第24話 遠征先でも、五人
「杏奈」
「何?」
「それ誰の?」
「私の」
「嘘」
「私のです」
「名前」
「……陽葵」
「返して!」
朝七時十二分の東京駅、新幹線ホームで杏奈が抱えている紙袋には、どう見ても彼女のものではない『桜井』という名前が大きく書かれていた。
「何で持ってるの!」
「私のバッグに入ってた」
「昨日沙耶ちゃんが分けたじゃん!」
「じゃあ沙耶ちゃんが悪い」
「杏奈が適当に取ったんでしょ」
「証拠は?」
「今持ってること!」
「状況証拠!」
「十分だよ!」
沙耶が少し離れたところで人数を確認している。
「五人いる?」
「います!」
「チケット」
「ある!」
「スマホ」
「ある!」
「杏奈」
「はい!」
「陽葵の袋返す」
「はい」
沙耶に言われた瞬間、杏奈は今までの抵抗が嘘のように即座に紙袋を差し出した。
「沙耶ちゃんにだけ素直」
「怖いから」
「聞こえてるよ」
「愛です」
「便利に使うな」
美月は売店のコーヒーを持ち、琴葉はいつものように常温の水を自宅から持参していた。
「琴葉、それ」
「何?」
「駅で買った?」
「持ってきた」
「家から?」
「うん」
「重くない?」
「喉の方が大事」
「さすが」
今日は名古屋での地方イベントで、ルミサン五人揃って新幹線に乗る仕事も少しずつ増えてきた。以前なら遠征というだけで全員もっと浮かれていたし、今はもう慣れたと言いたいところだけれど――。
「駅弁買っていい?」
やっぱり最初に浮かれたのは杏奈だった。
「朝ご飯食べた?」
「食べた」
「じゃあ何で」
「新幹線は駅弁」
「朝七時」
「関係ない」
「元気だなあ」
やっぱり。あまり変わっていない。
◇
新幹線へ乗り込み、二列席と三列席にどう分かれるかを決めようとした結果、なぜか席決めのじゃんけんが始まった。
「最初はグー!」
「何で席でじゃんけんするの」
美月は予想通りという顔で呆れていた。
「窓!」
杏奈だけは目的がはっきりしていた。
「どこでもいい」
琴葉は興味がなく、沙耶もそれに続く。
「私も」
「じゃあ私も」
「陽葵」
「何?」
「そういう人が増えると決まらない」
「じゃんけんで」
「結局」
じゃんけんの結果、私は窓側で隣が美月、通路を挟んだ三列席には沙耶、琴葉、杏奈の順で座ることになった。
「何で私窓じゃない!」
「負けたから」
「景色見たい!」
「通路から見えるよ」
「違う!」
「杏奈」
琴葉が静かに呼ぶ。
「声」
「新幹線まで喉管理!?」
「周りいる」
「あ」
周囲の視線に気づいた杏奈は、さっきまでの声量が嘘みたいに急に小さくなった。
「すみません」
それはちゃんと謝る。私は、少し笑った。
「何」
「いや」
「今の杏奈はちゃんと謝ったね」
美月がコーヒーを飲みながら、何でもないことのように言う。
「うん」
「陽葵も、必要な時だけそれでいいんじゃない?」
「……まだ、その必要な時が難しい」
「じゃあ考えればいいよ。先に全部謝るよりは」
以前ならその場でまた「ごめん」と言っていたかもしれないけれど、今回は黙って頷くだけにした。美月も、それ以上は何も言わなかった。
「じゃあ」
「うん」
「相手が本当に困ったか考えれば」
「なるほど」
「陽葵、自分が嫌われそうって時に謝るの早いから」
何気なく言われただけなのに、その一言は思ったより深く刺さった。
「……そう?」
「そう」
美月は、それ以上言わなかった。この前の喧嘩の原因は、まだ完全には終わっていない。
でも、今日は、ここまで。
◇
新幹線が動く。杏奈は、十五分で寝た。
「景色見たかったんじゃないの」
私は通路越しに言う。
「寝るって言ってた」
沙耶が会話へ入る。
「いつ?」
「東京駅着いた時」
「じゃあ何で窓欲しかったの」
「杏奈だから」
「説明になってる」
琴葉はイヤホン。でも、音楽を聴いているわけではない。
「何聞いてるの?」
「今日の音源」
「朝から?」
「本番あるから」
「リハで聞けば」
「その前に一回」
そこだけ、本当に真面目。
「陽葵」
隣の美月がこちらを見る。
「台本持ってきた?」
「何の?」
「次のドラマ」
「あ」
「持ってない?」
「スマホに入ってる」
「読む?」
「今日?」
「移動長いし」
「読む」
「相手する?」
「新幹線で?」
「小声」
「美月、本当に付き合いいいね」
「私も暇」
「それ言わなきゃいいのに」
開いたのは次のドラマで演じる宮本莉子の台本だった。
前より台詞が多い。嬉しい。
でも、今日は、地方イベント。
「やっぱ帰りにする」
「何で?」
「今はルミサン」
「移動中まで?」
「気分」
「変なの」
美月は何でもないことのように笑った。
◇
新幹線が名古屋駅へ滑り込むと、
「暑!」
ホームへ降りた杏奈が、顔の前を手で扇ぎながら大げさに眉を寄せる。
「東京と変わらない」
沙耶が会話へ入る。
「気持ち!」
「気持ちで気温変わらない」
「名古屋だ!」
「駅から出たばっか」
スタッフ車で会場へ移動し、そのまま楽屋へ入る。今日は複数グループが出演するイベントで、ASTERも同じ会場にいる。
「ASTER今日いるよ」
杏奈が、言う前に。
「知ってる」
私はすぐに答えた。
「珍しい!」
「出演者表見たから」
「成長!」
「何の?」
「高瀬湊への興味」
「そこじゃない!」
美月が少し笑う。
「最近Pingしてる?」
「たまに」
「へえ」
「何?」
「別に」
「美月まで杏奈みたいにならないで」
「何で私を悪い例に!」
◇
リハーサルを終えてステージへ立つと、地方公演は東京と同じようでいて、少しだけ空気が違う。いつも来てくれるファン。遠征してきた人。現地で初めて見る人。
だから、今日は、最初の数分が大事。
「杏奈」
「何?」
「最初暴走しないで」
「私はいつも計算」
「嘘」
「名古屋仕様!」
「一番怖い」
「陽葵が拾えば大丈夫!」
「最初から投げる気!」
美月がすぐに杏奈を止める。
「二人ともリハ」
「はい」
◇
本番、思った以上に、客席が近かった。
「名古屋ー!」
杏奈がステージの前方まで飛び出すと、客席から大きな歓声が返ってくる。
「初めてルミサン見る人ー!」
客席からは思った以上に多くの手が上がった。
「いっぱい!」
私も続けて客席へ声を返した。
「じゃあ今日から全員――」
「メンバーにするなよ!」
何を言われるか分かったので、私は先に止めた。
「まだ言ってない!」
「絶対言う!」
「ファンです!」
「学習した!」
客席に笑いが起き、そのまま美月へ繋ぎ、琴葉の歌が入る。沙耶も客席を見ながら立ち位置を整え、五人の流れが自然に一つになる。
最近は演技仕事の話が増えたけれど、こうして五人でステージに立つと、やっぱり純粋に楽しいと思う。
◇
終演後はそのまま物販へ移る。
「東京から来ました」
「遠征!?」
「名古屋まで」
「ありがとうございます」
「陽葵ちゃんも遠征でしょ」
「仕事だから!」
「こっちも推し事」
「上手いこと言わないでください」
列には新規の人も、ドラマを見て来た人も、いつものファンもいる。地方でも私の列は以前より長くなっていた。でも、今日は、美月を見ても、謝ろうとは思わなかった。美月も、普通に自分の列で笑っている。
それだけ、少しだけ、前より進んだ気がした。
◇
物販が終わり、共有スペースへ戻る。
「お疲れさまです」
「お疲れさまです」
そこでASTERの高瀬さんを見つけた。
ステージ衣装のまま。
「名古屋でも会うんですね」
向こうが言った。
「同じイベントですから」
「知ってます」
「じゃあ何で言うんですか」
「何となく」
「雑」
「そっちは終わりました?」
「物販終わりました」
「うちはこれから」
「頑張ってください」
「ありがとうございます」
それだけの普通の挨拶で終わると思い、私はそのまま去ろうとした。
「あ」
声の主は高瀬さんだった。
「はい?」
「ドラマ」
「え?」
「決まったんでしょ」
「何で知ってるの」
「この前、受かったら教えてって言った」
「あ」
「教えてくれなかった」
そう言われて、さっきのことを思い出した。
「……忘れてた」
「ひど」
「ごめん」
「それは謝るんだ」
「今は謝るでしょ!」
向こうが笑った。
「おめでとう」
「ありがとうございます」
「今度は役名ある?」
「あります」
「そこ重要?」
「私には」
「何て役?」
「宮本莉子」
「覚えときます」
「本当に?」
「意外と覚えるって前言った」
それも、覚えている。
「撮影いつ?」
「来週」
「忙しいですね」
「高瀬さんも」
「まあ」
「ライブいっぱいあるじゃないですか」
「でも俺は同じ仕事多いから」
「同じ?」
「アイドル」
「私は?」
「二つ」
少し、言葉が止まった。
「……そうですね」
「大変?」
「まだ」
「まだ?」
「今は楽しいです」
「じゃあいいんじゃないですか」
また、簡単に言う。
「高瀬さんいつも簡単に言う」
「難しく言った方がいい?」
「いえ」
「じゃあ」
「簡単でいいです」
「なら」
少し笑いながら話せる距離は、以前より明らかに自然になっている。ただ、何かが大きく変わったわけではない。
◇
その夜はホテルへ戻り、五人で少しだけ集まった。
「部屋割り!」
杏奈は自分の部屋でもないのに、目の前のベッドへ真っ先に腰を下ろした。
「もう決まってる」
沙耶が会話へ入る。
「何で!」
「スタッフが決めた」
「民主主義は!?」
「仕事です」
部屋割りは、美月と私が二人部屋、沙耶と杏奈も二人部屋で、琴葉だけが一人部屋だった。
「琴葉ずるい!」
「何が?」
「一人部屋!」
「喉管理」
「それで通ったの!?」
「たまたま」
「杏奈がうるさいからじゃない?」
私が何気なく返すと、杏奈がすぐにこちらを向いた。
「陽葵!」
部屋に小さな笑いが起きた。
◇
自分たちの部屋へ戻ると、美月と私の前に同じ形のベッドが二つ並んでいる。
「疲れた」
「うん」
「風呂どっち先?」
「美月」
「いいの?」
「台本ちょっと読む」
「朝読まなかったやつ?」
「うん」
「じゃあ先入る」
美月が浴室へ入ったあと、私は宮本莉子の台本を開いた。するとすぐ、スマートフォンのPingが鳴る。
高瀬さんから、【高瀬湊:今日お疲れ】 【陽葵:お疲れさまです】 【高瀬湊:名古屋めし食べた?】 【陽葵:まだ】
【高瀬湊:何しに来たんですか】 【陽葵:仕事!】 【高瀬湊:もったいない】 笑う。
【陽葵:明日食べます】 【高瀬湊:手羽先】 【陽葵:味噌カツ】 【高瀬湊:重い】
【陽葵:高瀬さんが聞いたんでしょ】 普通。
内容はただの雑談なのに、少し前よりこういう連絡を交わすこと自体が自然になっている。浴室の扉が開く。
「陽葵」
「何?」
「誰とPing?」
「高瀬さん」
「へえ」
「何」
「最近増えたね」
「そう?」
「うん」
「仕事の話とか」
「今も?」
「名古屋めし」
「仕事じゃないじゃん」
「……確かに」
美月がタオルで髪を拭きながら。少しだけ笑う。
「陽葵」
「うん?」
「それ」
「何?」
「多分」
その言葉に、一瞬だけ返事が遅れた。
「仲良くなってるって言うんだよ」
私は、スマートフォンを見る。
「……そうなのかな」
「知らないけど」
「言ってから逃げるな」
「風呂入ってきな」
「はい」
立つ。でも、浴室へ入る前。もう一度。
もう一度画面を見ると、【高瀬湊:じゃ明日ちゃんと食べて帰って】と短いメッセージが来ていた。ごく普通のやり取りに、私は【陽葵:はい】と返す。
ドラマや撮影、オーディションを重ね、桐生蓮と共演するようになって、仕事の格は少しずつ上がっている。
でも、新幹線では杏奈が荷物を間違える。琴葉は水を持ち込む。沙耶は予定を確認する。美月は私の衣装を直す。
地方へ来ても、五人の日常は続いている。その中に、高瀬さんとの短いやり取りも、いつの間にか。少しずつ。
混ざり始めていた。
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