第21話:足掻くも逃げるも罠の中
「嘘……だろ……?」
弱々しい声がセオの喉から絞り出された。マスターもまた、動作の中に少なくない動揺を隠し切れない。
「あははははは! その顔! 最高ったらないわ! 家族も同然に愛を注いできたアーロンに、孫娘のようにかわいがってきたアリスに裏切られるとこーんな間抜けな顔になるのね!」
「貴様ッ!」
激昂したセオが投げつけたナイフは、青肌の女の前に出た赤肌の男によって軽々と弾かれた。
カランカランと空しい音が、嘲笑うようにマスターとセオの鼓膜を揺らす。
「おい」
「ん、なぁに? ……あぁ、そろそろ時間ね」
赤肌の男が声をかけると、お腹を抱えて笑っていた青肌の女は時計を確認した。
そのままマスターに視線を合わせると、ニヤニヤと嫌らしい笑いを隠さずに彼に宣言する。
「残念だけど、時間切れよ。ヒーローごっこは終わり」
「何を言ってい――」
彼のセリフは不自然に途中で止まった。その原因となった違和感の正体を探ろうと己の腹部を見て、彼は驚愕した。
その腹には、先程セオが投げたはずのナイフが、深々と刺さっていたのだ。
遅れて、呼吸すら妨げるような激痛が彼を襲う。反射的に背を丸め、身体は横向きに崩れ落ちていった。
「……く、ふうっ」
「マスター!」
セオは急いでその傍に車椅子を寄せた。その手で何とか止血しようとするが、刺し傷は深く、赤黒い血液がとめどなく溢れて床を濡らす。
「さ、カノイミをとっとと寄越しなさい」
「……残念、でしたね。そのための、“鍵”は、とっくに逃がしちゃいましたよ」
「ん、ん〜。これがそうでもないんですね」
七三分けの男はマスターの声を受けて部屋の片隅を指差した。そこには、頭を押さえて今しがた起き上がったであろう少年がいた。
アイラたちと一緒に逃がしたはずのレニーだ。
彼は腹から血を流すマスターを見て目を見開き、駆け寄って来る。
「えっ! マスター!?」
「レニー……何故……」
「ん、ん〜。あのかわい子ちゃんは責めないであげて欲しいのね。彼女もまた、人数を“覚え違い”しちゃっただけだからね」
七三分けの男はニヤニヤと不快に嗤った。この男が、厄介事を報せに来た男と同じ手段で、アイラに何かをしたのだと気付くのは些か遅すぎたようだ。
悔しさと痛みに歯を食いしばるマスターを尻目に、青肌の女はレニーに言い放った。
「あんた、カノイミの場所、分かるんでしょう?」
*
「……っ!!」
「遅かった!」
アリスとアーロンがギルドに戻ってきたのはその十数分後であった。
風すらも置き去りにするような速さで帰還した彼らが見たギルドは――。
「……畜生っ!」
――凄まじい熱気を伴う炎に包まれていた。
木の焼け焦げる匂いと何かの爆ぜる音や崩れる音、それに濛々と立ち込める黒い煙が、建物の周りに充満していた。
踊る様に舞う真っ赤な炎が見慣れた扉を、壁を、窓を抱いている。
ただそこにある膨大な熱が、悪い夢であったらという二人の希望を打ち砕く。
アーロンはアリスの方を見た。一瞬、彼女の瞳から怒りや悲しみが垣間見えたが、すぐにその目つきは戦闘時のそれに変わる。それを見て、アーロンは彼女が自分と同じことを考えていることを理解した。
「……セクアナによる魔法書第八章。アクアヴェール」
水の魔法は二人の身体を包み込み、襲い来る熱と炎から身を守る防具となる。
それが終わるや否や、彼らは焼け落ちていくギルドに飛び込んでいった。開け放たれたままの扉から中へ踏み込み、大部屋へと入る。
机は割られ、壁はえぐられ、窓は割られ……。荒れた部屋の中を見渡すと、そこには、3人の人がいることが確認できた。
バーカウンターの辺りに蹲っているのはマスターだろうか。それを庇うように立っているのはレニーだ。
そして、そのレニーと向き合い、彼にナイフを向けているのは――。
「おや、思ったよりも早かったね」
揺れる炎に照らされてそこに居たのは、白髪が特徴的な車椅子の男――セオ・ミレットであった。
「どういうつもりよ! セオ!」
「どういうつもり、ねぇ。本当はこいつと爺さんを殺して逃げちゃって、全部君たちに押し付けちゃおうと思ってたんだけど」
セオはそう言って乾いた笑いを見せた。これまで彼が見せてきた優しい笑いではない、ひどく歪んだ笑いだ。
「名案だったと思わないかい? カノイミは回収できて、事情を知る二人は殺せるし、厄介な君たち二人は満足に身動きが取れない状態になるだろう?」
「っ! この……クズ野郎!」
「おっと、危ない」
瞬時に間合いを詰めて側頭部目掛けて振り抜かれたアリスの右足は、空を切った。セオはいつの間にか彼女の間合いから外れた少し遠い位置にいる。
脚力を強化したアリスの一撃は極めて速く、常人に反応できるものではない。増してや車椅子の彼が回避できる筈はないのだ。
「っ!?」
「……魔法痕はない。一体何をした?」
「敵に教えてやると思うかい?」
アーロンの質問に、セオは“敵”という言葉を強調した質問で返す。
得体の知れない技を使う見知った敵を前にして、アーロンとアリスは無闇に手を出せない。燃え盛る炎に囲まれる中で、睨み合ってお互いの動きを牽制する。
ふと、セオが何かに気付いたように視線を逸らした。
「そろそろだね。そいつを殺せなかったのは心残りだけど、大した変わりはないだろうから、まあいいさ。僕はこれで失礼するよ」
突然為された撤退の宣言。アーロンとアリスはそのあまりに唐突な行動に反応が遅れる。
「……逃がさない!」
「さよなら、アーロン」
アーロンの拳は、当たるはずだったセオの顔を捉えることなく空を切った。
鮮やかと言う他ない引き際だ。セオは煙のようにどこかへ消えてしまって、もう気配すら追うことは出来ない。残された送渦の魔法痕は、彼が何らかの手段でどこかへ転移して逃げたことを示唆している。
「マスター!」
辺りの警戒をアーロンに任せ、アリスは倒れて蹲っているマスターに駆け寄った。彼は辛うじてまだ意識を保っているようで、アリスの声を聞いてゆっくり顔を上げた。
「マスター! しっかりして!」
アリスの声は、少しだけ震えていた。少しでも安心させてやろうと、マスターは彼女の手に自分の手を重ねた。
「すま……ない。私の、過ちに……巻き込んで」
「いいの、いいのよマスター! 私たち家族でしょう!?」
アリスはその様子から不吉な可能性を想像してしまい、却って嗚咽が漏れそうになる。
「レニーを、頼む」
「うん、分かってるから……分かってるから死なないで!」
アリスの声を聞き届け、マスターは自分の方が安心させられていることに気が付いた。こんなに優しい彼女を、あんなに正しい彼を、一瞬でも疑ってしまった自分が情けなくなってくる。
「まったく、どう……しようもない、マスターだね」
「マスター……? マスター!!」
彼は独り言のようにそう零すと、意識を手放した。気が動転したアリスに代わって、いつの間にか近くに来ていたアーロンが脈と呼吸を確かめる。
「……大丈夫、生きてる……けどかなり弱ってる」
「すぐに手当を……」
「触らないで!!」
マスターを運び出そうとする2人に、鋭い言葉が投げつけられた。キッチンの奥、抜け口へと続く戸を開けて現れたのは、煤にまみれたアイラだった。
「ち、ちがうのアイラ!」
「気安く呼ばないで! 何も聴きたくない!」
長い時間を一緒に過ごしてきたアーロンたちでも今までに見たことがないくらいの剣幕で、彼女はヒステリックに叫んだ。
彼女もまた、相当に気が動転している事には違いなかった。
突き刺すような殺気に圧されて、アーロンがアリスの袖を引いて下がらせると、アイラは倒れるマスターの元へ駆けつけた。
「マスターはアイラが助ける。今回のことは、管理委員に報告させてもらうから、早くどっか行って」
「アイラ……」
「どっか行ってって言ってるでしょう!!」
彼女の金切り声は、燃え盛る炎の轟音を鋭く切って裂く。その顔を見るまでもなく、彼女は泣いていた。
「トールによる魔法書第二章! シャテーニュフラッシュ!!」
泣き喚くような彼女の叫びによって、雷の魔法が撃ち出される。精神の乱れた彼女の魔法は乱暴に飛び、アリスの耳元を通過した。
「……アリス!」
「……仕方ないのね」
アーロンの呼びかけに、彼女は頬を伝う涙を拭った。
「レニー、担ぐわ」
短くそう言うと、彼女は混乱し切って何をどうしたらいいのか分からないレニーを肩に担ぎ上げた。焦点の合わない目をしているレニーは、抵抗するどころか声を発することすらできない。
崩れ落ちる慣れ親しんだ建物に背を向け、長年仲良くしてきた仲間に追われ、謂れのない罪を背負った2人と、異界から来た無知で無力な少年は、小さな街を抜け出してどこまでもどこまでも逃げていった。




