再びあの庭園で、あなたと。
次回投稿は、7/1(水曜日)の16:30です。
よろしくお願い致します!
ターシャは、皇宮庭園の東屋の椅子に座り、庭園の花々を見つめていた。
季節ごとの花が咲いているが、興味があるのは花というより、その根元に細々と植えられた薬草だった。
――ここにも、『ミツルギ草』と『アリアネ茸』があるのね。
これまでは、【未解決の調合法】とされてきた薬の原材料。
ターシャが解明するまでは、これらはきっと、願いを託すために育てられてきたのだろう。――未来の研究者に解明されることを願って。
母は知っていたのだろうか。調合法を。
シュールニッツ家の血筋を引くという点では、ターシャと同じだ。娘に原材料の潜在能力を話していたのだから、既に知っていたとしてもおかしくない。
もし、知っていたのなら、母は――。
「待たせて、すまない」
「……ルーク殿下」
ターシャの思考を遮るように、待ち人は現れた。
素早く立ち上がって礼を取ろうとして、ふらりとよろける。扇子を片手に持っていると、病明けの体はすぐバランスを崩してしまう。
揺れたターシャの背中に、ルークの手が添えられた。
「も、申し訳ありま」
「いいんだ。俺がやりたくてやっていることだ」
パチリとターシャは目を瞬かせた。
今、殿下が『俺』って……。
これってつまり、どういうことなのだろう。
「座って」
ルークは背を支えたまま、ターシャの着席を介助する。
「まだ、具合が悪いのか?」
遥か遠くの海のように青い瞳に射抜かれ、一瞬息を止める。
容姿端麗な殿方に近距離で見つめられるのは、心臓に悪い。
静かに首を横に振る。
「いいえ、ご心配に及びません。病が完治して、二週間が経ちますもの」
「そうか」
ターシャが席に座ると、ルークはさっさと対面の椅子に座った。
その足取りにふらつきがなく、本当に解毒は完了したのだと知って、ほっとした。
ダフネの所持していた薬の解析が進み、あれがルークの”ラウザニッツ病擬似毒”を無効化させるものだと判明して、陛下により全ての沙汰が下されて二か月ほど経っている。
ルークの擬似病は、ダフネに解毒薬で十分対応できるものだったらしく、追加の解毒薬は必要なかった。後遺症もなかったので、一時期出回っていた「テオルド皇弟殿下に皇位継承権一位の座を譲渡する」という噂もすっかり消えた。
逆に病を完治させるのに苦労したのは、ターシャの方だった。侮ってはいなかったが、予想以上にラウザニッツ病の恐ろしさを知る結果となった。イザベル・ルッツが二週間ほどで回復したとされる病を完治させるのに、ターシャは一か月半を要した。
それもそのはずだ。「本当にラウザニッツ病の特効薬となり得るか」を証明するために、ターシャは一週間以上過ぎて喀血症状が現れるまで薬を服用しなかったのだ。幸い、薬は劇的に作用し、数日後に控えた皇帝によるダフネの断罪劇までにほぼ快復したものの、後遺症が治るまでに時間を要した。
そうして、事の次第を知ったモアナの怒りは頂点に達した。
今回の計画は、スーザンとリズベット及びラーゲン侯爵の助力によって、成功した。ターシャが「治験患者となる」案は、皇帝陛下に直接手紙にて提案したら通らなかっただろう。スーザンのいう【影】としての役割を持つラーゲン侯爵家を利用することは正しかったのだ。
スーザンは、ターシャが倒れている間、一切の看病を担い、モアナを寝室に近づけなかった。モアナが計画に納得しないことは計算済みだったので、スーザンは少々強引に彼女を一時的に”排除”した。
本当に想定外だ。
――スーザンが、モアナに睡眠薬を盛るなんて。しかも、一週間眠り続ける……いわば”仮死状態”にする薬を使用するなんて。どうやってモアナに計画を気づかせないのかと思っていたけど、随分過激なやり口だ。
目が覚めた後のモアナはもちろん激怒したが、ジルバが「わたしは大丈夫だと思っていたので、放置しておきました」という一言で矛を収めたのは意外だった。ターシャは知らなかったが、ジルバは『アッヘル家の”鼻”』と呼ばれていて、重大な局面での”勘”が働くらしく、モアナはその点をすごく信頼しているようだ。というより、スーザンも計画をジルバに相談していたそうで、彼女が「否」と言えば計画は中止するつもりだった……と事後報告で言われた。
ジルバの見方を修正する必要がある、と認識した一幕だった。
「ダフネ様は、無期の労働奉仕刑に処されたそうですね。確か、イオレ様がレオニール公爵家を勘当されたダフネ様の情状酌量を請願され、後見人となられたとか」
「ああ」
ルークの眉尻が、やや下がる。
「皇族を害そうとしたのだから、本来は毒杯を賜るのが妥当だが。どうやら父上とイオレが取引をしたらしい」
「取引?」
「今は聞くな」
しばし沈黙が流れる。
だが、嫌な沈黙ではない。
「承知致しました」
今は、ということは、いずれ話してくれる日が来るだろう。
「事実だけを話すとしたら」
ルークが口を開く。
「此度のことで、前々から噂されていた”皇位継承権保持者の少なさ”が問題となった。今の帝国では、皇位継承権は男系男子のみとなっている。俺と弟のリュカ、そして皇弟のテオルド叔父上の三人――しかも、仮に俺が死んだら幼いリュカには政治を任せられない。そのことで、父上は……色々と考えておられる」
「お噂で耳にしました。皇位継承権順位が、入れ替わるそうですね。リュカ殿下に替わって、皇位継承権第二位にテオルド皇弟殿下が就かれる……とか」
「話が広がるのが早いな」
ルークの青い瞳が長い睫毛の下に隠れる。
「ここだけの話だが……父上はテオルド叔父上が皇位を継がれる可能性を気にかけておられる。今回のことは、『一時的処置』だ。父上は、代案をお考えだ」
そこで、口をつぐむ。今度は、言われなくてもわかった。今はここまで……というわけだ。
テオルド皇弟殿下は、大変優秀で人徳のあるお方と噂には聞いている。皇帝陛下の御心の内は知れないが、テオルド殿下が皇位を継いではならない理由があるのだろう。
だとしたら、イオレが陛下と取引した内容は――。
ターシャは視線を手元のティーカップに向ける。
イオレの『候補』としての優秀さは、正直ダフネより上だ。ターシャがいくら活躍したからといって、リーンシュタット公爵家とアッヘル伯爵家との権力差は縮まらない。
ダフネを庇うことは、リーンシュタット公爵家にとって害でしかないはず。だから、イオレ個人が情状酌量と後見人となることを求めた。
――これではまるで、イオレ様はリーンシュタット公爵家の意向と矛盾しているかのよう。
以前のモアナとの会話を思い出す。
――『イオレ様の意思ではなく、公爵家の方針だった場合』、イオレは親ダフネ派閥に加わる可能性がある。ダフネ様を利用して、陛下と個人取引する行為。それに陛下が応じられたのだとしたら、陛下にとっても利がある内容で。…………陛下はテオルド殿下に皇位を継がせるつもりはない。
一つ考えが浮かんだが、それは今聞くタイミングではない。
「今日、お茶会に招待なさったのは、わたくしだけですの?」
そのことが、気がかりだった。いくらターシャが、皇族に恩を売ったようなものであれど、こうもルークと個人的に会う機会が多いのは、彼の立場上良くないだろう。
「わたくしを贔屓にしているようだと、肩身が狭いですわ」
遠回しに他の令嬢を誘え、と告げてみる。
ルークがふっと笑った。どことなく楽しげだ。
「今日は、君に大事な用事があって招いた」
ルークが立ち上がって、ターシャの傍まで歩み寄る。ターシャが立とうとすると、「そのままでいい」と返された。
ルークの体が、ターシャのドレスの裾に触れそうなほど近寄る。改めてその美しい容貌を目にすると、呼吸が止まりそうになった。
「殿、下?」
「ターシャ・アッヘル嬢」
ルークがズボンのポケットから小さな小箱を取り出す。ベルベット生地の重厚な赤の小箱。
ターシャが、おとぎ話や恋愛小説でしか見たことがないもの。
「俺の中継ぎ婚約者として、君を迎えたい」
開けられた箱には、翡翠色の石がはまった指輪が収められていた。
陽光を反射すると、指輪の石が一瞬青色に光る。
ちょうど、ルークの瞳のような青色に――光った気がした。
まさか、これは。
「君のご推察通り、南方諸国の一つ――リルシィ王国の高温炉で作られた”宝石”だ」
箱から取り出された指輪は、不思議な色味を帯びている。青色にも翡翠色にも――一瞬、虹がかかった時のような透明度の高い青空にも見える。
「”宝石”といっても、ただの宝石ではない。リルシィ王国の技術の結晶であり……ラトヴィア帝国の未来を映すものだ」
「未来?」
「『新時代』が間近に迫っているのだろう? 俺は、君と共に新時代の荒波を乗り越えていきたい。これは、その証だ。……どうか」
受け取って欲しい……という声は、緊張と不安で震えている。
知らず知らずのうちに、ターシャも扇子を握りしめていた。右手で。
――殿下の気持ちが、ただの友愛だったとしても。
不安なのは、ターシャだけではないのだ。帝国の未来を背負っているルークも、色々な状況に囲まれ、悩み、違った理由であろうと……ターシャに拒まれることを恐れている。
――だから。
「……指に嵌めてくださいな」
はっとルークの瞳が見開かれる。
若干潤んだ両目は、確かに喜びに満ちていた。
――今のターシャは、それだけで十分幸せだった。
ルークの手が、ターシャの手袋を外し、露わになった左手の指先を持ち上げる。
薬指の根元をルークの指先がなぞる。くすぐったさにゾワッとした。
ゆっくり、指輪が嵌められていく。何かの魔法が込められていたらしい。石がすっときらめくと、ややブカブカだった指輪はちょうどターシャの薬指のサイズにぴったりとはまった。
――わたくしの、可愛いターシャ。
ふと耳元に、母の声が聞こえた気がした。




