第23話:疑心暗鬼を生ず
清流のように透き通っているが決して弱々しくはない、凛とした声が小さな戦場に通る。
「アリスは右の敵を、アーロンは左の敵を抑えてください!」
「……了解」
フィリスの声で、止まりかけていた二人の動きに機敏さが戻った。アリスの蹴りが狼を打ちのめし、アーロンの鉄剣が敵を断ち切る。
「マルスさまによる魔法書第二章。対象強化」
その横からフィリスが魔法で援護する。前線で戦う彼らの身体に強化や硬化をかけつつ、自分の元へ襲いかかる敵を魔法で蹴散らしていく。
各々が高い戦闘力を持つアリスとアーロンは、フィリスの援護もあってそれぞれ少しずつ獣たちを制圧し、残る狼は徐々に少なくなっていった。
「これで……終わりっ!」
きゃん、と一声鳴いてアリスの前蹴りに最後の一匹が飛んでいき、木の幹に衝突した。ずるりと地に落ちたそいつは、既に息絶えているようだ。
それを確認して、フィリスはすまし顔のまま服についた土を払う。その優雅な仕草は、未だ緊迫していることに変わりない状況にマッチしない。
「そんなに怖い顔しないでくださる?」
指摘されたアリスは自分の表情が引き攣っていたことに気づき、繕うように苦笑いに変える。
「フィリス……どうしてここに?」
「どうしてって……」
フィリスはアリスの問いに驚いたような呆れたような顔つきになった。フィリスは何を言おうか少し迷ったようだが、やがて口を開こうと息を吸った。
「……二人とも、ちょっと待って」
向かい合った二人の視線が、不意に口を挟んだアーロンへと向けられる。その彼は辺りを見回していた。無表情の中に僅かな焦りがあるアーロンは、やがて一つの結論に至った。
「……レニーがいない」
「なっ……!」
アリスは慌てて辺りを見回したが、先ほどまで動けなかったはずのレニーはどこにも居なかった。見える範囲には勿論姿はなく、移動する音も潜む気配もない。
「しまった……っ!」
「私の来た頃には、もういらっしゃらなくってよ」
「……自分で移動したとは考えにくい。戦闘に乗じて誰かに連れ去られた……か」
アーロンがそう言うと、アリスはチラリとフィリスを見た。彼女の方もそれに気づいてアリスに顔を向ける。
「私がそのようなことをするメリットはありませんわ」
「……」
フィリスはアリスの言わんとしていることを先取りして、ため息混じりに答えた。そうして彼女の考えを読み取ることが造作もないと思えるくらいに、アリスの顔には猜疑が宿っていたのだ。
銀髪の淑女は、彼女に訝しまれていることを何とも思っていないかのように、悠々と話を続ける。
「とにかく今優先すべきは、レニーさまを探すことではなくって?」
「……違いない」
「このまま森を抜けた辺りに村がありますの。ひとまずそちらへ向かって、情報を集めましょう」
どこか冷たい三人のやり取りは、各々が胸の内に抱く重苦しい夜霧のような感情が滲み出たようだった。
*
フィリスの案内で30分ほど歩くと、小さな農村に辿り着いた。
レーノヴァルクというその村は、彼女たちが出てきたカスタントルフから東北東に進んだ位置にある。山のほうから流れてくる川に近いここは、都市部へと出荷する野菜の生産が有名なのだ。
質素な木造の家々が寄り添うように立ち並び、その窓から漏れる明かりが踏み固められただけの道を照らしている。その他に人工的な明かりは見られず、出歩く人もいない。
「ひとまず宿に入りましょう。あちらの建物だったかと存じます」
かつて一度この村を訪れたことがあるというフィリスのいう建物は、左手奥にある少し大きな二階建てだった。
二人は無言で彼女の提案に同意し、その建物の戸に手をかけた。
「……開かない」
「おかしいわね。すみませーん!」
アリスがノックをすると、少しした後控えめに戸が開いた。指がギリギリ差し込めるくらいの隙間からは、誰かがこちらを覗いている。
老人のものであろうその眼差しは、何かを警戒しているかのように鋭利で冷たい。
その様子に違和感を覚えつつも、アリスはその人物に話しかけた。
「私たち旅人なんだけど、泊まらせてくれないかしら?」
彼女の言葉を聞きながら、扉の向こうの人物は値踏みをするような目つきで三人を見た。
どことなく緊張感が漂い、今更になってカスタントルフでの出来事が広まっている可能性に思い当たったアリスは、ゴクリと唾を飲む。
そんな彼女の不安を知ってか知らずか、やがて戸はゆっくりと開けられた。
「入んな」
嗄れた声を発したのは、年老いた男性であった。
やや薄い頭髪と几帳面に整えられた髭は白く、戸にかけた手はシワが多くてゴツゴツしている。最初よりも警戒心はだいぶなくなったが、それでも目つきは悪く、睨みつけられているような気がしてしまう。
三人は建物の中に入り、一番後ろにいたアーロンが戸を閉めた。
「鍵、閉めといてくれ。直に飯の支度ができる。それまでに部屋へ案内しよう」
宿のオーナーと思われる老人は、そう告げると、「ついて来い」と目で言って正面にある受付のすぐ横から伸びる階段を昇っていった。
案内されたのは、華やかさこそないものの、十分広くて小綺麗な部屋だった。
入ってすぐの部屋は大人二人が余裕を持って眠れる広さの和室で、そこから右の襖を開けるともう一つやや小さい和室がある。
もっと小さな部屋を二つでいいとアリスが断る前に、老人は「料金は普通の部屋と同じでいい」と言ってのけた。
それならばと一行はお言葉に甘えて案内された部屋を使わせてもらうことにする。
「……街はどうなってた?」
少ない荷物を置いたアーロンがフィリスに訊ねた。
「私が着いた頃には、建物は全焼してしまっておりました。マスターはアイラが治療院に搬送して入院中。私が伺った時には、まだ意識は戻っていませんでしたね」
フィリスは表情を曇らせた。それを悟らせないようにするためか、彼女は持ってきた荷物の確認をしながらさらに言葉を続ける。
「残っておられるメンバーたちは、任務から帰ってきたリンが一応まとめていますが、かなり取り乱していたアイラをはじめ、メンバーたちの動揺は抑えきれず、まとまりきってはいらっしゃらなかったように存じます」
「……リンがいてくれれば、あとのメンバーたちは何とかなりそうだ」
「ええ、私もさように存じます。そして行方不明はあなた方二人とレニーさま、そして……」
「……セオ、か」
アーロンの苦々しい顔つきを見て、フィリスは自身の予想がおおよそ当たっていたことを半ば確信した。
セオが今回の騒動の犯人の一人であったこと。アーロンとアリスは濡れ衣を着せられて逃走する羽目になっていること。そして……。
「アーロン。今回の騒動ですが、レニーさまが強く関わっていますね?」
「……ああ」
「そしてあの、ギルドの地下にあった“何か”も、原因の一つになったのでしょう?」
敢えて淡々と述べながら彼の顔を見ると、アーロンの眉がひくりと動いた。
「……何故それを」
「魔力の感知は得意分野ですの。あれだけ大きな魔力があれば隠されていても流石に気づきますわ」
「……」
「そして、焼けたギルドからはあの魔力が感じられませんでした。壊されたか奪われたか……少なくとも、襲撃者に“アレ”に関わる何らかの動機があったことは、想像に易いです」
「……フィリス、その言葉」
信じていいのか。そう訊ねる前に、部屋の扉をノックする音が聞こえた。
どうぞとフィリスが応じると、先ほどの老人が顔を覗かせた。
「夕飯の支度ができた。下に降りてきてくれ」
*
一階にある食堂には、アリスたちとオーナーらしき老人の他に人はいないようだった。
その真ん中辺りに置かれた6人掛けの机には、ビーフシチューの皿が3つ置かれており、サラダやスープ、パンも添えられている。
「いきなり来たのに、夕飯が用意されてるなんてすごいわね。他にお客さんがいる訳でもなさそうなのに」
悪びれないアリスの素直な言葉に、老人は気を悪くする風でもなく答えた。
「この村を訪れる旅人は皆そんなもんだからな。いつも夕飯だけは多めに作るのさ」
「へぇ……宿屋さんも大変ね」
「まあな。だが、ここまで客がいないのは最近になってからだ。少し前までは野菜の調達に来た商人なんかがよく泊まってたもんよ」
老人は少し目を細めて言った。その面持ちは、どこか困惑しているようにも見える。
「……何かあったってこと?」
「ああ、少し前から変な噂話があってな」
やや間をとって、老人は問いを投げかけたアーロンに向かって口を開いた。
「この村はな、ここのところ『神隠しの村』って呼ばれてんだよ」




