変化
次回投稿は、明日(21日)10:00です。
すぐに、これは夢だと気づいた。同時に、気づく。
――これは自分の中にあった、忘れていた思い出だ。
寒い冬の夜、母が私と添い寝をしてくれた。母は何度かターシャと添い寝してくれたが、たぶんこの”思い出”は、父から「ナタリアは死んだ」と聞かされる三か月前――姿を消す直前の夜の出来事だ。
母の顔は相変わらずぼやけてよく見えない。ただ、そっと優しい声で何かを呟いていた。
ああ、そうだ。
『テレオ、アヘ、ククレ、ク……ククレ、ク、テオ、ター、フェ、ドルク、ク……』
母はいつも、ターシャにそう囁いていた。母の胸元にはサファイアの埋め込まれたペンダントが闇の中で光っていた。
その銀の輝きを、なぜ今まで忘れていたのだろう。
『ソレ、なぁに? おまじない?』
幼かったターシャは、しょっちゅう母に聞いていた。
その度に母は、ふふっと笑って、
『おまじないではないわ。これは、ジュモンなのよ。……ターシャは言っては駄目よ。ほら、約束』
そう言って何度も何度も、指切りげんまんをさせられる。最初の頃は「なんで?」と聞いていたが、ジュモンを呟く夜が続いていくうちにそんな疑問はいつの間にか頭から消えていた。ジュモンを聞くたび、ターシャは、母との約束を守らなくてはいけない……と思うようになった。なぜだか。
そして、ジュモンが耳に馴染んでいくと、ターシャの内側にあった”温かく満ちている力”が体内で泡が弾けるように消えていった。
――そうだ。あの時に、わたしは、抜き取られたんだ……。
本来なら存在した”魔力を操る能力”を。
――昔のわたしは、『魔法』が使えた。使い方を、知っていたんだ!
夢の中で、母は【呪文】を唱え続ける。
『ククレ、ク、テオ、ター、フェ、ドルク、ク……』
****
「ターシャ様!」
切羽詰まった女の声が、耳元で聞こえた。
瞼を持ち上げると、暗がりで赤毛の女がこちらを見下ろしていた。
赤毛の髪と顔の輪郭が、闇に灯された明かりに縁どられている。泣きそうな表情を浮かべている気がした。
「モア、ナ?」
「はい、わたしです!」
そっと小さな両手が、ターシャの片手を持ち上げ包み込む。
「お加減は、いかがですか?」
――ルーク殿下とのお茶会で倒れて、じゃあ、わたし。
今、ターシャはベッドに寝かされている。
ここは、皇宮でターシャが与えられた部屋で……。
そこまで思い出して、慌てて上体を起こした。
「大変! わたし、殿下の前で、粗相を……!」
「その件については、問題ない」
男の声がして、やっとモアナ以外の人がいることに気づく。
件の人物、ルークだった。
「いきなり、魔力をあてられて【魔力酔い】を起こしたんだ。たった半日で覚醒するとは、大したものだぞ?」
「魔力を……あてられた?}
そうだ、とルークが頷く。
「ペンダントの中に眠っていた魔力の――おそらく目測で全体量の半分くらいか――が、君の体に侵入し、親和されたんだ。その過程で酔って意識を失ったんだ。まあ、あれだけの魔力が入り込んだら、そうなるだろうな」
ふっとルークに違和感を覚えて、じっとその顔を見上げる。
さっきまでの紳士的な口調からやや荒っぽいものに変わっている。やや、男性的な力強さ。といっても、元からルークは男だが。なんというか。
――素に近い感じ。
「……それは、ターシャ様のお体に支障をきたすものですか?」
モアナの声色がぐっと低くなる。もしかしたら「ペンダントを付けていくこと」を提案したことを後悔しているのかもしれない。手を包みこむ彼女の温もりは、震えていた。
そっと指先で温もりを握り返す。大丈夫よ、と教えるために。
「心配いらない。他人の魔力が入り込んだ場合なら、問題だが。――その魔力は、君のものだ。君の内に本来あったものが、体から”引き剥がされていた”んだ」
「そうでしょうね」
「ん? 驚かないんだな?」
しまった。倒れたせいで思考力が鈍って、余計なことを。
「いえ。……なんとなく? そう思いました」
「そうか」
ルークはそれ以上追及するつもりはないらしい。顎に片手をあてて、考えるそぶりをみせる。
「おそらく」
言葉をそこで切る。言うべきかどうか迷っている様子だ。
「おそらく、何でしょうか?」
ターシャが先を促すと、彼はすっと息を吸った。
「おそらく、君は『魔法』が使える体に変化している。
というより、君は、『魔法』の使い方を知っているはずなんだ。自分自身の魔力とはいえ、今まで体から分離されていたものが急に体内に戻ってすぐに親和するなんて……君自身が魔力の扱い方を心得ているからだ」
「でも、わたくしはどんな魔法が使えるのか知りません」
「それは、君がお母上のペンダントに”魔力封じ”だけでなく、”記憶封じ”の術も掛けられていたから……と考えるのが妥当だ。そうでなければ、話が成り立たないんだ」
「成り立たない、とは、一体――」
「君の魔力は”魔力封じ”するには、量が多すぎて、ただ”封じる”だけでは、すぐ解かれてしまう代物だ。……そう。君自身が”魔力の扱い方を覚えているまま”だと、君の”記憶”に魔力が呼応して、封印が解けてしまう可能性が高い。
つまり、君の”魔力に関する記憶”が封じられることも前提条件なんだ。
君は最近、昔の記憶を思い出したりしていないか? 前提条件が崩れ始めたことが、君の魔力の復活と関わっている気がしてならない」
ターシャは、ルークに母との記憶が徐々に戻りつつあることや自身の変化を全て打ち明けるべきかどうかを考えた。
――わたくしの記憶に関する謎は、価値がある。今ここですぐ明かすのは、タダ同然で情報を売るのと同じだ。
そんなことを考えながら、思わず笑いそうになった。
魔力が体に戻ってきたせいなのか。思考がより高位貴族的になっている。
「候補」としての覚悟も足りなかったモアナやルークに出会う前の自分とはかけ離れた自分に変化している。それが自分の意思かどうか――とは、関係なく。
「ルーク殿下」
そっと口元に笑みを作る。
「乙女の秘密……それも、『末端候補』のいたいけな乙女の秘密を探るのは、無粋ですわ? お戯れで火遊びされるおつもりなら、それなりに覚悟なさいませ。その気がございませんなら――わたくしのことは忘れていただいてけっこうです」
ターシャ様……とモアナが声を上げる。
勝ち目はあるが、やや踏み込んだ賭けに出たことに気づいたのだろう。
彼女はターシャの急速な変化に気づいているだろうか?
――わたくしに恐怖を覚えたりしないかしら?
モアナが包み込んでいない方の手でシーツを握りしめる。
今の自分の一番の味方は、モアナだ。彼女を失ったら、自分は――。
「忘れることはできないな――既に君は、『末端候補』ではない」
ルークの声色にはやや笑いが含まれていた。
「なにせ、第一皇子殿下が一晩お渡りをした『候補』なのだから」
一瞬、言われた意味がわからなかった。
「ちなみに今は夜中の三時だ。君が心配だったとはいえ、『候補』の部屋に泊まり込んでいることになる」
ようやく意味を理解し、ターシャは叫んだ。
「い、今すぐお帰りくださいっ! 『候補』の皆様がお気づきになられる前に!」
「それは無理だ。父上と母上には”疚しいことはしていない”と報告した上で泊まり込む許可をいただいた。明日中には、皇室直々に”お渡り”に関して発表があるだろう。
というか、『候補』の令嬢の情報網を侮らない方がいい。
ダフネの派閥の『候補』、リズベットは【エレイン】の娘だぞ?」
「そういえば、そうですね……」
リズベッド・ラーゲン侯爵令嬢――その父であるラーゲン侯爵は帝国の影【エレイン】の長だ。
どっと疲れが体を襲う。抗う気力は、もはやなかった。
「ターシャ、君は『末端候補』ではない」
重ねてルークは言った。
「今この時から、ターシャ・アッヘルは『中継ぎ婚約者有力候補』だ」




