第5話 女優志望がもう一人
「桜井陽葵?」
名前を呼ばれて振り向いた瞬間、その子は私を上から下まで一度だけ見た。
「はい」
「ふーん」
「何ですか」
「別に」
「絶対何かある顔でしたけど」
「思ってたより普通だなって」
「初対面で失礼ですね」
「そっちもすぐ言うね」
朝倉奈々は笑った。Vivid Loop――通称ビビルのメンバーで、私と同じ二十一歳。
そして女優志望。昨日資料で確認した時点では、それくらいしか知らなかった。
でも会って一分で、一つ増えた。たぶん遠慮しない人だ。
「動画見たよ」
「動画?」
「例の告知のやつ」
「あれ、もうそんな広がってるんですか?」
「業界内で回ってるだけじゃない?」
「それ広がってるって言わない気が」
「細かい」
奈々は手に持っていた紙コップのコーヒーを飲む。
「あと昨日のMVの話も聞いた」
「どこから?」
「スタッフって喋るじゃん」
「怖」
「悪口じゃないからいいでしょ」
「まあ」
今日の現場は、小規模な配信スタジオだった。演技企画に参加するアイドルは六人。
顔合わせのあと、簡単な演技テストを収録し、本番企画で使う組み合わせや内容を決めるらしい。
「奈々ちゃん、こういう仕事多いんですか?」
「急にちゃん付け?」
「同い年だから」
「じゃあ奈々でいいよ」
「私も陽葵で」
「知ってる」
「ですよね」
「演技仕事はちょこちょこ。Webドラマとか再現とか」
「すごい」
「端役ばっかだけどね」
「それでも」
「陽葵は?」
「小さい舞台とレッスン。映像はほぼ初めて」
「じゃあ」
奈々が私を見る。
「アイドル枠だからって甘く見ないでよ」
挑発なのかもしれない。でも嫌な感じはしなかった。
私は笑う。
「そっちもね」
「言うじゃん」
「言われっぱなし嫌なんで」
「いいね」
奈々が口角を上げた。なんとなく。
仲良くなれるかもしれないと思った。同時に、絶対負けたくないとも思った。
◇
「本日は、演技企画の顔合わせとテスト収録です」
番組スタッフが説明を始める。
「本番では二人一組になっていただいて、短い台本を演じてもらいます。それと」
そこでスタッフが少し楽しそうに笑った。
「一部、即興も入ります」
「即興?」
出演者の一人が聞き返す。
「はい。台本通りに演じたあと、設定を一つ追加します。その場で対応してもらいます」
隣にいた奈々が小さく息を吐いた。
「嫌?」
私が聞く。
「逆。好き」
「私も」
「じゃあ本当に競争じゃん」
「楽しそう」
「陽葵、結構変だね」
「奈々に言われたくない」
テスト収録は、まず一人ずつ行われた。同じ短い独白。
そのあと二人組。私は三番目で、最初の相手は別グループの女の子だった。
設定は、アルバイト先を辞める友人を引き止める場面。相手の台詞を聞く。
返す。一度目は台本通り。
二度目は、「実は自分も辞めようと思っている」という設定が追加された。面白かった。
自分の言葉の意味が変わる。『辞めないでよ』
同じ台詞なのに、一回目はただ相手を引き止める言葉。二回目は、自分だけ先に言われたことへの戸惑いになる。
『勝手じゃん』 それは相手に向けた言葉であり、自分にも刺さる。
「カット」
スタッフが止める。
「桜井さん、二回目よかったです」
「ありがとうございます」
「追加設定入った瞬間、ちょっと変わりましたね」
「そうですか?」
「本人分かってないんだ」
奈々の声が飛んでくる。
「そこから言わないでよ」
「待機席から見てた」
「集中できない」
「嘘。私のこと見えてなかったでしょ」
当たっていた。
「はい、次、朝倉さんお願いします」
「行ってきます」
「頑張って」
「負けないけど」
「私も」
奈々は本当に慣れていた。カメラ位置をすぐ理解する。
身体の角度も自然。顔が隠れない。
台詞も安定している。映像の仕事をしてきた人だと、見ていて分かった。
「上手いなあ」
私が呟く。隣に座っていたスタッフが笑った。
「ライバル褒めるんですね」
「上手いものは上手いので」
「悔しくない?」
「悔しいです」
「即答」
「でも上手いのと悔しいのは別です」
自分でも変なことを言っている気がした。奈々の芝居を見るのは面白い。
同時に、自分ならどうするかを考えてしまう。その感覚が久しぶりだった。
◇
昼休憩。控室へ戻ると、スマートフォンに美月たちからPingが来ていた。
【杏奈:どう? 生きてる?】 【陽葵:生きてる】
【杏奈:ライバル怖い?】 【陽葵:上手い】
【美月:それ質問の答えになってない】 【琴葉:楽しい?】
私は少し笑った。【陽葵:楽しい】
送った直後。【琴葉:やっぱり】
【沙耶:昼ちゃんと食べなよ】 【陽葵:今から食べる】
【沙耶:写真】 【陽葵:なんで】
【沙耶:信用がない】 【杏奈:昨日昼パン一個だったから】
【陽葵:誰が密告したの】 【琴葉:私】
「何笑ってんの?」
奈々が向かいへ座る。
「メンバー」
「仲いいんだ」
「まあ」
「うちはこんなに連絡来ない」
「うちが多いのかも」
「何?」
「昼食べろって」
「お母さん?」
「同じこと昨日も言われた」
私は買ってきたサンドイッチの写真を撮った。
「送るの?」
「証拠」
「大変だね」
「でも送らないと後がもっと大変」
「へえ」
奈々が少し羨ましそうに見えた気がした。でも、それを口にはしなかった。
「そういえば」
奈々が聞く。
「陽葵って、女優になったらアイドルやめるの?」
「え?」
「だって女優志望なんでしょ」
「今のところ、やめるつもりないよ」
「両方?」
「うん」
「大変じゃない?」
「昨日もそれ言われた」
「誰に?」
「メンバー」
「何て答えたの?」
「やりたいって」
「欲張り」
「そうかも」
「でも」
奈々がコーヒーを飲む。
「分かるけどね」
「奈々も?」
「私はビビルで売れたいし、演技もやりたい」
「同じじゃん」
「だから今日負けたくない」
「私も」
「よし」
奈々が笑った。
「午後、本番形式あるって」
「聞いた?」
「スタッフが喋ってた」
「奈々、情報収集早くない?」
「オーディションは情報戦」
「怖いなあ」
「陽葵がのんびりしすぎ」
◇
午後、スタッフから発表された組み合わせを見て、私は思わず奈々と顔を見合わせた。
「桜井さん、朝倉さん、ペアでお願いします」
「来たね」
「来たね」
課題は姉妹の場面で、私は妹役だった。
奈々が姉役を担当し、台本自体は短い。
妹が家族に黙って遠くの学校を受験していたことが分かり、姉が怒る場面だった。
「一回目は台本通りで」
「はい」
「二回目に追加設定を入れます。内容は直前まで言いません」
「分かりました」
立ち位置へ入る。奈々が向かいにいる。
さっきまで普通に話していた相手なのに。
「本番、よーい」
一瞬で顔が変わった。
「スタート」
『何で言わなかったの』 強い声。
『決まってから言おうと思ってた』 『受けることくらい言えるでしょ』
『言ったら止めるじゃん』 『止めるよ』
『だから言わなかった』 奈々はうまい。
本当に怒っている。でも、その奥に心配がある。
だから私は反発する。『私のことでしょ』
『家族のことでしょ』 『違う。私の進路』
『一人で決めて、一人で行くつもり?』 胸が少し痛んだ。
台本の話なのに、どこか自分に近い。『……行きたいから』
言う。奈々の目が揺れる。
『そんなに?』 『うん』
しばらく見つめ合う。『ごめん』
最後の台詞。
「カット」
スタッフがすぐに続けた。
「では、追加設定いきます」
私と奈々がそのまま待つ。
「妹は、合格しても行かないつもりです」
思わず眉が動いた。
「姉にはそれを言っていません」
面白い。
「では頭から」
奈々を見る。さっきと同じ台詞。
でも、全部意味が変わる。『何で言わなかったの』
『決まってから言おうと思ってた』 私は嘘をついている。
行きたい。でも行かないつもりだ。
家族のためなのか。姉のためなのか。
怖いだけなのか。『受けることくらい言えるでしょ』
『言ったら止めるじゃん』 『止めるよ』
『だから言わなかった』 奈々が私を見る。
少しだけ、目が細くなる。そこで私は気づいた。
奈々も変えた。さっきより強く責めていない。
何か隠していることに気づき始めた姉になっている。『私のことでしょ』
『家族のことでしょ』 『違う。私の進路』
『一人で決めて、一人で行くつもり?』 答えられない。
台本ではすぐ次へ行く。でも奈々が待っている。
その目を見ていたら、言葉が出なくなった。『……行きたいから』
やっと言う。今度は強く言えない。
『そんなに?』 奈々の声も柔らかい。
『うん』 嘘だ。
本当だ。どっちもある。
だから、『ごめん』 最後の一言が、自分でも驚くほど小さくなった。
「カット!」
スタッフの声が飛ぶ。数秒。
私は奈々を見る。奈々も私を見ていた。
「何それ」
「何が?」
「最後」
「そっちこそ途中変えたでしょ」
「陽葵が変えたから」
「奈々が見てきたから」
「それ普通でしょ、芝居なんだから」
「じゃあ私も普通」
「むかつく」
「何で!」
スタッフが笑っている。
「二人とも、その感じ本番でもお願いします」
「この感じ?」
「相手を見て変わる感じ」
奈々と私は同時に黙った。
「予定してた構成、ちょっと変えようかな」
スタッフ同士で話し始める。私は胸が高鳴るのを感じていた。
勝った。負けた。
そういう感じではなかった。ただ、ものすごく楽しかった。
「陽葵」
「ん?」
「本番」
奈々が手を出す。
「負けないから」
私はその手を見る。軽く握った。
「そっちもね」
「昨日もそれ言った」
「じゃあ何回でも」
◇
収録を終えてスタジオを出ると、もう外は暗かった。スマートフォンを見る。
通知がいくつも来ている。その中に、見慣れない名前があった。
【高瀬湊:今日、演技のやつでしたよね。どうでした?】
「え」
思わず声が出る。昨日、イベントの共通連絡用グループから、出演者同士で必要があれば連絡できるようになっていた。
個別で来るとは思わなかった。【陽葵:楽しかったです】
そのまま送ると、少しして返信が来た。
【高瀬湊:それなら良かった】 【高瀬湊:結果は?】
【陽葵:まだです。本番はこれから】 【高瀬湊:じゃあ頑張って】
普通だ。本当に普通のやり取り。
なのに、少しだけ嬉しかった。
「陽葵」
隣から奈々が覗き込もうとする。
「何?」
「誰?」
「見ないでよ」
「男?」
「何でそうなるの」
「隠したから」
「同業の人」
「怪しい」
「今日会ったばっかりなのに距離近いな!」
奈々が笑う。
「じゃあまた本番で」
「うん」
「次はもっとちゃんと勝つ」
「今日勝ったつもり?」
「五分」
「じゃあ私も五分」
「合わせるな」
別れて歩き出したところで、スマートフォンがもう一度震えた。今度は佐伯さん。
【佐伯:正式連絡。次回本番、即興芝居あり】 私は立ち止まった。
続けて一文。【佐伯:台本は当日渡し。追加設定は本番中に出す】
「本当に即興なんだ」
怖い。でも、それ以上に、楽しみだった。
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