第22話:混乱と窮地
どれだけ泣いただろう。どれだけ叫んだだろう。どれだけ悔いただろう。
カスタントルフの街から出た彼らは、闇雲に走り続けていた。
誰から逃げるのか、どこへ向かうのか、何を為すのか……まだ最悪の状況と向き合えない彼らには、何もかもが分からない。
ただ激情に突き動かされるようにひたすらに足を進めた。
やがて彼らが疲れ果てて歩みを止める頃には、日は沈み、一帯は宵闇に包み込まれていた。追手の気配はない。
「はぁっ……はぁっ……っは……」
嗚咽混じりの荒い息を吐いて、息を整える。木々の隙間から月明かりだけが射し込む薄暗い森の中、崩れるように座り込んだ3人はそれぞれ違う面持ちをしていた。
沈痛な思いに顔を歪めるアーロンと、霊魂が抜けてしまったように虚ろな目をしたレニーはどちらも口を噤んでおり、悲涙に噎ぶアリスの声だけが冷たい空気を揺らす。
「なんで……どうして……こんなことに……」
両膝を外して腰を地面に下ろす、所謂女の子座りで彼女は呟く。
どれだけ問うても、ここにいる誰もが答えることは出来ないことなど、アリスの理性はとうに分かっていた。しかし、起こった出来事の悲惨さに、彼女はやりどころがなくなって爆発してしまいそうな思いを理由探しに向けることしか出来ない。
一つ一つ、自らの辿ってきた道を振り返り、分岐点に至る事にただ悔いる。
自分が迂闊にもギルドを飛び出さなければ、自分がレニーとアイラの買い物に付き添っていれば、あるいは……。
「お前が……お前がこんなところに来なければあああああああっっ!!!」
事の発端となった少年に、平静を欠いたアリスが飛びかかった。
それでも虚ろな目のまま、抵抗すら弱々しいレニーの上に馬乗りになって、彼女は腕を振り上げる。
叫ぶような声を上げて彼の頬を打とうとする拳は、中空で掴まれて止められた。
「……アリス」
「……止めないでよ」
「……」
「止めないでって言ってるじゃない!!」
後ろから腕を掴んでいたアーロンの手を、アリスは立ち上がりざまに振り払った。そのまま、彼女はアーロンに向き直って真っ向から睨めつける。
「どうしてそんなに冷静でいられるのよ……ギルドが襲われたのよ……?」
「……」
「仲間は傷つけられて、親も同然のマスターはあんな風にされて、楽しかった毎日もずっと暮らしてきたギルドも全部みんな何もかも壊されたのよ!?」
「……」
「何とか言いなさいよおっ!」
筋違いな八つ当たりだというのは、アーロンにも、アリスにも分かっていた。
それでも横隔膜のあたりから込み上げる激昂、悲愴、自責の念をどこかに吐き出さないと、はち切れて狂ってしまいそうだったのだ。
「アーロン……あんたもまさか敵だって言うんじゃないでしょうね!?」
彼女の言葉は、完全に自分で制御出来なくなっていた。
「……アリス」
「だってそうでしょう! そうでなきゃそんなに冷静でいられないわ! 何もかも全部あんたは」
「アリス!」
彼女は思わず言葉を止めた。アーロンの声が大きかったからではない。その言葉が震えていたからだ。
怒りなのか悲しみなのか恐怖なのか、その理由はアリスには分からないが、彼がそうして声を震わせるところなど、長い付き合いの彼女でさえこれまで見たことは無かった。
気が狂ってしまいそうなのは、彼女だけではないのだ。
「……分かってるわ」
アリスはぽつりと零して、両手で顔を覆い、天を仰いだ。
少し鈍色の雲が残る夜空には、皮肉なほどにいつも通りの星たちが、ただ無表情に煌めいている。
「……ちゃった」
木々の葉がこすれる音でかき消されてしまうような、弱くてか細い声。レニーのその声は、凪いだ宵闇にそっと浮かべられた。
「カノイミ……渡しちゃった」
「……やっぱりか」
アーロンは予測できていた信じたくない現状を聞かされて、小さくため息をついた。
燃え盛るギルドの中で、敵と思しき気配はセオのそれのみであり、他に残っていたのはレニーと瀕死のマスターのみであった。
確かにセオはギルドでも屈指の強者であるが、他にいたはずのメンバーたちを一度に相手できる程めちゃくちゃな強さではない。これはすなわち、彼には他の味方がいたということを示唆するものだ。
そしてその味方――つまりアーロンたちの敵が退いているということは、彼らは襲撃の目標を達成したと考えられる。密通者まで送り込んで攻め入る目的として真っ先に考えられるのは、ギルド内のどこかに眠っていたと考えられるカノイミであるだろう。
アーロンの予測はそこまで至っていた。そしてその予測は、認めたくない程度には最悪の状況だったのだ。
「渡さないと……殺すって……」
レニーの頬を、一筋の涙が濡らした。目の前で圧倒的な力を見せつけられ、彼にはそれに抗うことができなかった。もし自分が彼の置かれた状況に直面したらと考えると、誰が彼を責めることができようか。
彼は戦う力も覚悟も、持ち合わせていないのだ。
「だから……っ!?」
「……っ!」
レニーは唐突にアリスに口を塞がれて話すのを中断した。
ほぼ同時に、弾かれたように立ち上がったアーロンが辺りに警戒の眼差しを向ける。見える範囲にはそれらしい姿はないが、荒々しい殺気を纏った気配が数十、周囲を取り囲むように潜んでいる。
アリスは未だ整理のつかない頭を無理矢理戦闘モードへと切り替えながら舌打ちをした。動転していたとはいえ、ここまで敵に接近を許した自分に腹が立ったからだ。
彼らが臨戦態勢に入ったのを見て、奇襲が失敗したと判断したのか、木の影や茂みの中から、いよいよ敵が姿を現した。
「……シュリサハウンド」
アーロンはその四つ足の獣を指してそう言った。狼のような姿形をしているが、その体毛は炎のような緋色だ。体長はアーロンの鳩尾ほどもあり、後ろ足で立ち上がれば成人男性より大きいだろう。
鋭い牙の並ぶ口元からは低い唸り声が聞こえ、彼らの性格の獰猛さが分かる。
「シュリサハウンド……こんなところにいる動物じゃないわね」
「……ここまで群れるという話も聞いたことはない」
魔物が跋扈する世界、夏界の別名であるシュリサの名を冠するその狼たちは、ジリジリと獲物との距離を縮める。
「……tirse」
アーロンの能力発動をきっかけに、包囲網を狭めていた狼たちが一斉に飛びかかってきた。その行動を読んでいたアーロンは、地面に手を当てて、自分たちの後ろに大きな鉄の壁を作り出した。
「sutra!」
正面から迫る敵は、アリスが迎え撃つ。一番槍を右足で蹴り飛ばし、左奥にいた別の狼にぶつけて動きを止めた。
それに続くように、アリスの左右から追撃を狙う狼が寄ってくる。右に2匹、左に1匹だ。一人では捌ききれないと判断したアーロンが、アリスの後ろから右の敵へと鉄棍を振るう。
――しかし。
「えっ!?」
「……しまった」
ほぼ同時に反応した二人だったが、前衛のアリスも左足を右の敵に打ち込んでいたのだ。アーロンの鉄棍とアリスの左足に挟まれる形になり、右の2匹が甲高い鳴き声をあげる。そしてその間に、左からは撃ち漏らした1匹が襲い来る。
「……トールによる」
それを魔法で迎え撃とうとしたアーロンは、その詠唱を中断する。アリスがそれより早く左の敵に後ろ回し蹴りを叩き込んだのだ。左足で蹴る勢いのまま、軸足を変えて回転したアリスの右踵が狼の鼻面に直撃して、狼は吹き飛ばされる。
「……トールによる魔法書第二章。シャテーニュフラッシュ」
隙の大きい攻撃を放ったアリスに迫る影に、アーロンが雷魔法を撃ち込む。バチッ、とスタンガンのような音が鳴って撃退に成功するが、その軌道は体制を整えたアリスのすぐ横を抜けていった。あと少し彼女の位置がズレていたら同士討ちになるところだ。
「……おかしい」
そうして何とか狼たちを攻撃していくが、彼らの戦闘はいつになく危なっかしい。アリスの蹴りがフォローに回ったアーロンに直撃しそうになったり、逆にアーロンのフォローのタイミングがズレて、アリスが攻撃を受けそうになったりと、妙に行動が噛み合わない。
必死の猛攻で敵は着実にその数を減らし、もう少しで制圧できるだろう。そんな中、遂に最大のピンチが訪れてしまう。
「あっ……!」
「……アリス!」
短い声と共に、アリスが地面に手をついた。アーロンが低く突き出した鉄槍の柄に、彼女が足を引っ掛けたのだ。
彼女に迫る敵のうち1匹を鉄剣が切りつけるが、逆側からのもう1匹に返しが追いつかない。
「……くそっ」
アーロンの悔しげな声を聞きながら、アリスはその敵を見つめる。素早く駆け寄る狼が口を開け、鋭くて大きい牙が眼前に迫る。
圧倒的な危機に、アリスの頭が真っ白になった。
――その時。
「トールさまによる魔法書第二章。シャテーニュフラッシュ」
どこかから女性の声が聞こえ、それに伴って電撃がアリスを噛み砕かんとしていた狼を打った。
アーロンが更に襲い来る敵を捌いている間に、アリスは雷魔法の放たれた方を見た。ここがどこだかも分からない薄暗い森の中。そこに立っていたのは。
「本調子ではないみたいですね、黄金ペアさん」
月明かりを受けて煌めく銀髪。フィリス・モアがそこに居た。




