第7話 切り抜かれた十七秒
「本番直前に設定追加って、普通に性格悪くない?」
控室の椅子に座った奈々が、渡された台本をぱらぱらとめくりながら言った。
「昨日は楽しそうだったじゃん」
「楽しそうなのと性格悪いのは両立する」
「そこ両立させるんだ」
「だって、今から何来るか分かんないんだよ?」
「それが即興なんじゃないの」
「陽葵、妙に前向きだよね」
「奈々が後ろ向きなんじゃない?」
「言うようになったなあ」
朝倉奈々は口では文句を言いながら、さっきから台本の端に小さく何かを書き込んでいる。負ける気がないのは、昨日と同じらしい。
今日はいよいよ深夜配信番組の演技企画本番。事務所内の選考を勝ち抜いて、ここまで来た。
六人のアイドルが出演し、その中から二人ずつ組んで短い芝居をする。最初は台本通り。
途中から、番組スタッフが追加設定を入れる。そこから先は、相手を見て続ける。
「陽葵」
「ん?」
「緊張してる?」
「してる」
「嘘」
「何で」
「顔が楽しそう」
「奈々も」
「私は戦闘モード」
「何と戦ってるの」
「陽葵」
「私!?」
「一番近いから」
「怖いなあ」
そんなことを言っていると、控室の扉が開いた。
「桜井さん、朝倉さん、スタンバイお願いします」
「はい」
奈々が立ち上がる。
「行くよ」
「うん」
私も続いた。
◇
スタジオは想像より小さかった。中央に簡素なリビングセット。
カメラは三台。正面には番組MCとゲスト。
配信番組とはいえ、撮影の空気は昨日までのテスト収録よりずっと本番らしい。
「では次のペアです!」
MCが明るい声を出す。
「Vivid Loopの朝倉奈々さんと、Lumière cinqの桜井陽葵さん!」
「お願いします!」
「よろしくお願いします!」
並んで頭を下げる。
「お二人とも女優志望なんですよね?」
「はい」
奈々が答える。
「じゃあバチバチ?」
「仲悪いです」
奈々が真顔で言った。
「えっ」
MCが本気で驚く。
「嘘です」
「やめてよ!」
私が横から叩く。スタジオに笑いが起きた。
「今の間、怖かったよ!」
「本番前だから緊張ほぐそうと思って」
「私じゃなくMCさんが緊張したじゃん!」
「桜井さん、ツッコミ早いね」
「普段こういう役なので」
「どんなグループ?」
「誰かが投げたものを拾う係です」
「そんな係ないでしょ」
奈々が笑う。軽いやり取りのあと、いよいよ芝居へ入る。
「今回の設定はこちらです」
モニターに文字が出た。――幼なじみ。
――一人が地元を出る前日。――最後に会いに来た。
私が地元を出る側。奈々が残る側。
「まずは台本通りお願いします」
照明が変わる。スタジオの笑い声が遠くなる。
奈々を見る。それだけで、さっきまで隣でふざけていた朝倉奈々が消えた。
『明日、何時?』 『八時の電車』
『早』 『一本しかないから』
『田舎だなあ』 『今さら?』
『今さら』 奈々が笑う。
でも目は笑っていない。『駅、行こうか?』
『来なくていいよ』 『何で』
『朝早いし』 『そういう話じゃない』
奈々の言葉が少し強くなる。私はそれを受ける。
『じゃあ何』 『最後くらい見送らせてよ』
『最後じゃないでしょ』 『……そうだけど』
台本はここで一度区切られる。スタッフの声。
「では追加設定です!」
私も奈々も、そのまま役を切らずに待つ。モニターに、新しい文字が表示された。
――地元を出る本人は、本当は行きたくない。一瞬、頭の中が静かになった。
行きたくない。でも行く。
それなら、さっきまでの言葉が全部変わる。『明日、何時?』
奈々がもう一度始める。同じ台詞。
『八時の電車』 私は答える。
『早』 『一本しかないから』
『田舎だなあ』 『今さら?』
笑う。でも今度は、本当に笑えていない。
奈々が気づいた。分かる。
目が変わった。『駅、行こうか?』
『来なくていいよ』 『何で』
『朝早いし』 『そういう話じゃない』
奈々が一歩近づく。『じゃあ何』
『最後くらい見送らせてよ』 胸が詰まった。
行きたくないと言えばいい。台本にはない。
でも、それを言ったら、この人は止めてくれるかもしれない。だから言えない。
『最後じゃないでしょ』 声が少しだけ弱くなる。
『……そうだけど』 奈々が止まる。
次の台詞はない。ここからは即興だ。
『ねえ』 奈々が言った。
『何』 『行きたいんだよね?』
来た。私はすぐ返さなかった。
奈々を見る。本当に聞いている。
役として。答えを待っている。
『……うん』 嘘だった。
その一言だけで、自分でも分かるくらい嘘になった。奈々も分かった。
『嘘』 小さな声。
『嘘じゃない』 『じゃあ私の顔見て言って』
見る。見てしまう。
言えない。ほんの数秒。
スタジオが無音になる。『行きたい』
言った。でも、今度は涙が出そうになった。
泣く役ではない。泣かない。
ただ、口元だけ少し笑う。『だから』
言葉を探す。『ちゃんと見送って』
奈々の目が揺れた。『……分かった』
『泣かないでよ』 『泣いてない』
『今から泣く顔してる』 『そっちもね』
そこでスタッフが叫んだ。
「カット!」
一気にスタジオの音が戻った。私は息を吐く。
奈々も同じだった。
「え、ちょっと待って」
MCがこちらを見る。
「これ即興?」
「はい」
私と奈々が答える。
「今の最後まで?」
「最後は全部」
奈々が言う。
「すご」
ゲストもモニターを見ている。
「桜井さん、途中で全然喋らなかったよね?」
「はい」
「怖くなかった?」
以前も聞かれた。私は少し笑う。
「奈々が待ってたので」
「私?」
「うん」
「いや、陽葵が何か言うと思ったから待ってただけ」
「同じじゃん」
「同じなの?」
奈々が首を傾げる。スタジオにまた笑いが起きた。
◇
収録が全部終わるころには、夕方になっていた。
「疲れたー」
奈々が廊下の壁にもたれる。
「楽しかった」
「出た」
「何」
「陽葵の芝居終わり恒例」
「また言う」
「ほんとにそれしか言わないよね」
「だって楽しかったし」
「私は悔しい」
「何が?」
「最後、陽葵に持ってかれた気がする」
「持ってってないよ」
「そういうのが腹立つ」
「何で!」
「でも」
奈々が少し笑った。
「またやりたい」
「私も」
「次は勝つ」
「私も勝つ」
「その返しずるくない?」
「奈々が言うから」
スタッフに挨拶して、スタジオを出る。外へ出た瞬間、スマートフォンが震えた。
ルミサンのグループPing。【杏奈:見た!!!】
【美月:見た】 【沙耶:お疲れ】
【琴葉:最後よかった】
「早」
配信はほぼリアルタイムだった。【陽葵:もう終わった】
【杏奈:最後の間!!】 【杏奈:あれ何!?】
【陽葵:何と言われても】 【琴葉:陽葵だった】
【陽葵:私だよ】 【琴葉:そうじゃない】
【美月:帰ってから見せる】 【陽葵:怖い】
【沙耶:とりあえずご飯食べて】 【陽葵:はい】
いつもの流れだ。私は笑いながら駅へ向かった。
◇
翌朝、目覚ましより先にスマートフォンの振動で目が覚めた。
「何……」
通知が多く、さすがに多すぎると思うほどだった。
TalkyとClipsを順番に確認する。
Pingには事務所からの連絡まで入っていた。
知らない通知まで並んでいる。一番上に杏奈。
【杏奈:起きて!!!!】 時計を見る。
午前七時十二分。【陽葵:何】
即座に電話がかかってきた。
「何!?」
『見た!?』
「何を!」
『Clips!』
「朝から声大きい!」
『陽葵のやつ伸びてる!』
「私のやつ?」
『昨日の即興!』 眠気が一気に飛んだ。
「どれ」
『送った!』 通話したままリンクを開く。
十七秒、短い動画だった。奈々が『じゃあ私の顔見て言って』と言うところから始まる。
私は何も言えず、その画面を見つめた。
『行きたい』 嘘のような声。
最後に、『だから、ちゃんと見送って』 そこで切れる。
「……短」
『十七秒だから!』
「本当に十七秒なんだ」
『そこ!?』 再生数を見る。
見慣れない数字。
「これ、多いの?」
『多い! ルミサン公式の普段の動画より全然多い!』
「比較対象それでいいの?」
『悲しくなるからやめて!』 コメントも増えている。
『この黄色の子誰?』 『一瞬で空気変わるの何』
『アイドル?』 『相手役の子もうまい』
『最後の目やばい』 『この二人もっと見たい』
私は数字より、最後の一つが嬉しかった。
「奈々も褒められてる」
『そこ?』
「だって二人の芝居だったし」
『陽葵さあ』
「何」
『今、自分の動画伸びてるんだよ?』
「分かってる」
『もっと喜べ!』
「喜んでるよ」
『声が普通!』
「朝七時だよ!」
『私は六時半から見てる!』
「寝なよ!」
電話の向こうで笑い声がした。『今日楽屋来たらみんなで見るから』
「嫌だ」
『決定です』
「嫌!」
『じゃ、またあとで!』 一方的に切られた。
「何なの……」
ベッドへ座ったまま、もう一度動画を見る。自分の芝居をこうして短く切られて見るのは変な感じだった。
確かに、普段の私とは違って見える。でも、自分では、そこより別のことが気になった。
奈々が『顔見て言って』と言った瞬間。ちゃんと、奈々の芝居を受けられた。
あそこが一番楽しかった。数字より、コメントより、その感覚を思い出す方が嬉しかった。
◇
「来た! 十七秒の女!」
昼過ぎ、ライブ会場の楽屋へ入った瞬間、杏奈に言われた。
「やめて」
「十七秒で人生を変える女!」
「変わってない」
「再生数また増えてる!」
「朝から見てない」
「見なよ!」
「レッスンしてた」
「そういうところ本当に陽葵だよね」
美月が笑う。
「何」
「普通もうちょっと数字見るでしょ」
「見てるよ、たまに」
「たまに」
「陽葵」
琴葉が呼ぶ。
「ん?」
「これ」
スマートフォンを見せてくる。
「何?」
「コメント」
『芝居うまいっていうより、相手見てる感じがする』 私は少し黙った。
「これ、好き」
「でしょ」
琴葉が言う。
「私もこれだと思った」
「何が?」
「陽葵のいいところ」
「相手見る?」
「うん」
「それ演技として普通じゃない?」
「普通だけど、できない人もいる」
琴葉はそれ以上言わなかった。沙耶が飲み物を配りながら会話へ入る。
「佐伯さんも朝から電話すごいみたい」
「え」
「企画の問い合わせとか、他の仕事あるかとか」
「そんなに?」
「まだ小さい話だと思うよ」
美月が言う。
「でもゼロじゃなくなった」
その言い方が妙に残った。ゼロじゃなくなった。
昨日まで、演技が上手いと言ってくれるのは目の前のスタッフだけだった。今日は、知らない人が私を見ている。
「陽葵」
「うん」
「嬉しい?」
美月に聞かれる。
「うん」
今度は素直に答えた。
「嬉しい」
「ならよし」
そのとき、杏奈が突然叫んだ。
「待って!」
「何!?」
「Talky!」
「だから声大きい!」
「これ!」
杏奈が画面を突き出してくる。そこには、見覚えのある名前があった。
Éclat。私たちより一段上の女性アイドルグループ。
そのセンターが、如月玲奈だった。
彼女が、例の十七秒動画を引用していた。添えられていた言葉は、ほんの一言だった。
『この子、面白い』
「……え」
美月まで画面を覗き込む。
「玲奈さん?」
「本物?」
「公式マークある」
「え、待って待って待って!」
杏奈が私の肩を揺らす。
「陽葵、格上に見つかった!」
「揺らさないで!」
「これ結構すごいよ!」
「分かったから!」
「陽葵」
琴葉が静かに言った。
「また顔変わってる」
「どんな?」
「今度は普通にびびってる」
「そりゃびびるよ!」
五人の笑い声が、楽屋いっぱいに広がった。
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