第22話 嬉しいって言ってるじゃん
「陽葵、今日また多いね」
「何が?」
「列」
「見なくていいって」
「何でよ」
物販開始前の楽屋で、杏奈がモニターへ顔を近づけている。先週のドラマ放送から、明らかに変わった。私の列が長くなった。一度だけなら偶然だと思えたけれど、今日も同じだった。
美月ほどではない。でも、以前なら私より列が長いことの多かった沙耶や杏奈と、ほとんど同じ。日によっては少し上。
「十三、十四……」
「数えないで!」
「調査です!」
「何の!」
「人気動向」
「スタッフに任せようよ!」
「自分のグループの数字を知るのは大事」
「杏奈が急に運営みたいなこと言い出した」
沙耶が呆れている。
「Picstaの数字も増えてるよ」
杏奈は気にしない。
「Talkyも」
「知ってる」
「見てるじゃん」
「通知は来るから」
「じゃあ喜べばいいのに」
「喜んでるよ」
「その顔で?」
「どんな顔?」
鏡の前にいた美月が振り返る。
「考えすぎてる顔」
「……また?」
「また」
最近、ずっと言われる。顔に出る。
演技の時は自分でも驚くほど相手へ集中できるのに、普段はどうやら考えていることがかなり分かりやすいらしい。
「陽葵」
美月が私の前へ来る。
「リボン曲がってる」
「え?」
「左」
自分より先に、私の衣装を直す。最初のライブの日から変わらない。
「ありがとう」
「うん」
「あと」
「何?」
「この前のこと」
「どれ?」
「物販」
「ああ」
「ごめんね」
口にした瞬間。美月の手が止まった。
「何が?」
「私の列」
「……は?」
空気が変わった。杏奈がモニターから顔を上げる。沙耶も、琴葉も。
「いや」
私は慌てる。
「前まで美月が一番で、その次が――」
「知ってる」
「最近私が急に増えたから」
「だから?」
「嫌じゃないかなって」
「前もそれ言ったよね」
「うん。でも」
「私、嫌だって言った?」
「言ってない」
「機嫌悪かった?」
「なってない」
「じゃあ何で謝るの?」
言葉が詰まった。
「美月」
沙耶が少しだけ止めるように呼ぶ。
「うん。分かってる」
美月は怒鳴ってはいない。でも、明らかに怒っていた。
「陽葵」
「はい」
「私、嬉しいって言ってるじゃん」
「うん」
「ドラマ決まった時も」
「うん」
「列増えた時も」
「うん」
「人気上がった時も」
「うん」
「全部、おめでとうって言った」
「言われた」
「なのに何で」
一度、息を吐く。
「勝手に私を、陽葵が売れたら嫉妬する人にするの?」
胸に刺さった。
「そんなつもりじゃ」
「じゃあ何」
「美月が」
「うん」
「センターだから」
「それで?」
「ずっと一番だったから」
「だったら?」
「私が急に近づいたら、嫌かもしれないって」
「それ」
美月の声が少し強くなる。
「陽葵が決めることじゃないでしょ」
最近。何度も聞いた言葉だった。迷惑かどうか。四人が困るかどうか。
私が先に決めない。沙耶に言われた。でも、今、同じことを、別の形でまたやっている。
「……ごめん」
口から出た。その瞬間。
美月が目を閉じた。
「それ」
「え?」
「それだよ」
「何が?」
「すぐ謝るの」
「だって今は」
「私が怒ってるから?」
「うん」
「じゃあ何に謝ってる?」
分からなくなった。
「嫌な気持ちにさせたこと」
「陽葵」
「うん」
「私が怒ったら、陽葵が謝れば終わる?」
「そういう意味じゃ」
「じゃあちゃんと話して」
楽屋が静かだった。スタッフはまだ来ない。五人だけ。
「私」
美月が続ける。
「陽葵に売れてほしいよ」
「うん」
「女優の仕事だって、もっと取ってほしい」
「うん」
「ルミサンでも人気出てほしい」
「……うん」
「でも」
私を見る。
「ずっと私より下でいてほしいとは思ってない」
その言葉に、何も返せなかった。
「センターだから、一位じゃなきゃいけないとは思ってるよ」
「やっぱり」
「でもそれは私の問題」
「……うん」
「陽葵が私に遠慮して、人気増えないようにできるわけ?」
「できない」
「物販来た人に『美月がいるんで帰ってください』って言う?」
「言わないよ!」
「でしょ」
「でも」
「でも何?」
「美月だって悔しいでしょ」
「悔しいよ」
即答。
「え」
「陽葵の列が私より長くなったら、普通に悔しいと思う」
思っていた答えと違った。
「でも」
美月は続ける。
「悔しいのと、陽葵に売れてほしくないのは別」
奈々の言葉を思い出した。上手い。
悔しい。両方。
「……そっか」
「そっかじゃない」
「はい」
「私を勝手にいい人にも悪い人にもするな」
「いい人にも?」
「陽葵が売れて全部嬉しい、悔しくも何ともない聖人みたいなのも違う」
「美月、自分で聖人って」
「例え!」
少しだけ、杏奈が笑いそうになって止めた。でも、まだ笑える空気ではない。
「分かった」
私は言う。
「何が?」
「美月がどう思うか、美月に聞く」
「それ」
「勝手に決めない」
「うん」
「謝る前に」
言いながら。少しだけ詰まった。
「話す」
美月が私を見る。
「……うん」
「ご――」
また出そうになった。止める。
美月が気づく。
「今は言ってもいいけど」
「どっち!?」
「今のはちゃんと謝る場面だから」
「難しいよ!」
杏奈がついに吹き出した。
「判定厳しすぎる!」
「杏奈は黙ってて」
「はい!」
少しだけ、空気が戻る。でも、美月はまだ完全には笑っていなかった。
◇
物販が始まる。今日は、自分の列をなるべく見ないようにした。
「ドラマ見ました」
「ありがとうございます」
「今日二回目」
「え、本当?」
「先週初めて来て、また来ました」
「嬉しい」
「ルミサン楽しい」
「もっと嬉しい」
言って。本当にそう思う。演技で私を知って。ルミサンへ来る。
私だけではなく。五人を見る。望んでいたことだ。なのに、その結果として自分の人気順位が上がると、美月のことが気になる。
矛盾している。
「陽葵ちゃん?」
「あ、ごめんなさい」
ファンに声をかけられた。
「大丈夫?」
「大丈夫です」
「疲れてる?」
「ちょっと考え事」
「仕事?」
「そんな感じです」
「無理しないで」
「ありがとうございます」
今度の「ごめんなさい」は、話を聞いていなかったから、これはいい。たぶん、判定が難しい。
◇
ライブ本番、ステージへ出れば。さっきのやり取りは一度置いた。美月はセンター。私は右後ろ。
いつも通り。曲が始まる。美月を見る。強い。
やっぱり。この人が前にいると安心する。人気が何位になっても、そこは変わらない。二曲目。
杏奈の煽りに琴葉の歌が重なる。
沙耶の視線。私は客席へ返す。MC。
「今日初めての人ー!」
杏奈が客席へ振ると、いくつも手が上がる。
「ドラマ見て来た人いる?」
いくつか上がった。
「おお!」
私が声を出す。
「陽葵効果!」
杏奈が言う。一瞬、美月を見る。しまった。
と思った瞬間。美月が先に言った。
「じゃあ今日は私も覚えて帰って!」
自然に笑うと、客席からも笑いが返ってきた。
「美月そこ張り合う!?」
「張り合うよ!」
「センター!」
「センターなので!」
「またそれ!」
笑い。普通。
美月は、普通に、自分で悔しさも競争も笑いにしていた。私が先回りして守る必要なんて。最初からなかった。
◇
終演。
「お疲れさま」
「お疲れ」
美月とは普通に話した。さっき喧嘩したからといって。仕事で無視をするような人ではない。分かっている。
でも、少しだけ距離を感じる。たぶん、私が勝手に感じている。
「陽葵」
琴葉が呼ぶ。
「何?」
「水」
「ありがとう」
「今日二曲目遅かった」
「どこ?」
「二番サビ前」
「本当?」
「美月見すぎ」
ぎくっとする。
「見てた?」
「見てた」
「……やっぱ分かる?」
「分かる」
「琴葉怖い」
「芝居の時は相手見るのいいけど」
「うん」
「ライブで一人だけ見すぎるのは駄目」
「はい」
正論。
◇
片付け。美月は先に次の仕事へ移動した。今日は別の雑誌撮影が入っている。
「じゃ、行ってくる」
「いってらっしゃい」
私は答えた。
「陽葵」
「何?」
一瞬、美月が何か言いそうになった。でも。
「明日十時だから」
「分かってる」
「寝坊しないで」
「しない!」
「じゃ」
そのまま出ていった。仲直り。
した。のか?
「陽葵」
沙耶。
「何?」
「今、追いかけようとした?」
「してない」
「顔」
「みんな顔見るのやめて」
「話したい?」
「……ちょっと」
「でも美月仕事」
「うん」
「じゃあ明日」
「うん」
「今追いかけて謝るのは?」
「……やめる」
「よし」
「沙耶ちゃん最近訓練してる?」
「陽葵が同じこと繰り返すから」
「厳しい」
「でも」
沙耶が少し声を落とした。
「美月、怒ったけど」
「うん」
「嫌いになったわけじゃないよ」
「分かってる」
「本当に?」
「……頭では」
「じゃあ今日はそこまで」
それ以上。沙耶は言わなかった。
◇
翌日、レッスン室。私が着くと、美月はすでにいた。
「おはよう」
「おはよう」
普通。それだけ、昨日のことを、ここで改めて話すべき? 迷う。
「陽葵」
「はい!」
「何その返事」
「いや」
「昨日の二曲目」
「うん」
「立ち位置、一回合わせたい」
「分かった」
その後の仕事は普通に進み、杏奈と沙耶も合流する。
琴葉も来て、ようやく五人が揃った。
レッスンの途中で休憩に入る。
美月が隣へ座った。
「陽葵」
「うん」
「昨日の話」
心臓が跳ねる。
「うん」
「まだ気にしてる?」
「少し」
「やっぱり」
「美月は?」
「まだちょっと怒ってる」
「……そっか」
「でも」
「うん」
「別に陽葵と仕事したくないとか、そういうのじゃないから」
「分かってる」
「本当?」
「今回は本当」
美月が少し笑った。
「じゃあいい」
「あと」
「何?」
「昨日」
一度だけ、言葉を選んでから考えをまとめる。
「ちゃんと言ってくれてありがとう」
「何それ」
「怒ってるって」
「普通でしょ」
「私なら黙るかも」
「それが駄目なんじゃない?」
「……そうかも」
「陽葵」
「うん?」
「次」
美月が私を見る。
「私の列より長くなったら」
「うん」
「普通に悔しがるから」
「宣言する?」
「する」
「怖い」
「だから陽葵も喜んで」
「え?」
「人気上がったら」
昨日と同じ。
「嬉しいって言ってるじゃん」
今度は、少し笑っていた。
「……うん」
「返事小さい」
「嬉しい」
「よし」
「でも美月に勝ったらもっと嬉しいかも」
「は?」
「言ってみた」
「調子乗るな!」
肩を叩かれて、思わず笑った。
関係は、戻った。たぶん、でも、自分の中の何かは、完全には消えていなかった。迷惑をかける前に謝る。嫌われる前に引く。
怒られる前に、自分が悪かったことにする。それなら、相手を傷つけない気がしていた。自分も、深く傷つかずに済む気がしていた。美月は、たぶん、そこまで気づいている。
でも、今日は、それ以上何も言わなかった。私も、まだ、それが直すべき癖だとは、本当の意味では分かっていなかった。
陽葵は、相手の沈黙を自分の不安で埋めないよう、ただ返事を待った。
答えは、美月の口から聞けばいい。
急がなくていい。
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