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絶望と救いの手

 次回投稿は、25日(木曜日)の16:30です!

 よろしくお願い致します!


 ダフネが、”自分のおうじ様”とやらの存在を知ったのは、彼女が五歳の時に突然、父に皇宮に連れられた時だった。


『いいか、ダフネ。これから会うお方が、おまえの夫となるべき(・・・・・・)お方だ』

『それはだぁれなの? おとーたま』

 幼いダフネに、父は答えた。

『わたしの姉上が嫁ぐはずだったお方の御子だ。おまえはそのお方を生涯お支えし、この帝国で最も栄誉ある女性となるのだよ。権力も、殿下の寵愛も……何もかもを得る存在となるのだ』


 そのケンリョクとやらもチョウアイとやらもダフネにはさっぱりわからない単語だったが、そんな些細なことは”おうじ様”と対面した後には、どうでもよくなってしまった。

 ”ダフネのおうじ様”は、艶のある金髪を切り揃え、沖合の海のように青い瞳を持ち、雪のように白い肌の輝くこの世で(・・・・)一番美しい人(・・・・・・)だった。ダフネの持っている人形に男物の服を被せたかのような綺麗な男の子――ルーク第一皇子殿下。一目惚れするには十分な出会いだった。

――この人のために、でき得ることは何でもしよう。彼の隣に立つのは、ダフネ(わたし)だ。


 ”おうじ様”と対面してから、ダフネは苦手だった淑女教育を率先して取り組むようになった。”おうじ様のお嫁さん”になるために必要なのなら、どんな厳しい指導も苦にならなかった。

 ”おうじ様”は綺麗な人だから、”お嫁さん”になりたい人が大勢いる……と父は口酸っぱく言っていた。


『負けるなよ、ダフネ。これから湧いて出てくる有象無象どもに足を取られるな。いいか? ”圧倒的勝利”だ。『中継ぎ婚約者』も『皇妃』の座も……”圧倒的勝利”で勝ち抜くんだ! わかったか?』

『うん。わかったわ! ……お父様』


 その頃には、父が現皇帝陛下ゲオルグに嫁ぐはずだった”姉上”であるチェルシーに執着していることに気づいていた。父が、姉を『皇妃』に選ばなかった”皇帝”と、姉を自分から奪ったチェルシーの夫クレイ・ピッカート伯爵に強い憎しみを覚えていることもこっそり母が教えてくれた。

『わたくしは、あなたにもっと選択肢を与えたかったのだけれどね……』

 そんな母の嘆きなど耳を貸さなかった。ダフネは、”おうじ様”と|結婚することが人生の目標となっていたのだ。彼との恋愛を成就させるためには、何でも(・・・)できた。

 『お姉様って、けっこうバカなのね』と生意気な妹に言われたが、結果が出れば黙る有象無象の一人だ、とダフネは内心嘲笑った。


 そうやって温めていた恋心に軋みが生じ始めたのは、いつの頃だったか。


 たぶん、ルークが自身の七歳の誕生会で恋に落ちたという「ご令嬢」の噂が、宮廷で流れ始めた頃からだろう。

 父は否定したが、「その噂が真実である」とダフネは知っていた。

 だって、この目で見たのだから。


 誕生会でルークが庭園で年上の少女と話しているところをダフネは目撃していた。翡翠色の瞳を持ち、どこか憂いをたたえた表情を浮かべた美しい令嬢だった。そのやけに大人びた表情をした令嬢は、ルークと数回言葉を交わした後、その場を立ち去り、雲隠れするように姿を消した。


 あの時のルークの顔を今でもはっきり覚えている。

 初めてルークと目が合った時の自分を見ているかのようだった。追い求め、憧れ、焦がれる者の顔だった。


 それから「令嬢」のことを探ってみたが、それらしき情報は全く手に入らなかった。まるで、あの子が幻だったかのように。


 ダフネは、彼女の影に怯えた。影の存在を認識するたびに、「ルークにとって価値のある女性になろう」と淑女教育に逃げ込んだ。

 「中継ぎ候補」の有力なライバルであるイオレが翡翠色の瞳を持っていないことにほっとした。このまま道を突き進んでいけば……「彼女」さえ現れなければ……自分は夢を叶えられる。

――帝国ほど素晴らしい国は存在しない。あなた様はこの国で一番偉い女性となるのです。

――いいか。ダフネ。圧倒的勝利で皇妃にならなければ、おまえは我がレオニール家の宝とは言えない。皇妃にならないお前に、存在意義はない。

――ダフネ様は、ルーク殿下以外の殿方の隣を歩くなどあり得ません。帝国淑女として、誇りを持ちなさい。

 いかに帝国貴族として矜持を持つべきか、が教育の最も重要とされる部分だった。父も帝国の宰相として、帝国至上主義を掲げていた。

 それがどんなに偏った教育なのかも知らずに。ダフネは教えを請い続けた。



 だが、軋み始めた道は、修復されることはなかった。


 無事「候補」となり、令嬢たちの情報を集めているうちに……ダフネは、ターシャ・アッヘルという令嬢を知った。

 十六歳。ルークと自分より二つ年下。翡翠色の瞳を持つ娘。

 大丈夫。「彼女」ではない。……大丈夫。


 そう言い聞かせることができたのは、ルークがターシャと出会うまでだった。


――ずっと「彼女」を追い求めていた殿下が。初めて他の女性に興味を持たれた。

 よりにもよって、翡翠の瞳を持つ少女に。


 もう、ダフネの道の後ろに道はなかった。ただ、修復不可能な道の続きを歩くしかなかった。


 皇妃としての淑女教育では、伯爵令嬢の彼女に勝てる――その思い込みも、イオレの主催したお茶会で打ち砕かれた。


 ターシャ・アッヘルという女は、帝国を至上とせず、ダフネの知らぬ他国の技術の有用性を周囲に説いた。

――帝国は胡坐をかいてはならない。他国を侮ってはならない。その国々と優位に関係を押し進め、技術を受け入れなければならない。帝国は”第一の国”ではないのだから。


 その考えは、ダフネのそれまで受けてきた教育を覆す内容だった。いかに自分が世間知らずな箱入り令嬢なのかを思い知らされた。


 お茶会が終わった後、ダフネの心には敗北感だけが残った。その負の感情は、自分でも驚くほど凄まじい勢いで成長した。


――お可哀想なダフネ様……。

 聞いたことがある声が、ダフネの耳に届いた。


 ふっと目を開けると、肘掛椅子に体を鎮めているダフネの前に少女が立っていた。


「ミシル……」

「はい、わたしです。お加減、いかがですか、お嬢様?」


 彼女の声が、甘く柔らかく、体に絡みついてくる。

「なにもかも、最悪よ。わたくしは、あのお茶会で自分の無知を晒したわ。あんなに皇妃になるべく頑張ってきたのに。あんな小娘の小細工に騙された。そのことでお父様にたくさんお叱りを受けたわ。……圧倒的勝利、が目標だったのに。……わたくしは、駄目ね」

「そんなことはございませんよ、ダフネ様」

 気のせいだろうか。優しく語りかけてくるミシルから、本当に甘い匂いがした。

「ミシル、香水つけてるの?」

「たまには、良いかと思いまして。……変ですか?」

「ううん……とってもいいわ」


 頭がぼんやりとする。

 ここのところ、ずっとそうだ。『候補』として頑張らなくちゃいけないのに、体が動かない。


「ねぇ、ダフネ様」

 トントンとミシルがダフネの頭を撫でる。


「わたし、あなた様が『候補』として挽回する方法を思いついたんです」

 そう言った彼女は、ダフネの眼前に小瓶を取り出した。

「これは?」

 ダフネの問いかけに、侍女は微笑む。


「これは……ダフネ様がターシャ様より、イオレ様よりも優れていると証明する物です」

「わたしが、優れている……?」

 ふわふわと思考が浮き、ミシルの言葉だけが頭に甘く残った。


「ダフネ様ほど次期皇妃にふさわしいお方はおられません。今こそ、そのお力を証明するのです」

「わたくしほど、ふさわしい人はいない……」


――あれほど血の滲むような努力をしてきたのは、何のため?

――全部全部、ルーク殿下に振り向いてもらうため。ルーク殿下と結婚するため。そのためにわたくしは、頑張ってきた。

――報われないまま、終わりたくない。……負けてたまるものか。


「ミシル」

 浮いていた思考が、現実に戻される。

「挽回する方法、わたくしに教えてちょうだい」

「かしこまりました。……説明させていただきます」


 ミシルは、静かによどみなく”計画”を話し始めた。”計画”に耳を傾ける間、ダフネの中から不安や焦りは消えていた。


 時折、ミシルの瞳が光を受けてきらめいた。

 その瞳は、桃色に潤んでいた。

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