第19話 今日のライブ、好きだった
「陽葵、そこ違う」
「え?」
「半歩右」
「昨日ここじゃなかった?」
「昨日は四人用」
「あ」
「今日は五人」
「そうだった」
ライブ本番前のリハーサル。私は慌てて自分の立ち位置を直した。
「もう一回、落ちサビ前から」
すぐに美月の声が飛んでくる。
「はい!」
「杏奈、今度こそ間違えないで」
「私!?」
「さっき逆行った」
「昨日の身体が残ってるの!」
「一日しかやってないでしょ」
「一日でも身体は覚える!」
「振りは覚えないのに?」
「陽葵まで!」
スタッフが笑っている。昨日、私が撮影で遅れている間、四人は四人用の立ち位置でリハーサルを進めた。今日、それを五人へ戻している。大きく変わったわけではない。
私の場所を空ける。歌割りを戻す。フォーメーションを少し動かす。それだけ、なのに、ステージへ立ってみると、不思議なくらい違った。
「琴葉、そこ声どう?」
美月がこちらを見て聞く。
「大丈夫」
「昨日より?」
「今日の方が楽」
「何で?」
「陽葵がいるから息吸える」
「え」
「そこ?」
「昨日、陽葵パートまで一個拾ったから」
「琴葉が?」
「一行だけ」
「ごめ――」
言いかけたところで、自分から止めた。
琴葉がこちらを見る。
「今止めたね」
「止めた」
「成長」
「みんなに監視されてるみたい」
「実際してる」
「怖」
昨日、沙耶に言われた。謝って終わらせるより、相談する。任せる。
必要なら頼る。まだ身体に染みついてはいない。何かあると、まず「ごめん」が出そうになる。でも、今日は、少なくとも一度は止められた。
「じゃあ」
私は琴葉を見る。
「昨日ありがとう」
「それならいい」
「違い細かいなあ」
「全然違う」
沙耶がそのやり取りを見て笑う。
「陽葵の場合は特にね」
「はいはい」
「二回言わない」
「言ってない!」
◇
今日の会場は、ルミサンにとって少し特別だった。新宿でも恵比寿でもない。都内の中規模ライブホール。普段の単独ライブより大きく、対バンとしても私たちが立つには少し背伸びする場所だった。
もちろんトリではない。格上もいる。それでも、客席を見れば。ルミサンのペンライトが、以前より確実に増えていた。
「今日多いね」
袖から覗きながら、杏奈が言う。
「何が?」
「黄色」
「そこ?」
「増えてるよ」
「気のせいじゃない?」
「気のせいじゃない」
美月まで客席を見る。
「前よりいる」
「本当?」
「うん」
「ドラマの動画?」
「それもあるかも」
沙耶が客席を見ながら言う。
「でも最近、グループ全体のフォローも増えてるって黒田さん言ってた」
「へえ」
「本人が一番知らない」
杏奈が呆れる。
「数字ずっと見てたら疲れるじゃん」
「私は楽しい」
「杏奈はね」
「増えたら嬉しいよ?」
「減ったら?」
「見なかったことにする」
「便利」
琴葉は客席ではなく、イヤモニを調整していた。
「黄色増えても」
「うん?」
「歌変わらないよ」
「琴葉らしい」
「でも」
琴葉が少しだけ客席を見る。
「紫も増えてる」
「見てるじゃん!」
「それは見る」
「自分の色は見るんだ!」
「当然」
珍しく少し得意そうだった。
◇
本番十五分前。五人で円になる。いつもなら美月が最後の確認をする。今日も同じ。
「一曲目、頭」
「大丈夫」
「二曲目、落ちサビ」
「大丈夫」
「杏奈」
「今度こそ大丈夫!」
「信用低い」
「ひど!」
「琴葉」
「喉大丈夫」
「沙耶」
「問題なし」
「陽葵」
「大丈夫」
美月が私を見る。
「本当に?」
「今日は最初からいる」
「そうじゃなくて」
少しだけ笑う。
「昨日のこと引きずってない?」
一瞬、答えに迷った。引きずっていない。とは言えない。四人だけで進む時間を見た。
自分の仕事で、みんなを待たせた。でも。
「引きずってるけど」
「うん」
「今日ライブしたら多分大丈夫」
美月が笑った。
「じゃあライブしよう」
「雑」
「一番早いでしょ」
「確かに」
五人で手を重ねる。
「Lumière cinq!」
「行くぞ!」
◇
ステージへ出た瞬間、撮影のことも時間のことも、昨日のレッスンで沙耶に怒られたことも全部飛んだ。目の前に残ったのは、音と光と客席だけだった。
「こんばんはー!」
杏奈が客席へ向かって叫ぶ。
「Lumière cinqでーす!」
歓声が返る。以前より、大きい。気がする。
いや。たぶん本当に大きい。一曲目。
美月が中央で笑う。ステージが一気にルミサンの色になる。こういう時。私は美月がセンターでよかったと思う。
客席が誰目当てでも、最初に美月が捕まえる。そこから、五人へ広がる。二曲目。
琴葉の声。今日は本当に調子がいい。一音目で、客席が少し静かになる。それから、サビ。
杏奈がさらに客席を煽る。
「声出せるー!?」
客席から歓声が返る。
「もっとー!」
さっきより大きな歓声が返ってくる。
「陽葵!」
「何!?」
「足りない!」
「何が!?」
「声!」
「私に言うな!」
「じゃあ聞いて!」
杏奈が客席へマイクを向ける。
「ルミサーン!」
客席から今度ははっきり声が返る。
「ルミサーン!」
返ってくる。思ったより大きい。一瞬、私の方が驚いた。
「ほら!」
「本当に大きい!」
「でしょ!」
「私たちが驚いてどうする!」
笑いが起きる。美月がそのまま繋ぐ。
「もっと驚かせてよ!」
客席から歓声が返る。ステージの上で、五人が同じタイミングで笑った。
◇
三曲目。昨日、私がいなかったために変更された曲。今日は元に戻っている。落ちサビ。
杏奈の横を通る。昨日なら、杏奈が私の位置へ入っていた。今日は、私がいる。当たり前。
でも、その当たり前が昨日より大事に思えて、美月を見るとちょうど目が合った。
歌いながら。一瞬だけ笑われた。たぶん、立ち位置を間違えなかったから、違うかもしれない。でも、何となく。
「いるじゃん」と言われた気がした。
◇
最後の曲。私たちが結成当初から歌っている曲だった。今よりもっと小さなライブハウスで、客席が三十人しかいない日に、何度も歌った。五人とも、今より下手だった。
美月はセンターらしく見せようとして力みすぎていた。杏奈はMCで本当に何を言うか分からなかった。琴葉は歌う時以外、客席を見る余裕がなかった。沙耶は全部を気にしすぎて、自分の表情が固かった。
私は、女優になりたいと思いながら。とりあえず今はアイドルを頑張ろうと思っていた。あの頃。
アイドルは、女優へ行くまでの入口になるかもしれない。そんな風に考えていた。今、同じ曲を歌っている。客席は、あの頃よりずっと多い。
私はドラマの撮影へ行った。台詞をもらった。桐生蓮と芝居をした。次の仕事の話まで来ている。
夢だった場所へ、少しずつ近づいている。なのに、今、ステージの上で思った。こっちも、同じくらい好きだ。
「陽葵!」
杏奈の声。考え込んでいた。
「何!?」
「最後!」
「あ!」
自分のパートへ意識を戻さないと危ない。
歌う。美月が笑っている。琴葉まで少し笑った。沙耶が呆れた顔をする。
たぶん客席にはばれていないまま曲が終わり、最後のポーズを決めると歓声が上がった。
息が切れている。でも、もっとやりたかった。
◇
「ありがとうございましたー!」
五人で頭を下げ、客席からの拍手を受けながら袖へ戻る。
ステージを完全に降りた瞬間。
「陽葵!」
美月に肩を掴まれた。
「はい!」
「最後飛んだでしょ!」
「ちょっとだけ!」
「ちょっとじゃない!」
「戻ったから!」
「杏奈いなかったら危なかった!」
「ありがとう杏奈!」
「もっと感謝して!」
「今日だけ!」
「今日だけ!?」
全員が笑っている。息は苦しく、汗もひどくて衣装まで暑いのに、不思議と嫌ではなかった。
なのに、笑いが止まらなかった。
「今日」
琴葉が息を整えながら言う。
「うん?」
「良かったね」
「琴葉がライブ全体褒めるの珍しい」
「昨日より」
「それは五人だったから?」
聞く。琴葉は少し考える。
「それも」
「他は?」
「客席」
「良かった?」
「歌返ってきた」
琴葉は、歌の話をしている時だけ、本当に分かりやすい。
「今日好きだった」
気づけば、私はそのまま口にしていた。
「何?」
美月がこちらを見て聞く。
「今日のライブ」
「うん」
「好きだった」
「変なの」
「何で」
「いつも好きでしょ」
「そうだけど」
何と言えばいいんだろう。
「今日」
私は少し考えたけれど、結局うまい言葉は出てこなかった。
「今日のライブ、好きだった」
「さっきも言った」
美月が私の顔を見て笑う。
「いや、何か……前より分かった」
「何が?」
「撮影が楽しい日が増えても、ライブが薄くなるわけじゃないんだなって」
杏奈がすぐに手を上げた。
「それ、前から私たち知ってた!」
「本人が今分かったの!」
「遅い!」
「うるさい!」
笑いながら言い返すと、胸の中にあったものまで少し軽くなった。
「じゃあ私も」
杏奈が手を上げる。
「お菓子もご飯も両方食べたい」
「一緒にするな!」
「気持ちは同じ!」
「絶対違う!」
沙耶がそのやり取りを見て笑う。
「でも」
「うん?」
「昨日みたいなことも増えると思う」
すぐ現実に戻す。やっぱり沙耶。
「分かってる」
「今日みたいにうまくいく日ばっかりじゃない」
「うん」
「それでも?」
「やりたい」
今度は、迷わなかった。美月が私を見る。
「じゃあやれば」
「簡単に言う」
「陽葵が難しくするから」
「私?」
「そう」
「でも」
美月が少し笑う。
「私も今日のライブ好きだった」
「本当?」
「うん」
「じゃあ同じ」
「調子乗るな」
「何で!」
◇
物販、今日、私の列は少しだけ長かった。でも、それより、五人全体の列が長い。それが嬉しい。
「今日良かった!」
列の先にいたのは、いつものタクミさんだった。
「本当?」
「最後危なかった?」
「何で分かったの!?」
「陽葵ちゃん一瞬目泳いだ」
「見すぎ!」
「ファンなので」
「怖!」
「でも」
タクミさんが笑う。
「今日、楽しそうだった」
「うん」
「最近演技の話増えたから」
「はい」
「そのうちライブよりそっちになるのかなってちょっと思ってた」
一瞬、言葉が止まる。でも、今日なら、言える。
「ならないです」
「言い切る?」
「今は」
「今は付いた」
「先のことは分かんないから」
「芸能人」
「芸能人です」
「でも今日みたいなら安心」
「何が?」
「陽葵ちゃん、ライブ好きなんだなって」
胸が少し暖かくなった。
「好きですよ」
「ならよかった」
◇
終演後、帰りの車へ乗り込む。
私は窓側の席に座り、隣には美月がいる。
前で杏奈が寝ている。さっきまであれだけ喋っていたのに、琴葉も目を閉じている。沙耶だけが明日の予定を確認していた。
「陽葵」
「何?」
美月が小声で言う。
「今日の顔、覚えときな」
「どの顔?」
「ライブ終わった時。すごい嬉しそうだったやつ」
「自分じゃ見えないんだけど」
「じゃあ私が覚えとく」
「何それ」
「また難しく考え始めた時に言う」
「絶対言い方腹立つやつ」
「任せて」
車の窓に自分の顔が薄く映っている。
撮影でいい芝居ができた日とは違う疲れ方をしているのに、今日はまだ終わってほしくなかった。
それだけで、今の私には十分な答えだった。
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