エピローグ―新しい家族たち―
皇帝夫妻に「ルークの婚約者(家族)」として離宮でのお茶会の招待状を受け取ったのは、中継ぎ婚約者が発表されてから二週間後のことだった。
モアナによって、皇帝に会う程度に品よく上質に、けれど内輪の茶会程度の身軽さを備えた青色のドレスを身にまとった。唇に紅を、目元が優しく見えるよう瞼に白のキラキラとしたパウダーを塗られた。髪は、複雑に幾つかの編み込みにして、うなじ辺りでひとくくりにまとめて左肩に流している。まとめ髪を止めるリボンにもルークの瞳の色が使われていた。
「それでは、いってらっしゃいませ」
離宮のルークの住む一角の大部屋の前で、モアナやマーカスは待機することとなっている。この茶会は、家族たちの集い――必要最低限の人数に絞られてある。
「姫様、どうぞこちらに」
ポーラが微笑む。すっかり「姫様」呼びが定着してしまっていた。
ターシャは後ろを振り返って、笑ってみせた。
「行ってくるわ、モアナ」
部屋に入ると、四つほどのテーブルと椅子が整えられ、その周りを招待客たちが座っていた。
「あら、いらっしゃい。ターシャ」
皇妃マリアが、奥のテーブルでゲオルグと隣通しで座っている。こちらに手を振ると、招待客たちが一斉にターシャの方を向いた。
「あ……」
とても驚いた。……誰の視線もターシャに敵意を持っていないことに。
マリアのテーブルからルークと少女が一人立ち上がる。少女は、金髪を頭の天辺で一つにまとめ、焦げ茶の瞳を輝かせていた。どちらかというと、優しげな面差しはマリアに似ているだろうか。
貴族年鑑で何度も拝見した御顔だ。すぐに最上級の礼を取る。
「ヨアンナ皇女殿下、お目にかかれて光栄です。ターシャ・アッヘルと申します」
「こんにちは! 未来のお義姉様!」
「皇女殿下、その、お義姉様というのは」
「いけないかしら?」
――「お義姉様」だなんて……いくらなんでも性急すぎないかしら?
やや不安を覚えて招待客を見やるが、皆温かな笑みを浮かべていた。ルークもいつも以上に麗しく微笑んでいる。
「いえ、皇女殿下にそのように呼んでいただき、光栄の極みにございます」
「いやだわ。ヨアンナと呼んでちょうだい? 離宮では敬語も省いて構わないわ」
ルークの妹らしいと言うべきか。兄妹で言うことが似ている。
「……ありがとう、ヨアンナ」
感謝を示すため、扇子を首元まで下げて笑みを見せると、ヨアンナの頬が赤く染まる。
「……お兄様が初恋を手放された理由がわかる気がしますわ……」
「え? わたくしとルーク殿下は理性的協力関係ですわよ?」
――わたくしたちは、”新時代”を共に迎えるために同盟を結んだようなものだもの。
そう考えると、少し寂しさのようなものが胸を通り抜けていく。……なぜだか。
「……まあ」
ターシャの言葉にヨアンナが困惑した表情を浮かべ、兄を見やった。
「お兄様ったら……案外ポンコツですのね」
「ヨアンナ、少し黙るんだ」
よくわからない応酬をしたルークは、不満そうにターシャを見つめる。
「ターシャ、ここは離宮だ。『殿下』ではないだろう?」
「今日この場では、『ルーク様』で勘弁してくださいませ」
これ以上の譲歩はできない。皇帝夫妻の前でルークを呼び捨てできるほど強い心臓ではないのだ。
皇帝一家の集まるテーブルまで連れられ、挨拶をする。ドレスの裾を掴もうとすると、ルークがかすかに首を横に振った。ここでも、挨拶は砕けたもので構わない、ということだろう。軽く腰をかがめる程度にした。
「よく来たな、ターシャ」
皇帝ゲオルグは、公の場で見られない気の緩んだ表情を浮かべていた。
そこでようやく、本当に内輪の茶会なのだと実感する。
「こういう内輪の会では、お義父様と呼ぶように」
「あと、わたくしのこともお義母様と呼んでちょうだいな」
「かしこま……わかりましたわ。お義父様、お義母様」
ターシャには、『皇妃』となる自分が想像できないし、『中継ぎ』のまま終わるだろうと思っているが。厚意はありがたく受け取っておく。
少し胸が温まる。
――一時的でも、ここはわたくしの新しい家族なのだわ。
「ごめんなさいね。リュカはまだ幼くてお茶会には出せないの。また次の機会に会わせるわ」
「ご配慮、ありがとうございます」
「ねえ、お義姉様。噂で聞いたのだけれど、お兄様からリルシィ王国の指輪を贈られたんですって?」
「ええ、ヨアンナ。その通りよ。今は翡翠色だけれど、日に当てれば……ほら」
薬指を陽光に当てると、ルークの瞳の色に変わる。その色にわずかな虹色の輝きが帯びていた。
「素敵……。さすがわたくしの留学先に決まっただけのことはあるわね。積極的に技術を学ばなければならないわ……」
パチ、と思わず目を瞬かせる。
「ヨアンナは、リルシィ王国に留学するの?」
「そうよ! いずれ皇帝となられるお兄様のために、外国の文明をたくさん吸収してくるつもり!」
「……左様ですか」
――思っていた通り、陛下はヨアンナ様にも『皇族の権力』を分け与えるつもりなのね。いずれは、ヨアンナ様を使ってテオルド皇弟殿下の皇位継承順位を下げるつもりなのだわ。
今のラトヴィア帝国が、他の諸国より遅れている……ともいえる制度がある。
皇位継承権は、男系男子に限る――という点だ。東にある大国エヴァーミン王国では、次期王位は国王の第一子である王女殿下と定められている。
ターシャは、扇子越しにヨアンナを見つめる。
ちょうど御年十六歳。ターシャと同い年。留学先のリルシィ王国でかなりの実績を得たら――ルークの皇位継承権を揺るがす第二の存在となるかもしれない。
もちろん、第一の相手はテオルド皇弟殿下だが。彼のお方の抜きんでた功績は、皇位継承順位を無視すれば若いルークより数段上だ。
皇弟テオルドは、ターシャにとっても要注意人物となるだろう。
今回のお茶会にも参加されていないようだし……。
「本当は、テオルド叔父上も招待したかった……」
「ルーク」
ルークの呟きを聞き取ったゲオルグが、顔をしかめる。
「不用意な発言は控えよ」
皇帝の表情には、弟に対する苦々しい思いが滲んでいた。
ターシャには、それは”怖れ”に映った。
「……申し訳ありません、父上」
少なくとも、ルーク自身は皇弟を悪く思っていないらしい。父子の間に考えの不一致があるのは確かなようだ。
ざわざわっと部屋の入口扉向こうから声がする。
「皇弟殿下! 困ります! どうか……ガッ」
「おやめください、皇弟殿下……あっ」
マーカスとモアナの声がプツリと途切れる。
「呼ばれてないといっても、兄上が茶会に来るのを禁じているわけではあるまい? 招待状をもらってないだけだ」
「それは、禁じるのと同義です! あと、侍従たちを気絶させる時点で、陛下の逆らったと同じことです!」
「ウィルの言う通りだ! どうかお引き取り……をぉっ!?」
あれは、この前のパーティーで改めて紹介されたルークの側近――ウィルとトールの声だ。
ドゴッドゴッと殴りつける音が二つ聞えてきた。
ゲオルグとマリアの顔が強張る。
ルークが困惑と期待の混じった表情で立ち上がった。
「おじう――」
扉が荒っぽく開かれる。マーカス、モアナ、ウィル、トールが床に伸びている姿に婦人たちが悲鳴を上げる。
「テオルド!」
ゲオルグの怒声が響き渡る。
「久々だなぁ、兄上! ルークが婚約したと聞いて、参上した次第だ!」
ウィルたちを殴った拳をもう片方の手で擦ると、テオルドと呼ばれた男はニカァッと豪快に笑った。
「しっかし、ひどいじゃないか兄上! ルークの婚約者に会わせてくれないなんて。この前の婚約者発表パーティーも行くのを禁じられて、ほんっとイラっとしたからな! 今回の茶会は強行突破させてもらった!」
「婚約者ではない。中継ぎ婚約者だ」
「どっちでも一緒だろぉ?」
ゲオルグの苦虫を潰した表情を意に介さず、テオルドが扉から一歩一歩ターシャたちのいるテーブルまで歩み寄ってくる。
――全然、陛下と似ていらっしゃらないわ。陛下と母違いの兄弟なせいかしら?
皇弟テオルド・ルウー・ラトヴィア。先帝の第二皇妃との間の子で、生まれたその瞬間から両親及び周囲に疎まれて育った。第二皇妃自身は先帝から寵愛を一身に受けた方なので、なぜその子であるテオルドが疎まれたのかは誰も知らない。
でも、この姿を見て、少しわかった気がする。先帝を含め、テオルドの姿は全く皇帝一族と似ていない。
夜に向かう空の色を模したような紺色の長髪、何色とも説明しがたい透明な水晶のような色の瞳。ルークやゲオルグが霞むほどの、圧倒的美貌。
――まるで、神がその手で描かれたかのような綺麗な人だわ。
「この娘が、ルークの愛しの婚約者か?」
いつの間にかテオルドは、ターシャの目の前に立っていた。
慌てて立ち上がり、ドレスの裾をつまんで最上級の礼を取る。
「ターシャ・アッヘルと申します……テオルド皇弟殿下」
無様な姿を見せまいと、力強く顎を上げ、扇子を下ろしてテオルドに顔を見せる。
瞬間、テオルドの瞳に走った感情は何だったのだろうか。
動揺、疑念、そして何かを愛おしむような表情――三秒ほど、彼の体から凄まじい圧を感じた。ターシャは、これが”何か”を知っている。甚大な量の魔力だ。
「……叔父上?」
ルークが呆然とした表情で椅子に座り込んだ。魔力にあてられたのだろう。
「……失礼した。俺は、これで帰る」
テオルドはそう言って、さっと身を翻し、元来た扉の方に踵を返す。
扉が閉じる時に彼が言ったその言葉は、重くお茶会の場に響いた。
「そうか。あれから十六年経つのか。…………俺も年を取るはずだな」
――ナタリア。
――テオルド殿下は、お母様をご存じなの?
頭がぼんやりとする。なんとなくテーブルに座る他の人たちに視線をやって――背筋に寒気が走った。
ルークはターシャ同様、ぼんやりとしている。
ゲオルグは顔をしかめ、必死に動揺を隠しているようだった。その隣でマリアが扇子で顔を隠しているが、その手は明らかに震えている。
ターシャは、もう一度扉の向こうを見つめた。
モアナたち四人が床に伸びている。なのに、ゲオルグたちは侍従たちに危害を加えたテオルドが去るのを黙って睨んでいるだけだ。
何かが起きている。いえ、既に始まっているのだ。
ターシャも、テオルドの背を睨む。嵐のように訪れて去った、その背を……見つめ続けた。
それは、『中継ぎ』となったターシャのこれからの行く末を暗示しているかのようだった。
第一章、これにて完結です。
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