決裂とその後
「……取引。それは、どのような?」
内容も分からずに突っぱねるわけにもいかない。
「両者にとって、有益な取引ですわ。ターシャ様には『候補』をご辞退していただいて、その代わり、わたくしがターシャ様の希望の“行く宛”を用意します。例えば……アッヘル伯爵家にふさわしい格の貴族の子息との縁談、とか。結婚によって、ターシャ様は実家以外の“宛”ができます。あとは――そうですわね――縁談がお嫌なら、伯爵家の令嬢に似合う“職場”とか。……騎士団での働き口を探しましょうか?」
ダフネの口調はとても優し気で、悪意を感じられない。意図的に本人もそう装っているのだろう。
ターシャは自分の中の勇気がしぼみそうになっていた。ダフネの言っていることは正しいから、反論が出来なかった。そう。本当に殿下の『婚約者』になれる確率など僅かなのだ。まして、ルークには好きな女性がいるのだから。互いのことをなにも知らない間柄で婚約者になれると思うほど甘くはない。
――だけど。
モアナの前でターシャは誓ったのだ。できる限りの努力をする、と。まだ始まってもいないのに、その約束を放棄したらいけない。というより、もしこの話を受けたら、自分がとても押しに弱い小娘だと周囲に侮られるだろうこと。そのことに、ターシャは気づいていた。
「……お断りします」
はっきりとこたえた。
ダフネの表情が険しいものになった。
「……よくお考えになってのこと、ですわね?取引の申し出は一回のみですのよ?」
「ええ。この取引の申し出が今だけのものであったとしても、わたくし、何もしていない先から承諾するわけにはいきませんわ。それに」
ターシャは鮮やかに笑った。
「失礼じゃありません?」
「え?」
ダフネがポカンとした。
ターシャの方は、ふつふつと怒りが湧いてきていた。
「わたくしは、確かにダフネ様ほど殿下に見合った『候補』ではありませんが、しっかり努めていこうと思ってます。それを、いきなりわたくしに“ふさわしくない”などと言うのは、失礼に当たりません?しかも、自分こそは、と思いあがって、先ほどからわたくしに“行く宛を用意する”と随分と自分の権力をお使いになる。よくよく聞いていれば、『殿下から〝うっかり〟お言葉をいただく』なんて……わたくし、何も小細工などしていませんのに。失礼な言葉を次々とおっしゃるのが、レオニール家の礼儀なのですか!?」
「な、何ですって!!」
怒りでダフネの顔が真っ赤になった。
「お帰り下さい。玄関はあちらです」
いつの間にかモアナが応接間から出ていく扉を開けて、ダフネに告げた。
ダフネは、足音荒く何も言わずに出ていった。
「ザイク!ザイクはいるの!?」
「はい、ここに」
声ですぐにダフネだと悟ったザイクは足早に彼女に駆け寄っていった。声色の低さで機嫌の悪さをうかがわせる。
「新しいドレス、作ってちょうだい。あの女に負けないぐらいのとびっきり似合うものを!」
投げ捨てるように放り投げたピンクベージュの扇子を受け取り、丁寧に畳むと、すでにダフネが採寸室に入っていた。
「失礼ながら、“あの女”とは?」
地雷を踏まないよう気を付けながら訊くと、待ってましたとばかりにダフネが勢いよく振り向いた。
「ターシャ・アッヘルよ!ルーク殿下に色目を使った地味な女よ!」
キーキーと金切り声を上げる。相当怒っているらしい。ザイクを信用しているのか、普段の深窓の令嬢の仮面を脱ぎ捨てている。
「なぜルーク様はあんな特徴のない女を気に入ったのかしら?翡翠の瞳ぐらいだわ、価値がありそうなのは。わたくしに、……わたくしには一年に一度お声をかけるかかけないかぐらいなのに」
最後は消え入りそうな声だった。深く俯いて、ザイクには表情が見えない。
「ねえ、ザイク。『商談』をしましょう」
しばらくして、いつもの明るい表情に戻ったダフネがふいに言った。
「『商談』とは、どのような?」
といっても、大体内容はわかっている。こういう時のダフネが話す商談は情報を売買する類のものだ。
「お金であなたから情報を買うの。いいかしら?」
予想通りのこたえに、ザイクは小さく息をついた。何の情報かは推測がついた。
「情報は、“ターシャ・アッヘルの身辺”についてよ」
「承知致しました」
ですが、とザイクは心のうちに呟く。
――お教えできることは少ないですよ、ダフネ様。ほとんどが商会の〝トップシークレット〟ですからね。
ダフネが帰ったあと、ザイクは商会の特別金庫の鍵を開けた。その中にある書類は、全てラトヴィア帝国の〝トップシークレット〟である。宰相の娘たるダフネであっても、教えることはできない。これらを使う時は、ラトヴィア商会が“ぼろ儲け”できそうな時、だ。
ザイクは中の丁寧に仕分けされた書類二つを手に取った。
「ターシャ・アッヘルとその母、ナタリアの血筋に関する報告書」
「背中に模様を持つ者・魔法を使用できる者の関係~水色の模様を持つ者について」
そう書類には記載されてあった。




