突然の来客
モアナはほうっとため息をついた。ターシャに聞こえないようにしたつもりだが、しっかり耳に入ったらしい。
「モアナ、大丈夫?」
そう問いかける彼女も疲れを隠せなかった。当たり前だろう。昨日は、ターシャの瞳の〝秘密〟が明らかになり、第一皇子自らが声を掛けてきたのだ。モアナも動揺してしまった。七歳の時のルークの〝恋〟についてはモアナも知っている。ルークが今回の婚約話を嫌っていることも。まさかルークが自主的に話しかけてくるとは思いもよらなかった。
しかも、あのあと、ターシャが自分の『中継ぎ婚約』の候補だと知った時――。
『では、皇宮で会えるのを楽しみにしているよ、ターシャ』
まるで旧知の仲のようにルークはにっこり微笑んで去っていったのだ。ターシャはもちろん、モアナもその周りの騎士たちも固まっていた。そんな親しい態度を〝他の女性〟にあのルーク殿下が取るとは!皆がそう思ったに違いない。
モアナはルークにターシャが〝お言葉〟をいただいたことで、あることを心配していた。
「……モアナ?」
いけない。考え事をして、主をほったらかしにしてしまった。
「いいえ、疲れていませんわ。ターシャ様こそ、お疲れでしょう。明日はゆっくり過ごしましょう。……明後日の朝には王宮にいるのですから」
モアナの様子を不審そうに見つめてきたが、明後日から始まる〝戦い〟を想像し、「ええ、そうね」とこたえるにとどまった。
翌日、モアナは侍女たちにターシャの荷物とザイクから今朝方届いたドレスをまとめるよう指示した。モアナはミヒャエルに信頼された侍女頭でもある。あれこれと下っ端の侍女に訊かれる前に予測しておいた質問への答えを紙に書いておいた。ターシャもすでに起きている。モアナはターシャへの〝お願い〟として、今日一日中、なるべく自室から出ないように告げた。一つは王宮への出立の準備で騒がしいため。そして、もう一つは――。
「モアナ様、お客人が参りました」
「どなた?」
「レオニール家のダフネ様と名乗っておられます」
やはり来た。心配していた通りに。昨日の騎士団からの〝話〟を聞いたに違いない。
「応接間にお通しして。お茶の用意をしなさい」
「はいっ」
慌てて侍女たちが出ていく。モアナはターシャの部屋に向かっていった。
ターシャが自室にいて本当に良かった。直接すぐに会ったら、ターシャは動揺して、ダフネに有利な事の運びになってしまう。いずれはターシャ一人でこのような『訪問』を受けることになろうが、今はまだ『予行演習』の時だった。
ダフネの情報を整理する。レオニール家は宰相クマグス一族のことだ。ダフネはクマグスの末娘で、第一皇子の“完璧な候補”と有力視されている。
昨日の一件で、心穏やかではないのだろう。
「ターシャ様、お客人がいらっしゃってます」
ターシャは必死に令嬢たちの肖像画と名前を一致させている最中だった。本から顔を上げる。
「どなたかしら?」
「『候補』の一人、ダフネ様にございます」
ターシャが静かに息を吸った。思ったより冷静な姿にモアナは驚いた。
「……その方が、なぜ、わたしに?」
「昨日の騎士団での出来事を聞いたのではないかと」
「……そう。では、わたし、……わたくし、応対しなくては」
白い顔が青ざめているが、ターシャは平静を保っている。
「ええ。大丈夫です。わたしがついております。どうしても困った時以外手助けは致しませんが、ターシャ様なら、きっと乗り越えられるはずです」
ターシャの両手をそっと包み込み、
「きっと、できますわ」
そう囁くと、ターシャの顔色が少し良くなった。
「買いかぶりすぎよ、モアナ」
「いいえ、本気です」
くすくすと笑いながら、立ち上がり、モアナの方を見る。
「では、行きましょう」
ダフネ・レオニールは、さすが父・宰相仕込みの淑女としての礼儀を兼ね備えていた。白っぽく見える薄い色をした金髪はさらさらとして、櫛入らずだ。空のような水色の瞳が無邪気な幼さを残してはいるが、少女らしい魅力を放っていて、可愛らしい令嬢だ。
「初めまして、ターシャ様!わたくし、ダフネと申します」
自分の魅力を熟知しているのか、笑窪をのぞかせて、満面の笑みを浮かべる。
「……初めまして、ダフネ様」
ターシャが少し気圧されそうになっているが、何とか淑女の礼をした。
「まあ!とてもお辞儀がお美しいですわ。そうやって――」
水色の瞳がきらりと光った。
「ルーク様も〝うっかり〟お言葉を漏らしてしまったのね、そうでしょう?」
ターシャの笑みが少々崩れた。実を言うと、下を向いているモアナも同じだった。あっさり淑女の仮面をダフネは解いたのだ。
「ねえ、ターシャ様」
ふうっとダフネが息をつく。
「ルーク殿下の“十一年間の想い”を消すことなんて、出来ませんわ。知っているのでしょう?」
いきなり相手のペースを乱して、すぐに本題に入る。かなりの駆け引き上手だった。
「ですから、今の殿下に必要なのは、“新しい恋”ではなく、“信頼”と“長年の絆”ですのよ?その二つの条件に幼馴染のわたくしなら、当てはまりますわ。たとえわたくしでなくとも、少なくとも、あなたに可能性などありませんのよ」
微笑みは、嘲笑に変化する。
「ねえ、ターシャ様。可能性など最初からないのです。でも、あなたの“御事情”もお察ししますわ」
ターシャが顔を上げた。モアナは舌を巻いた。ターシャの帰る宛がないことを知っているらしい。
ダフネがそっと提案をした。
「わたくしと、『取引』、しません?」




