第21話 センターにした方が売れるよ
「……今日、多くない?」
物販スペースへ入った瞬間、陽葵は思わず足を止めた。
ライブを終えたばかりの身体はまだ熱い。ステージ衣装の上から薄いパーカーを羽織り、いつもの位置へ向かおうとして、自分の列の前に見慣れない人数が並んでいることに気づいた。
「何が?」
隣を歩いていた杏奈が首を伸ばす。
「陽葵のとこ?」
「うん」
「多いじゃん。よかったじゃん」
「……うん」
嬉しくないわけがない。
むしろ嬉しい。
列が長いというのは、それだけ会いに来てくれた人がいるということだ。
ドラマの放送後、Talkyで名前を検索すると、以前より自分の名前が出てくるようになった。
「教室にいた子、アイドルなんだ」
「演技自然だった」
そんな投稿も少しずつ増えた。
数字にすると小さい。
けれど陽葵自身には、はっきり分かるくらいの変化だった。
「ぼーっとしてると始まるよ」
沙耶に肩を押され、陽葵は慌てて自分の位置へ入る。
「はい!」
物販が始まる。
最初に来たのはいつものファンだった。
「今日の二曲目よかった」
「ほんと? あそこ昨日まで振り変えてたんだよ」
「やっぱり。なんか前と違った」
「気づくのすごいね」
いつもの会話。
次も顔を知っている人。
その次は、初めて見る女性だった。
「あの、ドラマ見ました」
陽葵は一瞬だけ驚いてから、すぐに笑った。
「ありがとうございます!」
「ほんのちょっとだったけど、すごく印象に残って」
「嬉しいです。ほんとにちょっとだったのに」
「それでルミサン調べて、今日初めてライブ来ました」
胸の奥が一気に熱くなる。
少し前にも似たことはあった。
演技動画からライブへ来てくれた人。
でも今回は、自分が初めて取ったドラマの仕事から来てくれた人だった。
「どうでした?」
「楽しかったです。白石さん、めちゃくちゃアイドルですね」
陽葵は笑った。
「でしょ? うちのセンターすごいんですよ」
「あと歌の子もすごかった」
「琴葉。歌の話すると長いですよ」
少し離れた列にいる琴葉へ視線を向けると、なぜかちょうどこちらを見ていて、小さく首を傾げた。
陽葵は笑いながら手を振る。
こんなふうに、自分を入口にして他の四人を見てもらえる。
それが嬉しかった。
だから、その次の客の言葉を、陽葵はまったく警戒していなかった。
若い男性だった。
「ドラマ見ました」
「ありがとうございます」
「正直、もっと前出した方がいいですよね」
陽葵は笑顔のまま、少しだけ首を傾げる。
「前?」
「センターとか」
一瞬、意味が分からなかった。
男性は悪意なく続けた。
「白石さんも可愛いですけど、今は桜井さんの方が外で名前出てるじゃないですか。運営、桜井さんセンターにした方が売れるんじゃないですか?」
耳の奥で、周囲の音が少し遠くなった。
たった数秒。
何か言わなければいけない。
目の前の人は、喧嘩を売っているわけではない。
自分を褒めているつもりなのだ。
だからこそ、困った。
「えっと」
陽葵は笑顔を崩さないようにした。
「ルミサンのセンターは美月だから」
「でも人気変わってきたら、そういうの変えるグループもありますよね」
「うちは、そういう感じじゃないので」
少しだけ声が硬くなった。
相手は気づかなかったのか、「そうなんだ」と軽く頷く。
スタッフが時間を告げる。
男性は最後に手を振った。
「ドラマ、次も楽しみにしてます」
「ありがとうございます」
陽葵も手を振る。
客が離れた瞬間、息を吐いた。
たった一言だった。
褒められた。
自分を評価してくれた。
なのに、胸の中に残ったのは嬉しさではなかった。
次の客が来る。
陽葵はすぐに笑顔へ戻った。
物販は仕事だ。
目の前の人には関係ない。
でも、その後何人と話しても、さっきの言葉が頭の隅に残り続けた。
――桜井さんセンターにした方が売れるんじゃないですか?
終了後。
「陽葵、今日の列ほんと伸びたね」
美月が自分の荷物をまとめながら何気なく言った。
「うん」
「ドラマ効果すごいじゃん」
「……そうかな」
「そうでしょ。前まで来てなかった人いたもん」
杏奈が割って入る。
「しかも女の子増えた。羨ましい」
「杏奈も女の子いるじゃん」
「もっと欲しい」
「欲望が素直」
沙耶が笑う。
美月は陽葵の反応を見て、少し首を傾げた。
「嬉しくないの?」
「嬉しいよ」
「ならいいけど」
その一言に、陽葵はまた胸がざわついた。
言えばいいのだ。
今日、こんなことを言われた。
嫌だった。
たったそれだけ。
でも、口にすると美月に「比較されている」という事実をわざわざ渡すことになる気がして、言えなかった。
美月が知らないなら、知らないままでいい。
その判断が、本当に美月のためなのか。
陽葵自身にもまだ分からなかった。
バックヤードで売上シートを見ると、陽葵のチェキ枚数は美月、沙耶に次ぐ三番目まで伸びていた。以前なら四番目か五番目だった数字だ。
「ちゃんと入口になってるじゃん」
美月はいつもの顔で笑った。
「……うん」
本当なら素直に喜べるはずなのに、さっきの「センターを変えた方が売れる」という言葉だけが邪魔をした。
陽葵は胸の奥に小さな棘が残ったまま、スマホを手に取る。
見なければいいのに、Talkyを開いた。
ドラマの放送直後から、自分の名前を検索する癖がついていた。
褒められれば嬉しい。
改善点を書かれれば気になる。
今日は物販も伸びた。
だから少しくらい喜んでもいいと思った。
検索欄へ自分の名前を入れる。
上の方には普通の投稿が並んでいる。
『桜井陽葵、ライブだとめっちゃ笑うんだな』
『ドラマの子、ルミサンってグループだった』
『今日初めて現場行ったけど楽しかった』
そこまでは良かった。
少し下へスクロールする。
『ルミサン、演技の子もっと前出せばいいのに』
指が止まる。
さらに一つ。
『外仕事取れてる桜井を推した方が新規増えそう』
その下。
『センター固定する意味ある?』
数は多くない。
むしろほとんどの投稿は好意的だった。
なのに、そこだけ目に入る。
「見ない方がいいよ」
突然、隣から琴葉の声がした。
陽葵はびくっとしてスマホを伏せる。
「見てない」
「見てた」
「……見てた」
琴葉はそれ以上何も言わず、自分の荷物をまとめる。
陽葵は少し迷ってから聞いた。
「こういうの、気にする?」
「何が?」
「比較されるの」
琴葉はしばらく考えた。
「されるでしょ。五人いたら」
「そっか」
「歌なら私と誰か比べる人もいるし、美月と陽葵比べる人もいる」
「嫌じゃない?」
「嫌な時もある」
さらっと言われて、陽葵は驚く。
琴葉はペットボトルの蓋を閉めた。
「でも、比べる人のために歌ってないから」
琴葉らしい。
強いな、と思う。
自分はそこまで割り切れない。
帰り道も、知らない人の一言が残った。美月が前を歩き、時々四人がついてきているか確かめる。そのいつもの背中を見ているほど、「センターを変えた方が売れる」という言葉が嫌だった。
翌日。
佐伯さんから次のオーディション候補を聞いた後、昨日の物販が伸びた話になった。嬉しいと答えた私の間を、佐伯さんは見逃さなかった。
「何かあった?」
私は、客に美月より自分をセンターにした方がいいと言われたことと、Talkyで似た投稿を見たことを話した。
「それ、美月には?」
「言ってないです」
「なんで」
「言う必要ないかなって」
「本当に?」
答えられない。
「人気が上がれば比較も増える。全部真に受けるか、無視するか、本人に聞くかは自分で決めて」
「美月、気にしてると思いますか」
「知らない」
即答だった。
「本人じゃないから」
その一言が残った。私は美月を傷つけないつもりで、美月の気持ちを先に決めようとしていた。
事務所を出る時、美月からPingが届いた。
『今日レッスン前に新しいカフェ寄らない?』
いつも通りの誘いだった。
陽葵は画面を見つめる。
前なら、ここでまた考えたかもしれない。
言ったら美月が傷つくかもしれない。
気にしていないなら、わざわざ知らせる必要はないかもしれない。
自分が我慢すれば済むかもしれない。
そこまで考えて、佐伯の言葉を思い出した。
――本人じゃないから。
陽葵は返信欄を開く。
『行く。あと、昨日の物販のことで話したい』
送った。
送ってしまった。
数秒後、既読がつく。
『了解。重いやつ?』
少し迷う。
『たぶん』
『じゃあ甘いやつ飲もう』
思わず笑った。
カフェに着くと、美月は迷いなく一番甘そうな季節限定ドリンクを選んだ。
「昨日プリン食べた人に言われたくないけど、それすごいね」
陽葵が言うと、美月はストローを刺しながら笑う。
「今日は今日」
「名言っぽく言うな」
「陽葵も甘いの頼んでるじゃん」
「今日は必要」
「重いやつだから?」
「……うん」
美月はそこで茶化すのをやめた。
「じゃあ聞く」
陽葵はストローの袋を指で丸めた。
ここまで来ても、喉が詰まる。
でも今度は、別の話へ逃げなかった。
「昨日、物販で言われたんだ」
「何を?」
「私をセンターにした方が売れるんじゃないかって」
美月の指が止まった。
ほんの一瞬だけ。
その変化を見て、陽葵の頭はすぐに答えを作ろうとする。
嫌だった。
傷ついた。
やっぱり言わない方がよかった。
そこまで考えかけて、止めた。
今、決めない。
目の前の美月が何を言うかを待つ。
「誰に?」
「初めて来た人。ドラマ見て来てくれた人だった」
「そっか」
「悪い人じゃないんだよ。たぶん私を褒めようとしてくれた」
「うん」
「Talkyにも似たのがあった。『演技の子を前に出した方がいい』とか、『センター固定する意味ある?』とか」
美月はストローをくわえず、カップの中の氷を見ていた。
陽葵は続ける。
「それで、私……嫌だった」
美月が顔を上げる。
「褒められたのに?」
「うん」
「なんで?」
今度は陽葵が少し考えた。
でも、答えを美月の側へ置かないようにした。
「二年間のことを、人気順だけで並べ替えられたみたいだったから」
美月は何も言わない。
「美月がセンターなのって、人気一位だからだけじゃないじゃん。ライブ前に全員見てるし、私が変な顔してたらすぐ気づくし、杏奈が暴走したら止めるし」
「最後のは誰でも止める」
「今そこ?」
「続けて」
「……だから、私を褒めるために美月を下げられたのが嫌だった」
口にしてしまうと、昨日から胸に刺さっていた棘の形が少しだけ分かった。
美月はしばらく黙ってから、短く息を吐いた。
「それ、昨日言えばよかったのに」
「うん」
「なんで言わなかったの」
「美月が気にするかなって」
言った瞬間、自分で気づいた。
まただ。
美月も気づいたらしい。
眉が少し上がる。
「気にするかな、って?」
陽葵は慌てて続ける。
「だから、気にしてるって決めたわけじゃなくて。今日ちゃんと聞こうと思って」
「うん」
「昨日は勝手に想像して黙った。でも今日は言った」
「そこは成長」
「でしょ?」
「でも半分」
「半分?」
美月はカップをテーブルへ置いた。
「陽葵さ」
「うん」
「私にそのコメントのこと言うのと、『美月は嫌だよね』って決めるの、別だからね」
胸の奥が小さく鳴った。
「……うん」
「今の陽葵、まだ私の顔見て答え探してる」
図星だった。
陽葵は思わず視線を落とす。
「じゃあ、聞いていい?」
「何」
「美月は、嫌だった?」
美月はすぐには答えなかった。
その沈黙が怖い。
でも、今度は先に埋めない。
謝らない。
答えを作らない。
ただ待つ。
美月は数秒後、ゆっくり言った。
「そのコメント自体は、そりゃ嫌」
陽葵の胸がきゅっとなる。
「でも」
美月の声が少し強くなる。
「だからって、陽葵が売れるのが嫌なわけじゃない」
「……うん」
「そこ、一緒にしないで」
陽葵は顔を上げた。
美月は怒鳴ってはいない。
でも、笑ってもいない。
「私は陽葵のドラマ、嬉しいって言ってるじゃん」
「うん」
「人気上がったのも嬉しい」
「うん」
「なのに陽葵、私が本当は違うこと思ってるみたいに見る時あるよね」
心臓が痛いところを突かれた。
「それは……」
「今日ちゃんと話したのは偉い。でも、その先まで勝手に決められるのは嫌」
陽葵はすぐに「ごめん」と言いかけた。
口を開いて、止める。
美月がその動きを見ている。
「今、ごめんって言おうとした?」
「……言おうとした」
「言ってもいいよ」
「え」
「悪かったと思ったなら。でも謝って終わりにしないで」
少し前なら、この時点で空気を戻すことしか考えなかった。
今日は違う。
「じゃあ、ごめん」
「うん」
「でも、もう一個聞きたい」
「何?」
「美月が嫌なのは、私が人気上がることじゃなくて、比べられること?」
美月は今度こそ、少しだけ笑った。
「そういうふうに聞いて」
「……はい」
「答えは、たぶんそう。比べられるのも嫌だし、五人を勝手に並べ替えられるのも嫌」
「私も嫌だった」
「じゃあそこは同じじゃん」
その一言で、昨日から一人で抱えていたものが少しだけ軽くなった。
完全に解決したわけではない。
人気が上がれば、これからも比較は増える。
美月が今後ずっと平気だという保証もない。
陽葵自身だって、また先回りして相手の気持ちを決めるかもしれない。
でも今日は、黙ったまま終わらなかった。
自分から言った。
聞いた。
そして、美月の答えを待った。
「あとさ」
美月がドリンクを一口飲む。
「次のオーディション来たんでしょ」
「何で知ってるの!?」
「さっき陽葵が言いかけた顔してた」
「顔でそこまで分かる?」
「二年一緒にいるので」
「強い」
「受けるんでしょ?」
「受ける」
「じゃあ頑張って」
即答だった。
陽葵はその返事を、今度は裏読みしなかった。
「うん」
「で、甘いの足りた?」
「ちょっと足りない」
「追加頼む?」
「頼む」
「昨日プリン食べてたのに」
「今日は今日」
「人の名言取るな」
二人で笑った。
嬉しいはずの人気上昇が、初めて少し怖くなった日だった。
それでも陽葵は、その怖さを一人で持ち帰らなかった。
美月がどう思うかを勝手に決める前に、本人へ聞く。
簡単なことなのに、今までの自分にはそれが難しかった。
そして、その癖が一度話しただけで全部消えるほど簡単ではないことも、陽葵はまだ知らなかった。




