第23話 じゃあ逆にやって
「桜井さん、その役、どういう子だと思います?」
監督に聞かれ、陽葵はすぐ答えた。
「弱いところを見せたくなくて、強く振る舞ってる子だと思います」
「なんでそう思った?」
「友達が諦めようとした時に、明るく励ますので。自分まで不安になったら相手を支えられないから、わざと強く――」
「台本に書いてある?」
言葉が止まる。
「……書いてないです」
「じゃあ逆にやってみて」
「逆?」
「莉子は弱くない。強がってもいない。本当に強い子だと思って、同じ場面」
オーディション会場。
今までより一段大きい役だった。
役名は莉子。台詞も増え、受かれば複数日にわたって撮影へ入る。
だからこそ、陽葵は準備してきた。
前回より大きな役だから、前回より準備しなければいけないと思った。人物設定を考え、台詞の前後を読み、莉子が友達と知り合った時期まで想像した。準備を重ねるほど不安は減るはずだった。
ところが実際には逆だった。
考えた分だけ「こう演じる」という形が固まり、そこから外れるのが怖くなっていた。準備が悪いわけではない。ただ、準備したものを正解にした瞬間、それ以外を受け取れなくなる。
その違いを、陽葵はまだうまく言葉にできていなかった。
莉子が何を考え、どう笑い、どう友達を励ますか。ノートへ何ページも書いた。
その答えを、開始数分で外された。
「できますか」
「……やります」
相手役の男性が向かいへ座る。
監督が合図した。
「もう、いいかなって思ってる」
相手役が言う。
陽葵は予定していた笑顔をやめる。
強い子。
強がっていない。
なら明るく。
「何言ってんの。まだ三社でしょ?」
言った瞬間、自分でも固いと分かった。
「もう三社だよ」
「でも次があるじゃん」
「簡単に言うなよ」
「だって――」
「はい」
監督が止めた。
短い沈黙。
「桜井さん、今どこ見てた?」
「相手を……」
「見てた?」
返せない。
顔は見ていた。
でも頭の中では「強い莉子ならどう返すか」しか考えていなかった。
相手役の眉がどう動いたかも、声がどこで掠れたかも、今になって思い返せない。見ていたつもりで、自分の頭の中の莉子ばかり見ていた。
それが分かると悔しかった。
自分の強みは、相手に応じて変われるところだと言われてきた。その一番大事なところを、役が大きくなった途端に自分から消している。
受かりたい。
評価されたい。
その気持ちが強いほど、正解へ寄ろうとしていた。
「一回外れて」
「はい」
候補者席へ戻る。
隣には朝倉奈々がいた。
「固かったね」
「言わないで」
「自分でも分かってるでしょ」
「分かってるから嫌なの」
奈々は台本を膝へ置く。
「最初の方がよかった」
「やっぱり?」
「最初は芝居してた。今は設定守ってた」
「刺さる」
「聞いたから言った」
陽葵は自分の台本を見る。
莉子。二十歳。大学生。明るい。友達思い。
弱いとも、強がるとも書いていない。
自分が足した。
「奈々は莉子、どう思う?」
「私は普通に強いと思う」
「やっぱり」
「でも私の答えが正解とは限らないでしょ」
「分かってる」
「じゃあ何悩んでるの」
「決めないと芝居できない気がしてた」
「全部?」
「……たぶん」
その時、美月の言葉が頭へ戻った。
――勝手に私を、陽葵が売れたら嫉妬する人にしないで。
「……うわ」
「何」
「私、同じことしてる」
「何と?」
「人の気持ち。先に決めてた」
「誰の?」
「美月。私が売れたら嫌かもって、本人に聞く前に」
「怒られた?」
「めちゃくちゃ」
「そりゃ怒る」
「奈々まで!」
「今の芝居も同じ?」
「たぶん。莉子がこう思う、相手がこう返す、だから私はこう言うって全部作ってた」
「じゃあ相手見れば」
「簡単」
「監督もそれ言うんじゃない?」
まるで聞いていたように、監督がこちらを向いた。
「桜井さん、もう一回いける?」
「はい」
立ち上がる。
「今度、こっちから設定言わないから」
「はい」
「さっきと同じ場面。相手見てやって」
相手を見る。
それだけ。
でも今度は、莉子の答えを頭へ並べなかった。
「もう、いいかなって思ってる」
相手役の声が落ちる。
陽葵はすぐ返さない。
目が合わない。
疲れているように見える。
「……何言ってんの」
さっきと同じ台詞なのに、自分の声が違った。
「だって、もう三社落ちたし」
「三社くらいで何言ってるの」
「簡単に言うなよ」
台本にない。
一瞬、頭が白くなる。
でも、相手を見る。
傷ついた顔。
「……ごめん」
自然に出た。
「でも、簡単に言ってるわけじゃない」
監督は止めない。
「私、あんたが諦めた顔する方が嫌だから」
相手役が黙る。
陽葵も待つ。
次の台詞を埋めない。
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
その問いを受けて、初めて少し笑った。
「もう一社、受ければ?」
「雑」
「じゃあ二社」
「増やすなよ」
「はい」
監督の声。
陽葵は息を吐いた。
監督と脚本家が短く目を合わせる。
「今の方がいいですね」
脚本家が言う。
「ありがとうございます」
「最初の作り込みも悪くない」
監督が続ける。
「でも、作った答えに相手を押し込めると、桜井さんの良さが消える」
「はい」
「相手見て変わるところが一番面白いから」
今まで何度か似たことを言われた。
今日、ようやく意味が少し深くなった。
演技の技術としてだけなら、「相手を見る」という言葉は前から知っていた。けれど今は、それが日常の自分にも同じ形で刺さっている。
美月がどう感じるかを決めてから話すのではなく、本人に聞く。
役がどう感じるかを固定してから演じるのではなく、相手との場面の中で確かめる。
どちらも、自分の中だけで完成させないということだった。
相手を見るというのは、表情を観察することだけではない。
自分の正解より、目の前の相手を優先すること。
「分かりました」
今度は本当にそう思えた。
廊下へ出ると、奈々が隣へ並んだ。
「最後、よかったね」
「奈々に言われると悔しい」
「なんでよ」
「ライバルだから」
「じゃあ言わない」
「それは嫌」
「面倒くさ」
エレベーター前で奈々が笑う。
「私、今回自信あるよ」
「私も」
「じゃあ、どっちか受かっても恨みっこなしね」
「そっちこそ」
「私は大人だから」
「二十一歳でしょ」
「陽葵よりオーディション歴長いから」
「そこ出してくる?」
扉が開く。
結果はまだ分からない。
でも今日の最後の芝居は、自分でも好きだった。
受かるかどうかとは別に、最初の失敗からもう一度やり直せたことが嬉しかった。オーディションは正解を披露する場所だと思っていたが、今日初めて、相手とその場で何かを作る場所でもあるのだと思えた。
◇
数日後。
事務所で佐伯さんに呼ばれた。
「受かった」
「……え」
「莉子役」
「ほんと?」
「ほんと」
身体から力が抜ける。
「役名ある?」
「今さらそこ?」
「あるよね?」
「ある。莉子」
「台詞は?」
「増える」
「撮影?」
「数日」
嬉しい。
でも、佐伯さんが出した予定表にはライブやレッスンも並んでいる。
「前より拘束増えるからね」
「はい」
「嬉しいだけじゃない」
「……分かるようになってきました」
「その言い方ならいい」
さらにキャスト表を渡される。
途中で視線が止まった。
「……桐生蓮」
「再共演になる」
胸が跳ねる。
「浮かれすぎない」
「まだ浮かれてないです」
「顔」
「そんな出てる?」
「出てる」
◇
レッスン室で四人へ報告する。
「役名ある!?」
杏奈が真っ先に聞く。
「ある!」
「やったじゃん!」
「台詞は?」
美月。
「前よりかなり多い」
「撮影何日?」
沙耶。
「何日か」
「予定見せて」
「はい」
琴葉は少し遅れて近づく。
「嬉しそう」
「うん」
「今回はちゃんと、自分がやりたい役?」
私は少しだけ考えた。
「うん。やりたい」
「じゃあよかった」
美月が笑う。
「美月」
「何?」
「この前、怒ってくれてありがと」
「急に何」
「今日ちょっと役立った」
「意味分かんない」
杏奈が割り込む。
「じゃあ配信で話そう!」
「話さない!」
「なんで!」
笑い声が広がる。
「桐生さんも出るんだ」
美月がキャスト表を覗く。
「うん」
「嬉しい?」
「仕事としては」
「仕事としては?」
「その聞き方やめて」
「何も言ってない」
「顔が言ってる!」
沙耶が時計を見る。
「浮かれるのはいいけど、まず日程」
「はい」
「決まってから『実は』は禁止」
「そこはもう覚えた」
琴葉が台本を返す。
「莉子、どんな役?」
答えかけて、止まる。
「……まだ決めすぎない」
「何その女優っぽい返事」
「今日ちょっと学んだの」
美月が笑う。
「じゃあ相手役ちゃんと見なよ」
「うん」
「私のこともね」
「まだ言う?」
「言う」
佐伯さんから渡された台本は、前より少し厚い。
名前のない役だった自分に、今度は莉子という名前がある。
ほんの一段。
でも、たしかに一段上がった。
嬉しい。怖い。楽しみ。
全部ある。
今は一つに決めなくていい。
目の前の相手を見て、その時に返す。
それが少し分かるようになったことの方が、合格そのものより嬉しかった。
役名がついたから急に別人になれるわけではない。次の現場でも迷うだろうし、また答えを作りすぎるかもしれない。それでも、迷った時に戻る場所は分かった。準備したものを捨てるのではなく、目の前の相手に合わせて開いておく。今日覚えたその感覚を、陽葵は新しい台本と一緒に持っていくことにした。
莉子という名前を指でなぞる。以前の自分なら、役名があるだけで「一段上がった」と浮かれて終わっていたかもしれない。今は、その一段が次の責任まで増やすことも分かる。撮影日が増えればグループの予定にも影響する。それでもやりたいと、自分で言える。そのこともまた、少し前とは違っていた。
その一段を、今度は自分で歩いていく。
次の現場では、今日より少しだけ余白を持って立てる気がした。そう思えることが嬉しかった。
行こう。
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