ、様はこちらに……」
もう己が公爵令嬢ではないことを思い出し敬称を付けて呼ぶと、彼女はニコリと微笑んだ。
「今回、わたくしがあなたの命を救ったことは、察しているのでしょう?」
「はい」
「陛下はあなたに慈悲をかける代わりに、わたくしたちにも色々と条件を出されたわ。まず、わたくしたちはこのまま『候補』としてターシャ様と対峙することが決まったわ。ターシャ様が役割を果たせなかった場合に備えて……ね? 歴代『中継ぎ』たちの先例もあるから、これは当たり前のことね。それで、ここからが本題なのだけれど……陛下はとってもあなたに興味があるの。あなたの見た――”偽ミシル”のことを、ね?」
イオレの言葉に目を瞬かせる。
正直に取り調べでは答えたが、あの話を信じてくれるとは思っていなかった。
「陛下は、ルーク殿下とその近辺の者たちの記憶が一日分欠けていることを懸念されているの。何者かによって記憶の操作が行われた。陛下のお見立てでは……これは、【妖精】の仕業なんですって。あなた……皇妃教育で【妖精】のことは習っていて?」
「……はい」
ミシルがミシルではないと気づいた時から、その可能性には気づいていた。ただ、教育の中では「御伽噺」として語られたものであるため、半信半疑だったが。
「わたくしたちに与えられた使命は、【妖精】の一族を見つけ、今回の一件で沙汰を下すことよ」
ダフネの体が内側から冷えていく。
「……わたくしは、何をすればいいのですか?」
「そんなの、決まっているではありませんか。一緒に【妖精】の一族を探すのですよ」
イオレがふふっと柔らかい笑い声を上げる。
「アイリーン」
「はい」
ダフネの前までアイリーンが立ち上がって歩み寄る。
「ダフネさ、いえ、ダフネにはぁ、イオレ様と隷属臣従関係を結んでいただきまぁ~す。身分はいわゆる、奴隷ですねぇ。隷属魔法は、このわたし、アイリーンが魔力で援護致しまぁす!」
アイリーンの手には、首輪が握られてある。隷属の首輪――奴隷が身に着ける、主に逆らうと首を絞める代物だ。
「いかがかしら、ダフネ?」
ダフネは、ぎゅっと目を閉じた。
隷属魔法は、主の命に何でも従うものだ。主が死ぬと、首輪が絞まって自分も死ぬ。主が精神を病むと、自分も病む。心も体も全て主と共にあるので、陛下に使える政務高官たちの許可がいる。
ということは、これは皇帝陛下も承知の上なのだ。
「承知、しました」
選択肢など、最初からないのだ。
「では、アイリーン。早速ですが」
「はぁい」
へらへらと笑っていたアイリーンが、ふっと真顔になる。
「……ダフネ、今からちょっと予想外のことが起こると思うんですけど、承知してくださいね?」
言っている意味がわからないが、頷く。アイリーンはほっと息を吐くと、「では、いきまぁ~す!」と声を上げた。
「主、イオレ・リーンシュタット。奴隷、ダフネ。汝らの血によってここに誓い、汝らを隷属的臣従の関係と成す――”ワタシヲミテ”?」
「――っ?!!」
アイリーンが最後に呟いた言葉を聞いた瞬間、目が彼女の深紅の目から離せなくなった。
首輪が一気にダフネの首の形に嵌る。
アイリーンの瞳の色がより一層濃い赤に染まっていた。
【ワタシヲミテ。ワタシニ、スベテヲ、アケワタシテ?】
今さらながら、思い出す。
アイリーンは、未知の固有魔法『魔眼』の保持者だ。
――だから、わたくしは。わた、クシ、ハ……?
自我というものが、ゆっくりと闇に包まれていくのを感じる。激しい恐怖がダフネを襲った。これは、隷属魔法だけではない! ダフネが、この世から消えていく……!
――タスケテ。
自我が消える前に、部屋にいる令嬢たちの顔を見回した。誰もダフネの状況に気づいていない様子。イオレ、アイリーン、そして、令嬢が三人――あっと唇から息が漏れる。
「イオレ、あの、ひと……」
令嬢の内の一人に手を伸ばす。手は、令嬢たちの顔をさまよって、ブレて、定まらない。
「あの、ヒト……」
最後に彼女を指差したつもりだったが、認識するほどそこまで自我は残っていなかった。
指差した”彼女”の瞳の色が、桃色に変化している。
――彼女が、偽ミシル。
次の瞬間、「ダフネ」の精神は、この世から消え去った。




