第9話 ルミサンの桜井陽葵
「陽葵ちゃん、今日初めて来ました」
「え、本当?」
「昨日じゃなくて、一昨日の動画見て」
「ありがとうございます」
物販の列。目の前にいる女の子は、少し緊張した顔でチェキ券を握っていた。
「こういうライブ初めてで」
「どうでした?」
「思ってたより近い」
「物理的に?」
「それも」
「そこなんだ」
緊張していた相手も笑ってくれて、私もつられて笑った。
「あと」
「うん?」
「もっと演技の時みたいな人だと思ってた」
「どんな人だと思ってたの?」
「静かで、ちょっと怖い感じ」
「全然違う!」
「全然違いました」
「褒めてる?」
「褒めてます」
「最近それ言われると不安になるんですよ」
「何でですか?」
「メンバーが都合いい時に使うから」
また笑ってくれた。
「でもライブ楽しかったです」
「よかった」
「美月ちゃんすごいですね」
「でしょ!」
思わず声が大きくなる。
「センターの子ですよね?」
「そう。美月はステージ上すごいんですよ」
「琴葉ちゃんも歌すごかった」
「そうなの! 琴葉、普段静かなのに歌になると急に強いんですよ」
「杏奈ちゃん面白い」
「そこは大体いつもあんな感じです」
「沙耶ちゃん、全体見てる感じします」
「めっちゃ見てます」
気づけば、私は自分の話より四人の話をしていた。スタッフに「そろそろ」と言われて我に返る。
「あ、ごめんなさい。私の物販なのに」
「いや、楽しいです」
「本当?」
「箱で好きになりそう」
その言葉が、何より嬉しかった。
「じゃあまた来てください」
「来ます」
「約束ですよ」
「はい」
チェキを渡す。次の人が来る。その人も初めましてだった。
ここ数日で、明らかに新しい顔が増えている。嬉しい。
でも、少しだけ、変な感じもしていた。
◇
「陽葵列、今日長かったね」
物販後の楽屋で杏奈が言う。
「うん」
「どうしたの、そのテンション」
「嬉しいよ」
「でも何かある顔」
美月がこちらを見ながら言う。
「分かる?」
「分かる」
「やだなあ」
「二年いるので」
私は椅子に座る。
「演技で来てくれるの、嬉しいんだけど」
「うん」
「私、ライブで何見せればいいんだろうってちょっと思う」
「は?」
杏奈が素で聞き返した。
「いや」
「普通にライブすればいいじゃん」
「それはそうなんだけど」
「何で急に難しく考えるの?」
「だって、演技の私見て来た人なんだよ?」
「だから?」
「全然違うじゃん」
「違うから面白いんじゃない?」
杏奈の方が簡単に答えた。
「そうかな」
「私はそう思う」
「珍しくまともなこと言った」
「珍しくって何!」
沙耶が笑いながら荷物をまとめる。
「陽葵はさ」
「うん?」
「来てくれた人に、演技の陽葵をもう一回見せたいの?」
「……違う」
「じゃあ何見せたい?」
「ルミサン」
「ならそれでいいんじゃない?」
あまりにも簡単だった。
「でも、私を見に来てくれたんだよ?」
「だから陽葵も見せればいいでしょ」
「アイドルの?」
「そう」
「それでがっかりされたら?」
今度は美月が口を開いた。
「それはしょうがない」
「冷たい」
「だって演技の陽葵しか好きじゃない人もいるでしょ」
「うん」
「逆に、ライブの陽葵しか興味ない人もいる」
「うん」
「両方好きになる人もいる」
「うん」
「それを陽葵が決める話じゃないじゃん」
正論だった。理屈では、たぶん全部その通りだ。
それでも「演技の動画で見た人が、ライブの私を見てがっかりしたら」という不安だけは、正論を聞いたからといってすぐ消えてはくれなかった。
「美月、たまにすごいまとも」
「たまにって何」
「杏奈と同じ返し」
「一緒にしないで」
「ひど!」
「でもさ」
琴葉が口を開いた。全員がそちらを見る。
「陽葵、演技の時は人に見られるの怖くないって言ったじゃん」
「言ったの琴葉だけどね」
「今は見られすぎて怖い?」
「……ちょっと」
「じゃあ普通」
「普通?」
「人増えたら怖いでしょ」
琴葉は淡々と言う。
「でもステージは一人じゃないし」
昨日、美月にも言われた。同じこと。
「五人いる」
琴葉が続ける。
「陽葵だけ見に来た人も、最終的に私の歌聞けばいい」
「強い」
その言い方がおかしくて、私は笑った。
「美月もいるし」
「うん」
「杏奈もうるさいし」
「何で私だけマイナスっぽいの!」
「沙耶もいる」
「私は?」
「安心感」
「ありがとう」
「私だけ!」
楽屋に笑いが広がった。私は一緒に笑ったけれど、引っかかりはまだ少し残っていた。
四人の言うことが正しいかどうかではなく、結局はステージに立った自分がどう思うか。その答えだけは、次のライブで確かめるしかない気がした。
◇
その日の帰り、佐伯さんに呼ばれて、事務所へ寄った。
「この前言ってたドラマ案件」
「はい」
「正式に資料出せることになった」
「本当ですか?」
「まだ書類段階」
「はい」
「ここで落ちる可能性も普通にある」
「はい」
「期待しすぎない」
「三回目くらい言われてます」
「陽葵、顔に出るから」
「出てます?」
「出てる」
佐伯さんが渡してきた資料は、深夜帯の地上波ドラマのものだった。
役は小さい。高校を舞台にした作品で、主人公のクラスメイト役。台詞があるかどうかもまだ分からない。
「今までだったら、こういうの回ってこなかったんですか?」
「正確には、回ってきても優先順位が低かった」
「優先順位」
「事務所から誰を出すかって意味ね」
「なるほど」
「陽葵はアイドル枠で見られてたから」
「今は?」
「演技もできるアイドル枠」
「まだアイドル枠なんですね」
「当たり前でしょ」
「ですよね」
「いきなり女優扱いにはならない」
「はい」
「でも、入口には立った」
佐伯さんが私を見る。
「そこはちゃんと喜んでいい」
「……はい」
「あと」
「まだあります?」
「ある」
別の紙を出す。
「オーディションになる可能性高い」
「オーディション」
「制作側が何人か見たいって」
「受けたいです」
「まだ日程も決まってない」
「決まったら受けたいです」
「分かった」
佐伯さんが少し笑った。
「そう言うと思った」
◇
事務所を出る。スマートフォンを見ると、Pingが来ていた。【高瀬湊:演技の動画見ました】
数日前までなら少し構えたかもしれない。今は普通に返せる。【陽葵:ありがとうございます】
【高瀬湊:本当にうまいんですね】 【陽葵:本当にって何ですか】 【高瀬湊:いや、話聞いただけだったから】
【陽葵:疑ってた?】 【高瀬湊:ちょっと】 【陽葵:ひどい】
【高瀬湊:でも普通にびっくりしました】 少しだけ嬉しい。【陽葵:ライブも見てください】
送ってから、自分で驚いた。何でそんなことを書いたんだろう。すぐ返信。
【高瀬湊:演技じゃなく?】 【陽葵:ルミサンも】 【高瀬湊:じゃあ機会あれば】
【陽葵:お願いします】 画面を閉じる。私はたぶん、少し気にしている。
演技だけ見られることを、だからこそ。ライブも見てほしいと思っている。
◇
数日後。いつものライブハウス。いつもの狭い楽屋。
「杏奈、スマホ置いて」
「今日は普通の写真!」
「本当?」
「本当!」
「見せて」
「信用がない!」
「自業自得」
私は杏奈の画面を覗く。本当に普通だった。
「じゃあいいよ」
「やった!」
「でも美月の後ろで撮って」
「何で?」
「美月の方が盛れる」
「陽葵、それ本人が言う?」
「事実」
「そこ自信持って!」
美月が笑いながら、私の肩を押す。
「陽葵も入る」
「え」
「五人で撮るよ」
「配信?」
「Picsta用」
「じゃあ琴葉呼ぼう」
「いる」
琴葉はすでに隣にいた。
「早」
「待ってた」
「沙耶」
「はいはい」
五人で寄る。杏奈がスマートフォンを掲げる。
「行くよー!」
「ちょっと待って」
美月が止める。
「陽葵、髪」
「また?」
「今日左」
「毎回どこか変なの?」
「動くから」
美月が慣れた手つきで髪を直す。
「よし」
「撮るよ!」
撮影音が鳴り、すぐに画面を確認する。
「いいじゃん」
「陽葵普通」
「普通でいいでしょ!」
「芝居の顔して」
「できるわけない!」
「じゃあ泣いて」
「注文雑!」
「はい、もう一枚」
何枚か撮る。全部くだらない。でも楽しかった。
◇
本番、今日は、例の動画を見て来た人が何人いるのか分からない。それでも客席に新しい顔があるのは分かった。私は少しだけ緊張していた。
「陽葵」
ステージ袖へ戻ると、美月に呼ばれた。
「うん」
「今日、一曲目の頭」
「分かってる。二歩前」
「そう」
「ぶつからない」
「頼むよ」
「センターが避けて」
「まだ言う」
「人気一位なんだから心も広く」
「人気四位に言われたくない」
最初のライブの日と、同じやり取り。私は思わず笑った。
「何」
「いや」
「行くよ」
「うん」
五人で手を重ねる。ステージへ出る。ライト。
歓声の中へ音が重なり、ステージの空気が一気に動き出す。
私は笑う。芝居の時みたいに、別人にはならない。たぶん、ならなくていい。
今日は桜井陽葵として立つ。Lumière cinqの一人として。曲が終わる。
MC。杏奈が客席を見る。
「今日初めての人ー!」
客席から上がる手は、以前より明らかに多かった。
「おお!」
私も思わず声を出す。
「何で来てくれたんですかー?」
「聞くんだ」
沙耶が笑う。客席のどこかから声が飛ぶ。
「演技の動画ー!」
歓声に混ざって、確かに聞こえた。私は少しだけ息を止めた。
「ありがとうございます!」
普通なら、そこで終わる。でも私は続けた。
「じゃあ今日、ルミサンも覚えて帰ってください!」
美月が横で笑った。
「よく言った!」
杏奈が勢いよく叫ぶ。
「五人分覚えて帰ってー!」
「急に負荷高い!」
「じゃあ今日は二人!」
「誰と誰!?」
「私と陽葵!」
「何で!」
客席が笑う。琴葉まで珍しくマイクを上げる。
「歌も覚えて」
「琴葉が参加した!」
「それは大事」
「じゃあ全部覚えて帰ってください!」
美月が締める。歓声が返ってくる。次の曲が始まった。
私は歌いながら、客席を見る。昨日まで知らなかった人たち。演技の十七秒だけで私を知った人たち。
でも今、この人たちは五人を見ている。
演技の私を入口にして来た人が、美月のセンターを見て、琴葉の歌を聞いて、杏奈に笑って、沙耶まで覚えて帰ってくれる。その景色を目の前で見た時、楽屋でいくら正論を聞くより先に、ようやく腑に落ちた。
私が見せればいいのは、演技の続きじゃない。ルミサンの桜井陽葵だった。
◇
終演後。物販列へ向かう途中で、スタッフに止められた。
「桜井さん」
「はい?」
「マネージャーさんから預かってます」
差し出されたのは、一枚の封筒だった。
「何ですか?」
「オーディション資料だそうです」
その言葉を聞いた瞬間、胸が大きく跳ねた。
「もう?」
「詳細は中に」
楽屋へ戻って開く。美月たちも集まる。
「何?」
杏奈がすぐ横から封筒を覗き込む。
「近い!」
「見せてよ!」
「今開けてる!」
紙を取り出す。ドラマタイトル。制作会社。
審査会場、日時。
「本格オーディション」
私が呟く。佐伯さんからの付箋が貼ってあった。『書類通過。次は芝居で取ってきて』
「書類通ったの?」
美月が私の表情を見ながら聞く。
「みたい」
「すご!」
杏奈が勢いよく叫ぶ。
「静かに!」
「だって!」
琴葉が資料を見る。
「相手いるやつ?」
「たぶん」
「楽しそう?」
私は一度、紙を見る。それから笑った。
「うん」
たぶん、また同じ顔をしていた。琴葉が少しだけ笑う。
「やっぱり」
資料の一番下。オーディション参加者の参考一覧。そこに、知っている名前があった。
朝倉奈々。私は思わず口元を上げる。
「またいる」
今度は、番組企画ではない。本物のドラマ。次に会う時は、もっとはっきり仕事を取り合うことになる。
読んでくださりありがとうございます!
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