第10話 宣材写真、どっちにします?
事務所の会議室で、私は宣材写真を二枚並べていた。自分にはほとんど同じに見えるのに、佐伯さんは迷わず一枚を選ぶ。
「こっちはアイドルっぽい。ドラマのオーディションなら、今回はもう一枚」
「そんなに変わります?」
「変わる」
残された写真を見ても、やっぱり違いが分からない。
「美月なら分かるかな」
「写真見るの得意なの?」
「人の顔見るの細かいから」
「隣でレッスンしてるでしょ。呼んでみれば」
私は会議室の扉を開けた。
「美月ー」
「何ー?」
「ちょっと来て」
「今ストレッチ中」
「三十秒」
「何」
数秒後、本当に三十秒くらいで美月が顔を出した。
「これ、どっちがいい?」
二枚見せる。美月はほとんど迷わなかった。
「こっち」
「佐伯さんと同じ!」
「でしょ」
佐伯さんが少し得意そうに言う。
「何が違うの?」
「こっちは陽葵が『見てください』って顔してる」
「何それ」
「こっちは普通にそこにいる」
「もっと分かるように言って」
「無理」
「美月!」
「でもドラマならこっちだと思う」
「二対一」
「誰と戦ってるの」
「自分の写真」
「それは勝てないよ」
美月は笑いながらレッスン室へ戻っていった。
「ということで、写真これね」
「はい」
「プロフィールも少し直す」
「何を?」
「演技歴。小規模舞台とレッスン、それに今回の配信企画」
「配信企画も入るんですか?」
「入れる。というか、制作側から『あの演技動画の子も候補に』って返事が来てる」
「……私を?」
「桜井陽葵を」
ただ募集資料が回ってきただけだと思っていたので、その一言で急に意味が変わった。十七秒の動画から始まったものが、今度は本当にドラマの候補者名簿へ私の名前を押し込んでいる。
「それ、先に言ってくださいよ」
「今言った」
私は机の上の資料を見る。深夜帯の地上波ドラマ。学園もの、メインの高校生たちを中心にした青春群像劇。
私が受けるのは、その中のクラスメイト役だった。資料には役名も書かれている。小林由衣。
主要人物ではない。出演回数も多くない。それでも、今までの私には届かなかった仕事だ。
「台詞、これだけですか?」
「オーディション用だからね」
オーディション台本は三ページで、主人公とその友人、それから由衣の三人が登場する。由衣はクラスの中で何となく周囲を見ている子らしい。
「どう?」
佐伯さんが聞く。
「やりたいです」
「即答ね」
「だって本当にドラマですよね」
「今までのも本当に仕事だから」
「そういう意味じゃなくて」
「分かってる」
佐伯さんが少し笑った。
「でも、ここからは今までより人数多いよ」
「オーディションですか」
「何十人か」
「何十」
「事務所ごとに候補を出してるから」
「急に怖くなってきた」
「それが普通」
「奈々もいるんですよね」
「いる」
「やっぱり」
「Vivid Loopから朝倉奈々。向こうは映像経験もあるし、今回みたいな小さい役のオーディションは慣れてると思う」
「そうですよね」
「他にも、俳優事務所から若手が来る」
「俳優事務所」
「陽葵」
「はい」
「ここから先は『アイドルの中では演技ができる』じゃ通らない」
佐伯さんが私を見る。
「今日まで陽葵を見てくれた人が何人いても、会場に入ったら全員、同じ一役を取りに来る候補者だから」
少しだけ背筋が伸びた。
「はい」
「怖い?」
「ちょっと」
「受ける?」
「受けます」
「ならいい」
◇
レッスン室へ戻ると、杏奈はすでに美月から聞いていたらしく、「ドラマ!」と大声で迎えた。地上波だと知るとさらに騒ぎ、沙耶に「まだ受かってないから」と止められる。
「情報回るの早すぎない?」
「同じ事務所なので」
「杏奈が言うと怖い」
「分かってるけど、すごくない?」
「前だったらオーディションにも入ってなかったって」
私が言うと、琴葉がこちらを見た。
「進んだね」
「うん」
その一言が、妙に嬉しかった。
「役どんなの?」
美月が興味を示して聞く。
「クラスメイト」
「学生役?」
「高校生」
「二十一歳なのに」
「芸能界では普通じゃない?」
「まあね」
「制服?」
杏奈が食いつく。
「たぶん」
「見たい」
「まだ受かってない」
「受かったら写真」
「情報解禁前に出さないからね」
「最近警戒が強い」
「誰のせい」
「昔のことをいつまでも」
「数日前!」
「昨日じゃないから昔」
「時間感覚どうなってるの?」
沙耶が笑っている。
「オーディションいつ?」
「明後日」
「近いね」
「うん」
「ライブは?」
「その日は夕方から」
「間に合う?」
「佐伯さんが調整してくれるって」
その言葉に、沙耶が少しだけ私を見る。
「今回はちゃんと最初から相談してるんだ」
「今回はって」
「何でも一人で決めそうだから」
「そんなことないよ」
「ある」
美月まで言う。
「あるね」
琴葉も短く同意した。
「陽葵、意外と勝手に抱えるから」
杏奈まで真面目な顔で言った。
「何で全員一致なの」
「二年間の実績」
沙耶が答える。
「納得いかない」
「でも今回はちゃんと佐伯さんが全部組んでるんでしょ?」
「うん」
「ならよし」
「沙耶ちゃん、保護者?」
「最近それ言われすぎ」
◇
その日のレッスン後。五人で近くのコンビニへ寄った。
「陽葵、明後日のために甘いもの買う?」
杏奈がチョコの棚から振り返る。
「何で甘いもの?」
「脳に糖分」
「それっぽいこと言ってるけど自分が食べたいだけでしょ」
「半分あげる」
「前回と逆になった」
「友情は循環する」
「チョコで壮大なこと言うな」
美月が飲み物を選びながら聞く。
「台本持ってる?」
「あるよ」
「あとで読む?」
「美月が相手やってくれる?」
「いいよ」
「本当?」
「私に勝って取った仕事の先なんだから、ちゃんと勝ち上がってよ」
「まだ引っ張る?」
「一生言う」
「怖い」
「でも」
美月がペットボトルを取る。
「陽葵が受かったら、ルミサンにとっても大きいでしょ」
「うん」
「だから遠慮なし」
「分かった」
「ちゃんと役取りに行って」
「うん」
「落ちても知らない」
「急に冷たい」
「慰めるのは落ちてから」
「落ちる前提にしないで」
「だから取ってきて」
言葉は雑なのに、その実、誰より応援してくれている。
「了解」
◇
帰宅後、美月とPing通話をつないで台本を読んだ。演技の専門家ではないのに、美月は私が少し声を変えただけで「今の違う」と止める。
「何が違うの?」
『由衣、別に行きたいわけじゃないと思う』
「何で?」
『付き合いで聞いてる。でも断られたら少し寂しい』
「細かいなあ」
『陽葵が演技の時いつもやってることでしょ』
言われて初めて、自分が台詞の裏を無意識に考えていたことに気づく。そこから何度か読み直すと、美月もこちらの変化に合わせて返してきた。
「ねえ。これ、楽しい」
『知ってる』
「何で?」
『顔見えなくても分かる』
少し恥ずかしい。
『陽葵』
「うん?」
『受かるといいね』
「うん」
『でも夜更かし禁止。あと、周りの方が経験あるとか、アイドルだからとか考えない』
「……考えてた」
『やっぱり』
「だって実際そうだし」
『でも今さらでしょ。陽葵ができることやればいいじゃん』
「簡単に言うなあ」
『難しく言ったらできるの?』
「できない」
『じゃあ簡単でいい』
雑なのに、不思議と効いた。
◇
翌日、ライブ会場で、高瀬さんとまた会った。最近、合同現場が重なることが増えている。
「お疲れさまです」
「お疲れさまです」
挨拶だけして通り過ぎようとしたところで、向こうが止まった。
「そういえば」
「はい?」
「ドラマのオーディションあるんですよね」
「何で知ってるんですか?」
「陽葵さんがこの前書いてた」
「書いた?」
「Ping」
「あ」
そのことを、私はすっかり忘れていた。
「明後日って」
「明日です」
「じゃあ受けるんでしょ?」
言い方が、本当に当然だった。
「受けます」
「緊張してる?」
「ちょっと」
「意外」
「何でですか」
「演技好きそうだから」
「好きでも緊張はしますよ」
「そりゃそうか」
「でも」
私は少し笑う。
「楽しみでもあります」
「じゃあ大丈夫じゃないですか」
「また簡単に言う」
「誰かにも言われた?」
「美月に」
「センターの人?」
「はい」
「同じこと言うんだ」
「高瀬さんの方が雑ですけど」
「ひど」
向こうが笑う。
「受けるんでしょ?」
もう一度言う。
「受けます」
「なら頑張って」
「ありがとうございます」
「結果聞いていい?」
「受かったら」
「落ちたら?」
「察してください」
「分かりました」
◇
オーディション当日。朝、事務所へ寄る。佐伯さんが必要書類を渡してくれる。
オーディション当日の朝、事務所へ寄ると、佐伯さんは私のバッグの中身を一つずつ確認した。台本、身分証、飲み物、スマホ。今日は充電まで百パーセントだと見せると、ようやく満足そうに頷く。
「珍しく完璧」
「杏奈じゃないんだから」
「比較対象そこなんだ」
「今日は忘れ物したくないです」
「ならよし」
そこへ、レッスン室から四人が顔を出した。見送りらしい。
そこへレッスン室から四人が顔を出した。杏奈は開口一番「ドラマ!」と騒ぎ、沙耶はのど飴とチョコの小袋を押しつけ、琴葉は「相手見てね」と一言だけ残した。
最後に美月が拳を出す。
「取ってきて」
「簡単に言うね」
「そのために行くんでしょ」
私はその拳へ自分の拳を軽く当てた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
◇
電車に乗る。会場までは四十分ほど、座席に座って資料を開く。参加者一覧。
昨日より詳しい資料には、芸能事務所名と候補者の名前まで入っていた。
知らない名前が何人も並び、所属も俳優事務所やモデル事務所など様々だった。
劇団所属の候補までいて、さらにその先にも名前が続いていた。
「いた」
Vivid Loop。朝倉奈々。
思わず笑う。その下には、演技経験の長そうな人たちの名前が続いている。笑ったばかりなのに、急に手が冷たくなった。
本当にここからだ。今までは、アイドル企画の中で演技をした。今日は違う。
ドラマの役を取る。誰か一人が選ばれる場所へ行く。私は資料を閉じた。
窓に映った自分を見る。
「大丈夫」
小さく呟く。たぶん大丈夫じゃない。でも、それでも受ける。
電車は、そのままオーディション会場のある駅へ近づいていった。
窓の外へ流れる街を見ながら、陽葵は一度だけ深く息を吐いた。怖さが消えるわけではない。それでも、候補者一覧を見た後で引き返したいとは思わなかった。
アイドルだから呼ばれたのではなく、演技を見た誰かが名前を候補へ入れた。その事実だけは、経験の差を考えるより大切にしたかった。
怖さより、ここまで来たことを忘れない。その気持ちだけは会場まで持っていこうと思った。
結果より先に、まず会場へ行く。それが今日やることだった。
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