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第2話 芝居になると

「増やせます、って言われても」


 翌朝、撮影スタジオの控室で私が言うと、杏奈がメイク中にもかかわらず勢いよく振り返った。


「増えたんだから喜べばいいじゃん!」


「まだ増えるって決まってないよ」


「昨日、増やせます? って聞かれたんでしょ?」


「聞かれたけど」


「じゃあ増える」


「杏奈、動くとアイライン曲がる」


「すみません」


 メイクさんの一言で、杏奈は即座に正面へ戻った。それでも口だけは止まらない。


「陽葵、演技担当になるんじゃない?」


「担当って何」


「歌唱担当、琴葉。センター、美月。お世話担当、沙耶。配信担当、私。演技担当、陽葵」


「待って。私だけ正式な担当じゃなくない?」


 沙耶が台本をめくりながら言う。


「でも一番実態に合ってるよ」


「やめて」


「ほら、のど飴」


「そういうところ!」


 差し出された袋から杏奈が一つ取った。隣では琴葉が今日の仮歌をイヤホンで確認している。


「琴葉、朝ごはん食べた?」


「食べた」


「何?」


「おにぎり」


「何味?」


「鮭」


「なんでそこまで聞くの」


「暇だから」


「杏奈、暇なら今日の振り確認しなよ」


 美月が鏡越しに言う。


「覚えてる」


「二番の頭」


「……右?」


「左」


「確認してよかったね」


「危なっ」


 いつも通りだった。昨日の告知動画で何かが起きたような感じは、少なくとも私の中にはまだなかった。


 確かに少しだけ演技をした。スタッフが褒めてくれた。


 でも、それだけだ。子どもの頃から女優になりたくて、レッスンも受けて、小さな舞台にも出たことはある。


 その延長でできたことだと思っていた。


「桜井さん、少しいいですか?」


 控室の扉からスタッフが顔を出した。


「あ、はい」


「監督が確認したいことあるそうで」


 私は美月たちを見る。


「行ってくる」


「いってらっしゃい、演技担当」


「まだ言うの?」


「決まるまで言う」


 杏奈に手を振られ、私は控室を出た。


     ◇


 今回のMVは、ルミサンにとって少し力の入った一本だった。新曲のタイトルは『ハロー、明日の私』。


 前向きなアイドルソングで、学校の教室を模したセットと、白い背景のダンスパートを行き来する構成になっている。演技と言っても、最初の予定ではほんの数秒だった。


 五人それぞれが放課後の教室に残り、何かを迷っているような表情をする。最後に五人が集まって、笑顔で教室を出ていく。


 最初の予定では、その程度の短い芝居だった。


「昨日の素材、見せてもらったんです」


 撮影監督は四十代くらいの男性で、初対面の私にも気さくに話した。


「告知動画ですか?」


「そうそう。桜井さん、演技経験あるんだって?」


「少しです。レッスンと、小さい舞台を何本か」


「じゃあ、これできそうかな」


 渡されたのは、今日の撮影用に急遽書き足された短いメモだった。教室で一人、スマートフォンに届いた誘いへ返事を書こうとして消し、廊下から友達の声が聞こえたところで顔を上げる。


 台詞はなく、表情と動きだけで見せる二十秒ほどの場面だった。


「これを私が?」


「うん。本編の間に挟みたいんだよね。二十秒くらい」


「二十秒」


 昨日よりだいぶ長い。


「難しそうなら元の構成に戻すから、まず一回やってみよう」


「分かりました」


 断る理由はなかった。むしろ、胸の奥が少し熱くなる。


 ライブとは違う。歌でもない。


 カメラの前で、役として何かをする。久しぶりだった。


     ◇


「陽葵だけ追加撮影?」


 説明を終えて戻ると、美月がすぐに聞いた。


「うん。二十秒くらい」


「結構増えてるじゃん」


「急だよね」


「いいじゃん」


 美月は迷いなく言った。


「やってきなよ」


「うん」


「失敗しても元の構成に戻すだけなんでしょ?」


「そう言ってた」


「じゃあ得しかないじゃん」


「その考え方できるの強いなあ」


「失敗して落ち込むのは終わってからでいいの」


 失敗する前から逃げ道を作らないところが、いかにも美月らしい。


「でも二十秒って、Clipsなら一本分だよ?」


 杏奈が妙な換算を始める。


「だから?」


「すごい」


「基準そこ?」


「二十秒あれば人はバズれる」


「今日バズる話してないから」


「陽葵、台詞ある?」


 琴葉がイヤホンを外して聞いた。


「ない。スマホ見て、返事書いて消すだけ」


「へえ」


「何、その顔」


「見たい」


「そんな期待されるとやりづらい」


「私たちは見ない方がいい?」


「いや、それもそれで寂しい」


「面倒くさいなあ」


 沙耶に笑われた。


     ◇


 先に五人のダンスシーンを撮った。照明の熱と、同じ曲を何度も繰り返す撮影で、昼前には全員かなり疲れていた。


「もう一回、頭からお願いします!」


「はい!」


 それでも美月の返事は落ちない。琴葉は歌を口ずさみながら息を整え、杏奈はカメラが止まった瞬間だけ床へ座り込む。


 沙耶はスタッフから受け取った五本の水を、何も言わず順番に配った。私は自分のボトルを受け取って、一気に飲む。


「陽葵、水あと半分だよ」


「え」


「予備ある?」


「ないかも」


「ある」


 沙耶がバッグから新品のペットボトルを出した。


「なんで?」


「昨日、一本多く買った」


「お母さん?」


「誰がお母さん」


「沙耶ちゃん」


「杏奈には聞いてない」


 そんなやり取りをしているうちに、追加撮影の時間になった。


「桜井さん、お願いします」


「はい」


 セットの教室には、私一人だけが残った。窓の外は照明で作られた夕方。


 机の上には小道具のスマートフォン。設定をもう一度確認する。


 友達から遊びに誘われた。行きたい。


 でも、何か理由があって行けない。返事を書いて、消す。


 そこへ廊下から友達の声が聞こえる。それだけ。


「本番いきます」


 カチン、とカチンコが鳴った。


「よーい、スタート」


 スマートフォンを手に取る。画面には実際に文章が表示されている。


 『今日、駅前寄らない?』 指を動かす。


 『ごめん、今日は――』 途中まで打って、止める。


 一度消してから、もう一度打ち直す。


 また消す。ここで、最初は「悲しそうな顔をしよう」と思った。


 けれど、やめた。本当に行きたいなら、悲しいだけじゃない。


 断りたくない。理由を説明するのも嫌だ。


 置いていかれるのも嫌だ。でも、自分から行くとも言えない。


 だから画面を見たまま、少しだけ笑った。仕方ない、というように、その瞬間。


「ねえ!」


 廊下から声がした。杏奈だった。


 声だけの役として急遽参加している。


「まだー?」


 私は顔を上げた。返事をしようとして、一度止まる。


 それから立ち上がった。


「……今行く!」


「カット!」


 監督の声が飛んだ。私はその場で息を吐く。


「どうでした?」


 監督はすぐには答えず、モニターをもう一度巻き戻した。昨日みたいにただ空気が止まったのではなく、今度は何を見られているのかが少しだけ分かる気がした。


「あの」


「桜井さん」


「はい」


「今、最後、誰を見てた?」


「え?」


「声がしたとき」


「杏奈……じゃなくて、友達です」


「そうだよね」


 監督がモニターを見たまま笑った。


「ちゃんとそこに人がいた」


 意味を理解するまで、少し時間がかかった。


「ありがとうございます」


「もう一回やろう」


「はい」


「今度、最初の笑いを少しだけ抑えて。行けないことに慣れてる感じじゃなくて、今日だけ駄目な感じにしたい」


「分かりました」


 その時、助監督が横から声をかけた。


「あと七分で五人の集合カット戻します」


「七分?」


「一回でいければ余裕」


 急に時間が見えた。私一人の追加撮影のせいで、四人を待たせるのは嫌だ。


 でも焦って早く終わらせようとしたら、たぶん一番駄目になる。


「お願いします」


 二回目。今度は残り時間を考えず、廊下から来る友達の声だけを見るつもりで顔を上げた。


 行きたい。でも今日は行けない。


 その気持ちだけを相手へ返す。


「はい、オッケー!」


 助監督が時計を見て笑った。


「残り五分。間に合います」


 胸の奥で、別の種類の緊張まで一緒にほどけた。


 その声で現実へ戻る。


「ありがとうございました!」


 立ち上がって頭を下げると、セットの外から拍手が聞こえた。


「何してるの」


 私は思わず笑った。美月たち四人がいた。


「見ないって選択肢なくない?」


 杏奈が待ってましたとばかりに口を挟む。


「途中から来た」


 沙耶が補足する。


「どうだった?」


「なんか」


 美月が腕を組む。


「腹立つくらい自然」


「褒めてる?」


「褒めてる」


「ならありがとう」


 琴葉だけは何も言わなかった。私をじっと見ている。


「琴葉?」


「陽葵って」


「うん」


「芝居してる時だけ違うよね」


 昨日、美月に言われたのと似ている。でも琴葉は、そこで終わらなかった。


「人に見られるの、怖くなくなる」


 私は答えられなかった。


「普段は?」


「普段は結構見てるじゃん。誰が何思ってるとか、自分が前出すぎてないかとか」


「そんなに?」


「うん」


「でも今、監督もカメラもスタッフもいたのに、全然見てなかった」


「見てたよ。カメラは」


「そういう意味じゃない」


 琴葉の言いたいことは、なんとなく分かった。私はアイドルとしてカメラに映るとき、どう見えているかを考える。


 笑えているか。立ち位置は合っているか。


 美月より前へ出すぎていないか。琴葉の歌を邪魔していないか。


 杏奈の話を拾った方がいいか。沙耶が何か言おうとしていないか。


 でも芝居をしている間は、確かにそういうことをほとんど考えていなかった。どう映るかより、目の前にいる相手が何を返してくるかの方が先に入ってくる。


「不思議」


 私は自分で言った。


「自覚なかった?」


「なかった」


「じゃあ今日から演技担当で正式決定ね」


 杏奈が割り込む。


「だから担当制じゃないって」


「プロフィールに書こう。特技、人格変化」


「怖いからやめて!」


「特技、憑依」


「もっと怖い!」


「普通に演技でいいでしょ」


 沙耶が呆れたように言い、美月が笑う。いつもの空気に戻る。


 私は少しだけ安心した。


 芝居では周りが見えなくなる。でも終わった瞬間には、また四人の中へ戻れる。


 その切り替わりを、今日初めて自分でも少しだけ自覚した。


     ◇


 撮影終了後。着替えを終えて廊下に出たところで、佐伯真紀マネージャーに呼び止められた。


「陽葵」


「はい」


「今日の追加撮影、評判良かったって」


「もう聞いたんですか?」


「制作から連絡来た」


「早」


「この業界、悪い話と予定変更だけは速いの」


「良い話も入れてくださいよ」


「今日は良い話」


 佐伯さんがタブレットを私へ向けた。


「これ」


 画面には、事務所内の募集要項が表示されていた。『深夜配信番組 若手アイドル演技企画 出演者募集』


「これって」


「うちから一人出せる」


 私は画面を読む。複数のアイドル事務所から出演者を集め、短い演技企画を行う番組らしい。


 規模は大きくない。地上波ですらない。


 でも、ライブでもMVでもない。演技そのものが仕事になる。


「受ける?」


 佐伯さんが聞いた。胸が、一度だけ強く鳴った。


「受けたいです」


「じゃあ明日、内部選考」


「明日!?」


「悪い話と予定変更だけじゃなく、良い話も速かったでしょ」


「速すぎます!」


 佐伯さんは笑った。


「ちなみに」


「まだ何かあるんですか?」


「応募、陽葵だけじゃないから」


「え?」


「ルミサンからもう一人」


 佐伯さんが画面を閉じた。


「美月も受けるって」


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