第3話 五人のうち、一人
「なんで言ってくれなかったの?」
翌日のレッスン室で、私は美月に聞いた。
「何を?」
「演技企画、受けること」
「昨日の夜決めたから」
「そうじゃなくて」
「じゃあ何?」
「……いや、だから」
自分でも、何を聞きたいのかよく分かっていなかった。美月は床に座ったまま、ストレッチを続けている。
「陽葵」
「うん」
「もしかして私、受けない方がよかった?」
「違う!」
思ったより大きな声が出た。反対側で発声していた琴葉がこちらを見る。
杏奈は面白そうな気配を察知したのか、スマートフォンを持ち上げかけた。
「撮るな」
沙耶が即座に手を下げさせた。
「まだ何も撮ってない」
「今から撮ろうとした」
「記録は大事だよ」
「これは記録しなくていい」
私は美月の隣へ座った。
「受けない方がいいなんて思ってない」
「じゃあ何」
「なんか……」
言いづらい。昨日まで私は、自分に回ってきた仕事だと思っていた。
正確には、事務所から一人だけ出られる仕事。だから当然、選考がある。
美月が受けるのも当たり前だ。でも、どこかで勝手に、自分のものだと思っていた。
「私、浮かれてたのかも」
「何に?」
「演技でちょっと褒められて、それで企画の話来たから。私が出られるのかなって」
「うん」
「でも一人なんだよね」
「うん」
「美月もいるんだなって思ったら、急に緊張してきた」
言ってしまうと、情けないくらい単純だった。美月は数秒黙ったあと、私の額を指で弾いた。
「痛っ」
「何それ」
「何って」
「陽葵、私に譲ってほしいの?」
「違うってば」
「じゃあ取りに来ればいいじゃん」
「え」
美月は足を伸ばしたまま私を見る。
「一人なんでしょ?」
「うん」
「だったら陽葵が取りたいなら、取ればいいじゃん」
「でも美月も」
「私だって取りたいよ」
あっさり言われた。
「演技仕事、興味ないわけじゃないし。番組出られるなら出たいし。新しい人に見つけてもらえるかもしれないし」
「そっか」
「だから私も本気でやる」
「うん」
「陽葵も本気でやる」
「……うん」
「以上」
「簡単に言うなあ」
「簡単でしょ」
美月が立ち上がる。
「仕事なんだから」
その言葉に、妙に納得した。仲が良いから譲る。
友達だから競わない。たぶん、そういう方が変なのだ。
「あと」
美月が振り返った。
「私に勝ったくらいで女優になれると思わないでよ」
「思わないよ!」
「ならよし」
「何目線なの?」
「センター目線」
「便利だなセンター!」
そこへ杏奈が寄ってきた。
「話まとまった?」
「まとまった」
「じゃあ聞いていい?」
「何」
「もし私も受けるって言ったら?」
美月と私は同時に杏奈を見る。
「受けるの?」
「受けない」
「何なの!」
「確認しただけ!」
「杏奈は昨日、台本見て三行目で寝たじゃん」
沙耶が言う。
「あれは寝たんじゃない。役に入ってた」
「役名、会社員Aだったよね」
「疲れた会社員」
「設定勝手に足すな」
琴葉まで入ってきた。結局、五人で笑った。
少し前まで胸の奥にあった変な引っかかりが、それでかなり軽くなった。
◇
内部選考は午後からだった。参加者はルミサンだけではなく、Bright Arc Entertainmentに所属する若手アイドルやモデルも含めて七人。
全員が同じ短い台本を渡された。姉妹の会話。
妹が進学のため家を出る前夜、姉が何でもない話をしながら引き止めようとする。私たちが演じるのは妹側。
「結構ちゃんとしてるね」
待機中、美月が小声で言う。
「ちゃんとしてる」
「もっとバラエティ寄りかと思ってた」
「私も」
「陽葵、緊張してる?」
「してる」
「珍しい」
「何で?」
「ライブ前より顔固い」
「ライブは五人いるから」
「今日は一人だから?」
「たぶん」
自分で言って、少し驚いた。ライブでは失敗しても、誰かがいる。
杏奈が変なことを言えば私が拾う。私がMCを詰まらせれば沙耶がつなぐ。
立ち位置を間違えそうになれば美月を見る。歌で迷えば琴葉の声がある。
でも今日は、舞台へ出るのは一人だ。
「陽葵」
「うん?」
「今さら逃げないでよ」
「逃げない」
「なら大丈夫」
美月はそれだけ言って、自分の台本へ視線を戻した。
五人で話している間も、陽葵はレッスン室の鏡に映る自分を何度か見ていた。
人気順を気にしていないつもりでも、他の四人と並ぶと無意識に自分の位置を探してしまう。美月の華やかさ、琴葉の歌、杏奈の分かりやすい愛嬌、沙耶の安定感。それぞれに「この子を見る理由」がある。
では自分は何なのか。
その問いだけは、まだ言葉にならなかった。
◇
選考は一人ずつ行われた。審査するのは事務所のスタッフ三人と佐伯さん。
私は四番目。
「桜井さん、お願いします」
「はい」
相手役は事務所の女性スタッフだった。私は椅子に座る。
「では、始めます」
姉役が台詞を言う。『荷造り、終わった?』
『だいたい』 『だいたいって何。明日の朝になって騒がないでよ』
『お姉ちゃんじゃないんだから大丈夫』 『私、騒がないし』
『毎回騒いでるよ』 普通の会話だ。
だからこそ難しい。大げさに泣く場面はない。
姉は寂しい。妹も寂しい。
でも二人とも、それを言わない。『向こう着いたら、連絡して』
『するよ』 『毎日』
『それは無理』 『なんで』
『友達作るし』 『……ふーん』
姉役の人が、ほんの少しだけ目を伏せた。台本には書いていない。
私はそこで、次の台詞を急がなかった。待った。
相手を見る。たぶん今、姉は本当に言いたいことがある。
『何』 『別に』
『言ってよ』 『何もないって』
私は少し笑った。『じゃあ、毎日は無理だけど』
姉が顔を上げる。『三日に一回ならする』
『少なっ』 『二日』
『毎日』 『じゃあ気が向いたら』
『最初より減ってるじゃん』 そこで終了だった。
「ありがとうございました」
頭を下げる。審査員の一人がメモを書いている。
佐伯さんは表情を変えない。
「桜井さん」
「はい」
「一つ聞いていい?」
「はい」
「途中、間を変えた?」
「少しだけ」
「どうして?」
「相手の方が、言いたそうに見えたので」
「台本には間の指定ないけど」
「はい」
「怖くなかった? 止まって見える可能性もあるよ」
私は少し考える。
「でも、あそこで妹がすぐ喋ったら、姉の気持ちを聞いてない感じがしたので」
審査員が何かを書いた。
「分かりました。ありがとう」
「ありがとうございました」
レッスン室を出た瞬間、大きく息を吐いた。
「終わった?」
待機していた美月が聞く。
「終わった」
「どうだった?」
「分かんない」
「珍しい」
「何が」
「陽葵、芝居終わったあとはだいたい楽しそうなのに」
「楽しかったよ」
「じゃあいつもの顔してる」
「どんな顔?」
「ちょっと気持ち悪いくらい満足してる顔」
「ひどい!」
美月が笑い、入れ替わりで部屋へ入っていった。
◇
全員の審査が終わるまで、一時間ほどかかった。結果はその場では出なかった。
「今日はもう通常レッスン戻るよ」
佐伯さんに言われ、私と美月は他の三人と合流した。
「どうだったどうだった?」
杏奈が真っ先に寄ってくる。
「普通」
美月が答えた。
「美月が普通って言う時、だいたい自信ある時じゃん」
「何その分析」
「二年一緒にいるので」
「陽葵は?」
「楽しかった」
「陽葵は芝居するとそれしか言わない」
「え、そう?」
「そう」
琴葉が即答した。
「ライブ終わりは『今日あそこ間違えた』とか『物販の人増えた』とか言うのに、芝居終わりだけ『楽しかった』って言う」
「そんな違う?」
「違う」
「琴葉、最近私の分析してない?」
「してない。目立つだけ」
沙耶が壁際に置かれた荷物をまとめながら聞いた。
「陽葵、女優やりたいって、いつからだっけ」
「え?」
「ちゃんと聞いたことなかったかも」
「あー……小学生くらい」
「そんな前?」
杏奈が目を丸くする。
「テレビドラマ見て、楽しそうだなって。中学くらいからレッスン行って、高校の時に小さい舞台出たりして」
「じゃあアイドルより先なんだ」
「そうだね」
言われてみればそうだ。女優になりたいと思った方が先だった。
ルミサンに入ったのは、そのあと。
「じゃあさ」
杏奈が床に座る。
「なんでアイドルやってんの?」
「聞き方」
沙耶が苦笑する。
「いや、悪い意味じゃなくて! 女優になりたかったなら、俳優の事務所とか行けばよかったじゃん」
「行ったよ」
「行ったんだ」
「何個か受けた。落ちた」
「あっ」
「そんな顔しなくていいよ」
「ごめん」
「別に隠してないし」
私は笑った。
「それで今の事務所のオーディション受けたら、ちょうど新しいアイドルグループ作るって言われて」
「それでルミサン?」
「うん」
「じゃあ最初は腰掛けだった?」
今度は美月が聞いた。少しだけ答えに迷った。
「最初は……そうだったかも」
四人が静かになる。
「アイドルやりながら演技の仕事取れたらいいな、くらい」
「ふーん」
美月は怒らなかった。ただ続きを待っている。
「でも二年やってさ」
私はレッスン室を見回した。鏡。
床。隅に置かれた五人分の荷物。
何百回も見た景色だ。
「今は違う」
「どう違うの?」
「女優にはなりたい」
これは、ずっと変わらない。
「でも、この五人でも売れたい」
言葉にすると、少し欲張りに聞こえた。
「どっちかじゃなくて?」
沙耶が聞く。
「うん」
「両方?」
「うん」
「大変そう」
杏奈が率直に言う。
「私もそう思う」
「でもやりたい?」
「やりたい」
「じゃあやればいいじゃん」
美月が言った。あまりに簡単な言い方だったので、私は彼女を見る。
「美月?」
「何」
「もっと何かないの?」
「何が」
「こう……難しいよ、とか」
「難しいでしょ」
「じゃあ」
「難しいからやめるの?」
「やめない」
「じゃあ同じじゃん」
美月は立ち上がって、鏡の前へ向かった。
「知ってるよ。陽葵が女優やりたいの」
「知ってた?」
「二年一緒にいるのに知らないわけないでしょ」
「言ったっけ」
「何回も」
「覚えてない」
「ひど」
美月が笑う。
「だから両方取りなよ」
「簡単に言うなあ」
「私もセンターやりながらルミサン売るつもりだし」
「それは同じじゃない気がする」
「細かいこと気にしない」
「美月が雑になった」
「陽葵」
「うん?」
「遠慮したら怒るからね」
鏡越しに目が合う。
「今日の企画も」
「……うん」
「女優やりたいなら、私に気使わないで取りに来て」
その言葉が、胸の奥に落ちた。
「分かった」
「本当に?」
「本当」
「ならよし」
「でも美月も遠慮しないでね」
「するわけないじゃん」
「ですよね」
「私は出たい番組全部出る」
「強い」
「その結果、陽葵に負けたら普通に悔しがる」
「怖い怖い」
「次勝つだけだから」
それが美月だった。
「え、ちょっと待って」
杏奈が急にスマートフォンを見る。
「今週末の合同イベント、出演順出た」
「今?」
「うん。見ていい?」
「いいよ」
五人が集まる。画面にはイベントの出演者一覧が並んでいた。
ルミサン。Vivid Loop。
いくつか知っている女性グループ。そして男性アイドルグループの名前もある。
「ASTERいるじゃん」
杏奈が言った。
「ほんとだ」
沙耶が覗き込む。
「去年一回一緒だったよね」
「いたっけ?」
「陽葵、覚えてないの?」
「男性グループ多かった日?」
「そう」
「たぶん」
「高瀬湊いるじゃん!」
杏奈だけ妙に反応が大きい。
「誰?」
「ASTERの人気メン」
「杏奈、詳しいね」
「仕事相手は把握しておくのがプロだから」
「Picstaフォローしてるだけでしょ」
「琴葉、言い方!」
「当たってる?」
「当たってる」
笑い声が広がったところで、レッスン室の扉が開いた。
「みんな、ちょっといい?」
佐伯さんだった。その顔を見て、私は立ち上がる。
「結果出ました?」
「出た」
一瞬で空気が変わる。美月も黙った。
佐伯さんがタブレットを確認する。
「今日の内部選考、最終候補は二人」
心臓が速くなる。
「白石美月」
「はい」
「桜井陽葵」
「はい」
やっぱり気になって、隣を見る。
美月もこちらを見た。そして、ほんの少し笑う。
佐伯さんが続けた。
「明日、二人でもう一回やる。そこで一人に決めるから」
枠はたった一つで、選ばれるのは美月か私のどちらかだ。
昨日までなら、こんなふうに考えなかったかもしれない。でも今は違った。
女優になりたい。この五人でも売れたい。
だからこそ。
「美月」
「何?」
「負けないから」
一瞬、美月が目を丸くした。それから嬉しそうに笑う。
「うん」
そして、いつものセンターの顔で言った。
「私も」
答えが見つからないままでも、今は五人の中に立っていられる。その事実だけを、陽葵はひとまず信じることにした。
急いで答えを作らなくてもいい。今はまだ、その途中だった。
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