第24話:神隠しの村
翌朝、アリスたちは少々靄のかかった畦道を歩いていた。
肌に吸いつくような冷たく湿った空気の中を、雲を染める陽光が透過して爽やかな朝を演出している。
昨晩泊まった宿のある村から進み、森を抜けると開けた土地に見渡す限り畑が広がる場所に出る。北側には川が通っており、上流へと遡れば綺麗な湖もあるそうだ。
真上から見ればおおよそ長方形になっているであろう畑の中心には、小さな祠が立っている。
「随分広いのね……何かヒントがあればと思ったけど、これじゃなーんにもなさそうね」
「この辺りはショーコロカーズと呼ばれるお芋の畑だと伺いました」
「……畑は初めて見たかも」
アーロンとアリスは、物珍しそうに畑やそこに生える植物の芽を観察し出した。
“たまに料理の中に入っている甘味と独特の風味が特徴的な芋”として見たことは幾度もあるが、こうして植物丸ごとを見る機会はなかなかない。土からひょっこりと顔を出した10センチメートルほどの緑の芽は、朝露をまとってキラキラと輝いている。
「ショーコロカーズは、魔力が豊富な土地でないと育たないといわれていますの。ここの一帯は土壌に魔力が多く含有されており、栽培に適していますわ」
「へぇ……」
フィリスの説明を受けて、アリスはしゃがみこんで土を触った。見た目には何の変哲もない土に見えるが、分かる人にはありがたいものなのだろう。
「でも、私たちの街では見かけなかったわね……そんなに場所も遠くないと思うけど、それでも土質って変わるものなの?」
「いいえ、ここは少々特殊です。一説には、魔鉄鉱から流れくる川の水が魔力を含んでこの地に流れ着くことが原因などとも言われておりますが、ここには興味深い言い伝えが残されていますの」
「興味深い言い伝え?」
「大猫殺しの英雄譚さ」
「うわぁ!?」
アリスはいきなり後ろから声を掛けられて飛び上がった。
そこにいたのは、昨日の宿の主人である老人だった。
「朝から精が出るな」
「脅かさないでよ……えーと」
「ディミトリだ」
そう名乗った老人は、少しの荷物を持っており、動きやすい服装になっている。おそらく農作業をしに来たのだろう。
「宿屋の仕事はいいの?」
「俺は元々農業で食ってたからな。安心しろ、朝飯は作っておいてある」
「おじさま、“大猫殺しの英雄譚”についてお聞きしたいです」
フィリスがそう言うと、ディミトリは彼女を一瞥して祠の方を指差した。その先を目で追うと、祠の近くに古びた木のベンチが置かれている。
「立ち話もなんだ。あそこで話そうか」
*
長らく風雨に晒されてきたであろう薄汚れたベンチは、大人が三人座ってちょうどいいくらいであった。
老人はその真ん中に座り、両隣に風呂敷と手拭いをそれぞれ敷くと、腰に差した筒から煙管を取り出した。
「飲んでも?」
「構わないわ」
アリスが答えてやると、ディミトリは革袋に煙管の先端を突っ込んで、煙草を詰めながら、座るように勧めた。
アーロンは老人の正面の地面に腰を下ろすと、早速彼に問い掛けた。
「……それで、言い伝えっていうのは?」
「……ベリアルによる魔法書第一章。リトルフレイム」
煙草を詰め終えたディミトリが緩慢な所作で煙管を咥え、炎の魔法で火をつけると、独特の香気が漂う。
ゆっくりと煙を喫って吐き出すと、彼は徐に語り出した。
「昔々の話だ。大陸中を駆け回っては暴虐の限りを尽くす魔獣がいたという。永劫の闇を思わせる漆黒の毛皮と、煉獄の紅蓮がごとき炯眼を持つその魔獣は、“鬼火の大猫”と呼ばれて恐れられていた」
「鬼火の大猫……」
「……どこかで読んだことがある。腕を振るえば大地をも抉るとか」
老人はまた煙管を咥え、ゆったりと煙を吐いた。
「俺は実際に見た訳じゃないから、どんなもんだったのかは知らないけどな。とにかく滅茶苦茶やってたらしい。そこに1人の男が立ち上がったんだ」
アーロンたちはすっかり彼の話に聞き入っており、まるで紙芝居に見入る童子のように次の言葉を待っていた。
「その男はハンクといったそうだ。彼は果敢にも鬼火の大猫と戦いを挑んだ。数ヶ月にも渡る激戦の末、ようやく彼が大猫を打ち倒したのがこの地だと言われている。そうして倒された大猫の死骸は、滴る血液で以てその身に宿っていた魔力をこの土地に放出したのだそうだ」
そう言うと、ディミトリは顎をしゃくって祠を指した。
「あの祠は、倒れ伏した大猫の心臓にあたる位置に作られたという。これ以上あんな化け物による被害……いや、災害が起こらないようにってんで建てられたものだそうだ」
「なるほどね……それでこの辺りだけショーコロカーズの畑になってるって訳ね……?」
「まあ、本当かどうかは分からないがな。お嬢ちゃんが言ってたように、もっと別に原因があるって説もある」
老人はまたプカリと煙を吐くと、足元に転がっていた雨水の入ったバケツに煙管の灰を捨てた。
煙管に息を吹き込み、残った灰も落とすと、気怠げに腰を上げて伸びをした。
「さ、俺は農作業に入るかね。お前たちは邪魔だから帰んな」
「ありがとうございました。とても興味深いお話でしたわ」
フィリスもそれに合わせて立ち上がり、丁寧なお辞儀をした。
「……ただ、昨日聞いた神隠しの話とは関連が薄いか……」
「ん? お前たち、まだその話を嗅ぎ回ってんのか」
アーロンの呟きを耳ざとく聞き取ったディミトリは、しかめっ面で言った。
昨晩、彼から『神隠し』について聞いたアーロンたちは、その詳細を聞き出そうとしたが、彼はあまり詳しく語ろうとせず、概要だけ話すとそそくさと居なくなってしまったのだ。
しかし、外を出歩いている人が突然神隠しにあったかのように消えてしまうというその話は、レニーの行方に大きく関わってるのは自明だ。
それ故、彼らはこの『神隠し』について聴き込むことに決めたのだ。
「悪いことは言わねぇから止めとけよ。お前たちがどれだけ強いのかは知らないが、村一番の腕利きだって消えてんだ。無事は保証できない」
「……そういうわけにもいかない。友人が行方不明なんだ」
アーロンがそういうと、背を向けて歩き出していたディミトリはその動きを止めた。
「お前たちも、仲間を連れていかれたのか」
「ええ。だから神隠しについて調べて回ることにしたの。おじさん、知ってる事があるなら教えてほしいんだけど」
振り返らないままにぽつりとこぼしたディミトリの背中に、アリスが畳み掛けると彼は一つため息を漏らして振り返った。
「もう一服したくなっちまった。付き合え」
老人はそう言って、煙管の雁首を煙草入れの袋の中に突っ込んだ。
*
「ベリアルによる魔法書第二章。フレイムビーンズ」
アーロンたちがディミトリから話を聞いている頃、少し離れた森のどこかで男の低い声が発せられた。
彼の手の平からいくつかの火球が放たれると、それらはふよふよとブレながら少年の元へと向かった。
「ひっ……」
あわや直撃といったところで、火球はボボッと情けない音を立てて掻き消えた。普通ならあり得ないその現象に、男の目は驚きに見開かれ、口元は怪しく歪んだ。
「兄貴……やっぱりこいつ……」
その横から出てきた別の男が、魔法を放った男に声をかけた。
「ああ、何だか知らないが魔法が効かないらしい」
彼は大層おかしそうに笑った。くつくつと、抑え込まれた笑いは、やがて沸き立つ愉悦によってその抑圧が外れ、大きな高笑いになった。
朝の森に彼の声が響き渡り、早起きな鳥たちが梢を発っていく。
「クランツ」
男は一転して、静かに隣に立つ男を呼んだ。そして噛み締めるように次ぐ言葉を口にする。
「今晩だ。手はず通りに、な」
「承知しました、兄貴」
猿轡を噛まされ、手足を拘束されたレニーは、その声を聴きながらただ目を瞑って祈ることしかできなかった。




