賽は転がっていく、どこまでも。
次回投稿は、27日(土曜日)13:00です。
よろしくお願い致します。
その日の朝、ルークは『昨日』の記憶がないことに気づいた。
気づけた理由は、簡単だ。執務室で『今日の分の決裁書類』に手を付けようとしたら、その書類はルークの記憶では『明日』判断するはずのものだったのだ。マーカスに今日の日付を確認すると、彼は困惑した表情で『明日』の日付を教えてくれた。
ということは、ルークの認識する『今日』とは、『明日』ということになる。
そのことをマーカスに伝えると、彼は血相を変えて部屋を飛び出し、医師を呼んだ。
そうしてやって来た医師を見て、ルークはますます不安を覚えた。
その医師は、皇室専属医師ではなく、ラーゲン侯爵――帝国の影専属の医師だったのだ。
異変はさらに続いた。診察を行うルークの私室に父帝ゲオルグと母マリアまで乱入したのだ。
「昨日の記憶がないのか!??」
ゲオルグの隣には、ラーゲン侯爵もいた。
「マーカス、昨日ルークが何をしていたか覚えているか?!」
「もちろん、覚えております。陛下、確か……」
そう言いかけたマーカスの眉間に皺が寄る。ふらっとその場に倒れそうになった彼をラーゲン侯爵が脇から支えた。
「確か……タシカ、ルーク様ハ……ワカラナイ」
マーカスの瞳が暗く濁る。ふっとその背中から黒い影が這って出てようとする。
バシン、とラーゲン侯爵が背中を叩いた。
マーカスがはっと我に返る。
「わたしは……今何を」
「いい。思い出さなくていい。おまえも今日は休め」
「しかし……」
「マーカス、これは皇帝であるわたしからの命令だ。従いなさい」
「……承知、致しました」
そう言ってゲオルグに頭を下げたマーカスは、ふらふらとした足取りで部屋を退出した。
ルークは「記憶」以外にも体に変調が起きつつあることに気づいた。
両足に痺れが出てきて、徐々に腫れ始めている。喉の奥が締まって熱っぽく、声が出しにくい。手が灰色を帯び始めている。
この症状は、「知識」として覚えがあった。
「ラウザニッツ病です」
医師の診断にゲオルグは顔を強張らせ、マリアの肩はガタガタと震え始めた。
そうなるのも無理はない。この病に明確な治療法はなく、自然治癒を祈るしか術はない。発症原因も不明で、空気感染ではないことだけは近年の研究で明らかになっている。確かなのは、「ラウザニッツ病患者の血液を摂取した者は、確実に感染する」ということだけだ。
そして、ラウザニッツ病の致死率は八割を超える。手足が腫れたり灰色に変色する初期症状の次に現れるのは、高熱と喀血。最終的には、喀血による出血過多で死に至る病だ。
「この症状だと、もって二週間かと」
「ラーゲン侯爵。城内にかん口令を敷け」
「はっ」
父帝の命に【エレイン】の長は胸元に手を当てお辞儀をする。
「それと、侯爵にはもう一つ調べてもらいたいことが。……アッヘル伯爵令嬢のことだが――」
――ターシャ?
既に発熱が始まっていた。ルークの中に死への覚悟と共に、死ぬ前に会いたかった「彼女」の顔が浮かんだ。
七歳のルークが心惹かれた、翡翠の瞳の令嬢。
「――【妖精】の一族が動き始めるとは厄介ですな。その目的は……」
「いいか、侯爵。ターシャ・アッヘルの能力が発現したら、真っ先に伝えよ」
――なぜだろう。俺の中の「彼女」は、十歳の少女の姿のままなのに。
ルークの中で、あの時の記憶の続きがよみがえる。
七歳のルークは、庭園で「彼女」と出会った。
「彼女」が立ち去った後、庭園の奥から一人の幼女が飛び出してきた。
『あなた、だぁれ? ”お姉ちゃん”のおともだちぃ?』
そう言って彼女は、にぱあっと笑った。
その瞳には、翡翠の湖が埋め込まれていた。
****
「……あ」
「どうかされましたか?」
「……ううん。なんでもないわ、モアナ」
不審に思われないように、笑みを取り繕う。モアナに知られるわけにはいかなかった。
たった今、「先見」をしたことを。
病に侵されているルークを特効薬を持ったダフネが助ける「未来」だった。
だが、ターシャが視たのは「未来」だけではない。
『偽物』、『薬』、『ラウザニッツ病』、『嘘』、『毒』――「未来」に関わる『情報』も読み取ったのだ。
ターシャは、目元を手で覆って声を上げた。
「モアナ、疲れたから寝室で一時間ほど休むわ」
「かしこまりました。どうぞお大事に」
寝室で一人きりになると、ベッド脇のランプ灯の傍らでターシャは全身の血流を意識し、魔力の流れを感覚で捉えた。
そうして、念じる。
教えてちょうだい。『ラウザニッツ病』のこと、ダフネ様の持つ「特効薬」のこと。――「未来」をわたくしに見せて!
求める『情報』全てを「先見」するには、三十分ほど時間がかかることはこれまでの経験上わかっている。「先見」を終えた後、魔力が回復するのにさらに三十分かかることも計算済みだ。
モアナには、絶対に言えない。「先見」の魔法を習得し、使いこなしつつある……なんてこと。
彼女とは約束した。現在の『情報』を読むのはいいが、もし仮に「先見」の魔法が発現したとしても絶対に使わない……と。
『「先見」は、ターシャ様の母ナタリア様の一族が持つ能力です。ですが、彼らの寿命が齢四十を越えたことはありません。……「先見」をする力の”代償”と思われます』
母の一族についての説明を受けて、妙に納得してしまった。
――だから、お母様はあんなに早く亡くなったのね。
自分の死期が早まるから能力を使うな、とモアナは言う。
だが、ターシャは「先見」することに恐怖はなかった。むしろ、この能力のために自分は生きてきたような気さえした。
死が怖くないとか寿命が縮まる実感がないとか、そういうことではない。
そっと、胸元にある母の形見のペンダントに触れる。
初めて「先見」をしたのは、無意識な行動だった。モアナがターシャの元へ戻った日。「約束」した直後のことだった。
ダフネが”中継ぎ婚約者となった場合”の「未来」を視た。
ダフネは、帝国至上主義の父の影響を受けた「婚約者」の振る舞いをし、帝国にとって弱小とされる国々を敵に回した。帝国は弱小国が生み出したカガク技術の輸入をする機会を失い、「先進国」の立場を失い、落ちぶれていく――そんな「未来」だった。
「先見」をした時、ごっそりと体内の魔力が失われるのがわかった。手足の先がさーっと冷えた。これが「寿命」を削るということなのか――そう思った瞬間、ペンダントのサファイアが青白い光を帯びた。
ペンダントが光ると、ターシャの体の血流がぽかぽかと温かくなるのを感じた。
まるで、ペンダントがターシャの削られた寿命を継ぎ足したかのようだった。
その解釈は間違っていない、という直感があった。
「先見」の能力が使える母が「ターシャの助けになる」と言って、このペンダントを残したのだ。だとしたら、ターシャの「先見」魔法の発現も「先見」していたはずだ。
ペンダントの機能はわからないことだらけだが、母はターシャの魔力と記憶を中に封じ込めていた。
それも全て娘を守るための事前の策だったとしたら――”娘が「先見」するようになった場合”の策も考えたはずだ。
ペンダントによって活力を取り戻した体内の血流に気を配ると――「寿命」を削った痕跡はなくなっていた。まるで傷痕を治癒魔法で癒したかのようだった。
大丈夫だ。なんとなくだが、今もお母様がわたくしを守ってくださるのがわかる。
モアナにそのことを打ち明けてもよかったが、彼女なら心配が先に立って、「先見」使うのを反対する立場を変えない気がした。
以来、「先見」していることは隠している。
ターシャは、再び思考を現在に戻し、先ほどのルークとダフネに関する「先見」を再開させた。
一人の令嬢の姿を視た。
数日前に面会したウォーレー子爵家の令嬢シュミナに似た女性だ。
――『病』、『薬』、『被験体』、『血液』。浮かんだ文字に「欲しい未来」を混ぜ合わせると――一本の「未来」に幾つかの分岐点が生まれた。
やるべきことは、決まった。
「……スーザン」
弱弱しい声を発すると、数拍後にコンコンと寝室の扉がノックされる。
「ターシャ様、水差しを持って参りました」
彼女は、きちんと主の「合図」を察してくれたようだ。
「入りなさい」
水色の三つ編みを下げた侍女は、扉を素早く開けて後ろ手に閉める。
「スーザン。あなたに頼みたいことがあるの。皇帝陛下に手紙をしたためることは可能かしら? 皇妃様でも構わない。……早急にわたくしの策を知らせたいの」
「それが、アッヘル家当主様のためになるのであれば」
「ラトヴィア皇族のためになるわ。それと、このことはモアナには隠しておきたいの」
そう言葉を切った後、淡々と”これからするべき計画”について話をする。
しばしの沈黙の後、侍女は首肯した。
「それでしたら、わたしの方からも一つ良い案が」
ほっと息をつく。やはり、この「監視係」はターシャを第一に考えない。
だから、ターシャの体を張った計画を任せられる。
「ラーゲン侯爵家令嬢リズベット様が、わたしたちの派閥に加わりたいとの申し出がございます」
「えっ?」
思わぬ発言に目を見張る。
「これを利用しましょう――ターシャ様の計画達成のために」




