第20話:襲撃
『残念。ハズレだ、間抜け』
到着した時計塔の一面には、赤いインクで嘲るようにそう書いてあった。取り巻きはそれを見て、犯人は誰だとか、修繕費がどうだとか話し合っている。その全く予想外の状況に、肩で息をするアリスは目を見開いて驚愕している。
「どういうことだっていうのよ……」
「……分からない」
アーロンは乱れた呼吸を整えながらその意味を考える。アリスとアーロンをこの場に呼びつける意味、ここに書きつけられた言葉の意味、マスターの言っていた言葉の意味……そして。
「……まさか」
レニーと自分たちとを引き離す意味。
それらの意味はひとつずつが独立した点のように見えるが、それらを結んで線にしてやることによって、アーロンの中に一つの仮説をもたらす。
その瞬間、彼はサッと血の気が引いたことを自覚した。
「誰がこんなこと……」
「……誰がやったのかは今はいい」
アーロンは集まった人の輪を中心から見回した。その顔にある焦燥は、先程よりも更に色濃くなっている。
やがて手近なところに知った顔を見つけると、すぐにその男に詰め寄った。
「……うちのアイラとそのツレ、知らない?」
「お、おう。さっきうちで買い物して、ちょっとこれ見て帰っていったけど……っておい!」
稀に見るアーロンの鬼気迫る様子に動揺した男が答え終わる前に、彼は勢い良く人混みを割って駆け出していった。
行きにもまして道を急ぐ彼は、最早通るルートを選ばない。塀を越え、屋根を渡り、路地裏を疾走して最短距離でギルドを目指す。
「ねぇ、ちょっと! どうしたっていうのよ!」
アーロンの後ろを追い、ようやく横に並んだアリスが言う。アーロンは速度を落とさないまま口を開いた。
「……マスターは今朝例のアレにレニーを接触させたと言っていた」
「ええ、そうね」
「……加えて例のアレほどの危険なもの、マスターなら手の届く位置に保管するはず」
アーロンは自らの仮説を確かめながら話すかのように、慎重に言葉を並べていく。
「……そうなると、例のアレはギルドの中かすぐ近くにあるはず」
アリスは軽くゴミ箱を飛び越えながら、沈黙を以て異議が無いことを示す。
「……マスターはレニーの力で例のアレを無力化しようとしているけど、仮にアレの存在を知り、欲する人物がいたとしたら、彼らにとってもレニーの存在は好都合だ。マスターでさえ解除出来ない結界があるから、そう簡単には持ち出せないはずだけど、今はそれをする方法がある」
「レニー、ね」
「……そう。もし仮に、そういう組織や人物があったとすれば、レニーを使わない手はない」
アリスは廃坑でのウドの話を思い出していた。彼らはレニーがいれば、結界によって守られたものを盗み出せるという話をしていた。それはつまり、アーロンの仮説と同じケースということになる。
「でも、それじゃちょっと出来すぎじゃない? レニーが接触したのは今朝早くでしょ? レニーに魔法が効かないのは確かだけど、レニーが結界を抜けられるかは接触させてみないと分からないわ。私たちが話を聞いたのも今朝だし、そんなタイミングで来るなんてまるで――」
こちらの動きが全て把握されているみたい。アリスはそう続けようとして口を噤んだ。彼の言わんとしていることを察したのだ。
アーロンは、それを確認しながら壁を蹴って背の丈より高い塀を越え、話を続ける。
「……だから、急がないといけない。もし何かが起こるとするならば、この背景には内通者の存在がある」
*
時は少し戻って数分前。blanumakfaの戸が開いて、彼女たちは帰ってきた。
「ただいまー!」
「……アイラ?」
「アイラです! ……って、マスターどうかしました?」
オレンジ色の髪をした少女は、首を傾げた。マスターはしれっと帰ってきた彼女の様子に驚きを隠せない。
何かトラブルに巻き込まれたらしいという話だったはずの彼女たちは、何事もなかったかのように戻ってきたのだ。
「アーロンたちに会わなかったかい?」
「アーロン? 会わなかったですね……すれ違っちゃったかな?」
アイラは買ってきたものを入れた荷物を持ってキッチンの方へ向かって歩いていった。
何故だ。どういうことなんだ。
一方のマスターはすぐに頭を回転させて状況を把握しようとする。
ギルドに入ってきて街市場でのトラブルを報せた男は、紛れもなく正真正銘古くからの知り合いの男であったはずだ。そして彼の様子から見るに、嘘の情報や眉唾物の噂話を持ってきた様ではなかった。むしろ、まるでその場で目撃して急いで走ってきたかのような素振りだったはず。
仮に、アイラたちが何か厄介事に巻き込まれたというのが彼の嘘だったとしても、彼にそれをするメリットはない。
これらの状況から導き出せる答えは――。
「お邪魔するわよ」
何者かの仕掛けた罠。
その答えを肯定するように、今しがたアイラたちが入ってきた扉が勢い良く開いて見知らぬ女が言った。
踝ほどまであるローブを身に纏った青肌の女は、フードを外して不敵に口角を上げた。
その場にいるギルドメンバーたちは、全員が一気に臨戦態勢に移る。それほどまでに、彼女は不穏な気配を発していたのだ。
「どちら様でしょう?」
「そうね、正義のヒロインとでも名乗りましょうか」
氷のような冷たい殺気を放つセオの質問を、彼女は余裕たっぷりにあしらった。常人では考えられないその振る舞いを見て、相対するギルドメンバーたちは更に警戒心を高める。
「さっきの彼、君たちの仕業かい?」
「あら、気付いてたのね」
指の長い手を口元に当てて意外そうに笑う彼女の後ろから、彼女と同じローブの男が二人、ゆっくりと入ってきた。
一人は2メートル近い巨躯の男だ。こちらはやや赤い肌をしており、膨れ上がった胸筋や大樹を思わせる太腕はローブ越しにも見て取れる。何より特徴的なのはその額に生えた角だ。それは夏界に巣食う“鬼”の血を引いていることの証拠であった。
「ん、ん〜。でもね、彼を責めないで欲しいのね。彼はただ、ちょっと“勘違い”しちゃっただけなのね」
そう言ってニヤつくのは、もう一人の男だ。濃紺色の髪をきっちり七三分けにした彼は、身長が高くて手足の長い青肌の女や、筋骨隆々で角の生えた赤肌の男と比べて、かなり人間に近い体格をしている。
しかし彼もまた、他の2人と同じように吐き気のするような威圧感を漂わせている。
彼ら3人が強敵であることは、誰の目にも明らかであった。
「要件は何ですか?」
「惚けるんじゃないよ。大体察しはついてるんだろ?」
余裕を崩さないままに、青肌の女が言う。切れ長の目の奥にあるルビーのような赤い瞳は、千里眼のごとく全てを見透かしているかのようだ。
「カノイミを寄越しなさい。何のことだとは言わせないわ」
「……アイラ」
「はい」
悪い予感ほど当たるものだ。マスターはそう思いながら、後ろに控えているアイラに声をかけた。見かけによらず実力のある彼女は、敵の戦力を的確に察知しているようで、3人の一挙手一投足をも見逃さないように神経を尖らせている。
「……皆を連れて、抜け口から逃げなさい」
「えっ……?」
アイラは敵から目を離さないままに吃驚の声をあげた。それは彼女はマスターやギルドメンバーたちと一緒に彼らと戦うつもりであったからに他ならない。
全員で挑めば確実ではないものの勝算があると判断したのは勿論だが、自分たちの居場所を自らの手で守りたいという思いがあるのも確かだ。
マスターの指示と自分の気持ちや考えの中で揺れて、アイラの中に刹那の逡巡が生まれた。キリキリと張った糸の上を歩くような極限の緊張の中に落とされたほんの僅かな間は、この場において実力に劣る者の精神をすり減らし、気を逸らせる。
「せ、セクアナによる魔法書第二章! ロー・フューズィ!」
余りに静かな局面に耐え切れず、リカが裏返った声を上げる。彼女の手から勢い良く水鉄砲が――放たれなかった。
「あ、あれ……なんで!?」
「ちょっと無粋じゃないかしら、今お取り込み中よ?」
不機嫌そうな声を上げた青肌の女がリカを鋭く睨めつける。たったそれだけで、リカは全身の筋肉が硬直し、肌が粟立つのを感じた。
戦慄なんていう言葉で言い表せる域はとうに超えて、絶望と呼ぶに相応しい感情が、リカの動かない身体をじっとりと支配する。
「勇み足のお返し、あげちゃうわね。セクアナによる魔法書第二章。ロー・フューズィ」
リカが使った魔法と同じものを放つための文言を、青肌の女が口にした。彼女の掌からリカのそれとは比べ物にならないほどの水流が生まれ、立ち尽くすリカを飲み込もうと迸る。
その間に、アイラが体を滑り込ませた。彼女の手には、取っ手のついた丸い手鏡が握られている。
「minra!」
短く吠えるような言葉は能力の発動を意味するものだ。しかし――。
「どうして!? 反応しない!」
これも不発。鋭い光は発せられることなく、手鏡はただアイラの顔を映し出すのみだ。
二人の元へ轟々と唸る水流が迫り来る。
誰かの息を呑む声が聞こえ、ついに彼女たちのいる場所を飲み込み、建物の壁に叩きつけた。
「ギリギリセーフじゃったのう」
飄々と言ってのけるレノンの腕の中には、今まさに水流の直撃を受けたかのように見えた二人の少女がいた。
魔法と能力を封じられ、リカもアイラも表情の中に確かな怯えが見える。
「アイラ、皆を連れて逃げてくれ」
「……分かりました」
マスターからの2度目の指示に、アイラは悔しさを滲ませた声色で答えた。敵から目を離さないままに、その場にいるメンバーたちをまとめて、キッチンの奥にある抜け口へと向かっていく。
「セオ、戦えますか?」
「はい。何とか食い止めましょう」
その逃走路を追わせないように、セオの車椅子とマスターが道を塞いで身構える。魔法や能力が効かないと見て、マスターの手には非常用のロングソードが握られている。
「君たちはどうやってアレのことを知ったんだい?」
「ん、ん〜? なかなか鈍いことを言うんだね。スパイを寄越していたからに決まってるよね」
まとわりつくような独特の喋り方で七三分けの男が言った。
「うちのギルドにはそんな不届き者はいないと思っていたけどね」
「はっ、お涙頂戴ってところかしら。反吐が出るわ」
青肌の女は苛立たしげに声を荒らげた。しかしすぐに、何かに気が付いたように表情を愉悦に歪める。
「そーうだわ、冥土の土産ってことで聞かせといてやるわ。あんたのギルドにいた私たちのスパイちゃんの名前」
たっぷりと、わざと焦らすように間を置いた彼女は楽しくて仕方がないといった様子でマスターたちの反応を観察している。
「アーロン・ホッグと、アリス・キーオン! それが裏切り者の名前よ!」
彼女は叫ぶような大声で堂々と宣言した。




