情勢判断と心の揺れ
中継ぎ婚約者の連載、再開しました!
今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。
次回投稿は、明日の18:00です。
皇帝陛下に謁見して一週間が経とうとしていた。トマスの言っていた通り、ルーク殿下は順々に『候補』たちと面会しているらしい。最初はもちろん、公爵、侯爵といった高位貴族の令嬢と。ターシャのような伯爵家出身の令嬢は、後に回される。面会日は一日おきに定められていて、ターシャは六番手だった。
よって、殿下との面会日まであと五日ほど時間が余っている。
その間に、ターシャはモアナと共に情報収集に努めていた。「候補」としての立ち居振る舞いや知識を学ぶ時間が少なかったが、亡き母から教わった淑女教育がかなり役に立っていた。
同時に戸惑ってもいる。ナタリアから教わった淑女教育は礼儀作法だけにとどまらなかった。「候補」として学ぶうちに勘を取り戻していくうちにわかった。明らかにおかしい要素が母からの教育課程にあるのだ。
たとえば、毒を盛られた時の対処法及び薬の知識をターシャは知っていた。
たとえば、ラトヴィア語を含む世界の主要言語五つの読み書きができた。
たとえば、貴族特有のマナーや言い回し、上下関係によって変わる言葉遣い。心を読み合う駆け引きの仕方。
そもそも、母が亡くなったのはターシャが五歳になった年で、そんな年から超高度な淑女教育が施されているのもおかしいし、その内容をよく覚えていることもおかしかった。
……一番おかしいのは、三つ目に挙げた要素だ。
ターシャが母から受けた「上下関係に関する教育」における「設定された立場」は――皇妃としてのものだったのだ。
ここまでくると、母には何らかの予知能力があったのだとしか思えない。おかげで学ぶ時間は限られているが、今のところそれで十分だった。
今必要なのは、情報収集なのだ。
「現在、『候補』の令嬢方の交流が盛んになりつつあります。この一週間で一番大きく動いたのは、ダフネ様です」
モアナが紙にペンを走らせる。
「ダフネ様は、リーンシュタット公爵家のイオレ様に協力関係を申し出ているそうです。聞くところによると、イオレ様は”傍観者”の立場を崩さず、ダフネ様とのお茶会は行ったものの協力すると明言はされなかったご様子。リーンシュタット公爵は、娘を『中継ぎ』にすることに乗り気のようですが……イオレ様の御心は読めず……申し訳ありません。情報不足で」
「いいのよ、モアナ。情報としては、十分よ」
「十分、とは?」
「要は、今のイオレ様はダフネ様の敵又は味方ということよ。それが家の方針かイオレ様の意思かはともかくね。どっちにしろ中立ではないってことよ」
ぱちり、とモアナの目が瞬いた。
「……お考えをわたくしめにお聞かせください」
ターシャの考えを見透かすようにじっと見つめてくる。
「もし、『イオレ様が中継ぎ婚約者になることを希望している場合』、ダフネ様の味方をされないのは彼女を蹴落とすべき存在と考えているからかもね。今後、わたし……わたくしたちに協力を申し出てくる可能性は大いにあり得るわ。
だって、わたくしには初対面のルーク殿下に話しかけられた功績があるから。
でも、これが『イオレ様の意思ではなく、公爵家の方針だった場合』、イオレ様は親ダフネ派閥に加わる可能性がある。そうすれば、ダフネ様は『中継ぎ婚約者』への最短ルートを得られるわ。その場合、今様子見されているのは、”ダフネ様にとっての不穏分子”を気にしているからだわ……たとえば、わたくしみたいな」
スラスラと滑らした口をふっと閉ざす。
――わたしは、こんな風に物事を考えられる人間だったかしら? まるで別人になったかのよう。そう、まるで。
「ターシャ様が『候補』としてそこまでお考えとは……正直、急激な伸びしろに驚いています」
ぺこりとモアナが頭を下げ、すっと上目遣いに見つめてくる。
「我が主であるのに侮っておりました。浅はかな私をお許しください」
モアナの瞳は、ターシャの変化をいいことか否か見極めようとしているようだった。
急に彼女との距離が遠くなってしまったように感じる。
「許すも何も……モアナはわたくしの友人でしょう? そんな言い方しないでちょうだい。……寂しいわ」
思わずターシャはこぼしていた。
「わたくしも、急に頭の中がクリアになって、びっくりしているの。『候補』としての教育が亡きお母様から教えていただいた淑女教育と重なっていることもだけど。お母様に教えられたことを思い出すたびに、まるで……自分が今まで『魔法』掛かっていたみたいで」
「魔法に掛かっていた? ……掛けられた、ではなく?」
「ええ。深い眠りについていたみたいに。帝都に来た頃から、少しずつ眠りから覚めている気がするの。……おかしい、かしら?」
不意に父からもらった銀のロケットペンダントを思い出す。母の形見のペンダントは、帝都に与えられたターシャの私室の机の引き出しに入れてある。
思えば、あのペンダントを受け取った頃から、お母様との思い出や夢を見るようになった。
――父によると、お母様が「いつかわたくしの助けになる」と言っていたらしい。
ターシャが帝都に来たのは、何かの導きだったのだろうか。
少し背筋が冷たくなるのを感じた。
「ターシャ様?」
モアナの声で我に返る。
「あなたは、ずっとわたくしの友達でいてちょうだい。これから、わたくしが変わっていってしまったとしても」
はっと息を呑む音が聞こえた。
「もちろんです! ターシャ様。それに……あなた様が変わられるとしても、それは『いい方向』に、だと思います」
ターシャの手をそっと握る手は温かかった。
「信じております。わたしは!」
そっとターシャは瞳を閉じた。瞼の裏がじわりと潤むのを無視し、そっと深呼吸をする。
変化しつつあるわたくしが、「本当のわたくし」なのかどうか。わからないことだらけ。でも。
信じてくれる友人がいる限り、ひどい変化にはならない。そんな気がした。
イオレ・リーンシュタット公爵令嬢からお茶会の招待状が届いたのは、その三日後のことだった。




