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第18話 四人でつないだ二十分

「……陽葵、まだ着かないって」


美月がスマホから顔を上げると、レッスン室にいた三人が同時にそちらを見た。


鏡張りの壁には、いつもなら五人分並ぶはずの姿が四人しか映っていない。見慣れないわけではない。誰かが別仕事や体調不良で欠けることくらい、二年も活動していれば何度かあった。


けれど今日だけは、意味が違っていた。


陽葵は来る。来たいと思っている。それでも撮影が押して、まだここにいない。


「本番には間に合うんでしょ?」


杏奈が床に置いたペットボトルを拾いながら聞くと、美月は短く頷いた。


「佐伯さんからはそう聞いてる。だから先にリハやるよ」


「了解。じゃ、陽葵パート空けて確認?」


「最初はそれで」


沙耶がタイムテーブルに視線を落とし、琴葉はイヤホンを外して音源をスピーカーへつないだ。


誰も「仕方ない」とも「困った」とも言わなかった。


昨夜、陽葵本人が何度も謝ったからだ。


これ以上、その言葉を増やしても何も良くならない。


美月が一度手を叩く。


「じゃあ一曲目から。杏奈、最初の煽りお願い」


「ほい。今日だけセンター小野寺杏奈でーす」


「違う」


「言ってみたかっただけなのに」


「五秒で降ろされたね」


琴葉が淡々と返し、沙耶が吹き出す。


いつもの空気に戻ったように見えた。


音が流れれば、身体は勝手に動く。立ち位置も振りも、四人は身体に入っている。陽葵の位置だけを空ける形で一曲目を通し、二曲目へ移る。


問題が起きたのは、曲ではなかった。


一曲目と二曲目の間だった。


音が止まり、美月が普段どおりマイクを持つ。


「改めまして、私たち――」


言いかけて、美月の視線が右へ流れた。


そこにはいつも陽葵がいる。


陽葵が「Lumière cinqです!」を少しだけ早く拾い、杏奈が被せて、美月が笑いながら次へ進む。


今日は誰も拾わなかった。


一秒にも満たない沈黙なのに、妙に長く感じた。


杏奈が慌てて口を開く。


「はい! ルミエール・サンクでーす!」


「ちょっと遅い」


「今の私悪い?」


「悪くはないけど、待った」


美月が首を傾け、琴葉が真顔で言う。


「美月も待った」


「私?」


「うん。陽葵が入る前提の間だった」


美月が口を閉じた。


言われてみれば、その通りだった。


「じゃあ、最初から」


もう一度。


今度は杏奈が早く入った。


早すぎた。


「Lumière――」


「待って待って待って!」


美月が笑いながら止める。


「今度は私の名前紹介まで食べた!」


「さっき遅いって言ったじゃん!」


「限度がある!」


「難しっ!」


沙耶が腕を組んだまま鏡越しに四人を見る。


「これ、陽葵が毎回微調整してたんだね」


「え?」


杏奈が振り返る。


「何を?」


「間。美月が喋る長さで入る位置変えてた」


「そんな器用なことしてた?」


「たぶん本人は考えてない」


琴葉が言う。


「美月の言葉が長い時は待つし、杏奈が被せたら一回引くし、私が喋ってないと振ってくる」


「私そんな喋ってない?」


「歌の話ならうるさい」


「それは認める」


四人の間に笑いが起きた。


けれど笑ったあと、美月は少しだけ真面目な顔になった。


「じゃあ、陽葵いないとMCできません、はダサいね」


「それは死ぬほどダサい」


杏奈が即答する。


「本人に絶対言われる。『私いないだけで何してんの』って」


「言うかなあ」


「言わない。だから余計ムカつく」


「杏奈、陽葵好きだよね」


「今それ関係ある?」


沙耶がタイムテーブルの余白へ何か書き込みながら口を挟む。


「陽葵の穴を埋めるんじゃなくて、四人用で作ろう。今日ここにいる四人で回る形」


「陽葵が来たら?」


「その時五人用に戻せばいい」


美月は数秒考えてから頷いた。


「じゃあ、私が最初を短くする。杏奈は私の名前紹介のあとじゃなくて、全員紹介のあとに入って」


「琴葉は?」


「私、喋らなくていい」


「そういう話じゃない」


「じゃあ一言だけ」


「少なっ」


「本番前に喉使いたくない」


「そこはブレないねえ」



美月がもう一度進行表を見た。


「ところで、陽葵が普段やってるところ、誰が全部持つ?」


「全部って言い方すると怖いんだけど」


杏奈が嫌そうな顔をする。


沙耶が指で項目を追った。


「最初の挨拶は美月。曲振りは私。客席拾うのは杏奈」


「琴葉は?」


「歌う」


「それいつも!」


「じゃあ曲終わりに一言」


琴葉は少し考えてから、美月を見る。


「でも、陽葵の代わりを一人決めない方がいいと思う」


「なんで?」


「陽葵、一人で一個の仕事してないから」


三人が黙った。


琴葉は鏡の方へ視線を戻す。


「誰かの言葉を拾ってるだけ。だから四人で分けた方が自然」


「……それ、本人に言ったら絶対『私そんなことしてる?』って言うね」


美月が笑う。


杏奈も頷く。


「百パー言う。で、そのあと『いや杏奈が喋りすぎなんだよ』って私が怒られる」


「それは事実」


「琴葉まで!」


沙耶が笑いながら進行表を書き換えた。


「じゃあ決まり。陽葵の穴を埋めるんじゃなくて、四人で拾う」


「なんかいいね、それ」


杏奈が言う。


美月は一瞬だけ鏡の空いた場所を見てから、すぐに前を向いた。


「よし。じゃあ四人のルミサン、ちゃんと作ろう」


さっきまでの「陽葵がいない形を再現する」という発想を捨てると、不思議なくらい早くまとまり始めた。


杏奈が前へ出る位置を半歩変え、美月がトークの順序を調整し、沙耶が次の曲への導線を整理する。


琴葉は必要なところだけ言葉を挟んだ。


もう一度、一曲目から通す。


今度は止まらなかった。


陽葵がいる時とは違う。


でも、これはこれで成立している。


四人は二十分ほどで、四人なりの呼吸を作り始めていた。


その頃、陽葵は移動中の車の後部座席で時計ばかり見ていた。


道路の流れは悪くない。それでも、信号で止まるたびに胸がざわつく。


「今、どこまでやってますか」


隣で仕事用タブレットを確認していた佐伯が、画面から目を上げずに言った。


「知らない」


「え」


「私は今ここにいるから」


「そうですけど」


「でも四人なら進めてるでしょ」


その言い方があまりに当然で、陽葵は返す言葉を失った。


昨夜なら、そこですぐ「ごめんなさい」と言っていたと思う。


今日は言わなかった。


スマホを開き、グループPingを確認する。


杏奈から写真が一枚だけ届いていた。


鏡越しに映る四人。


その下に、


『四人でもちゃんと美少女』


と書いてある。


続けて美月。


『ちゃんと、はいらない』


琴葉。


『杏奈だけ汗すごい』


杏奈。


『働いてる証拠だが???』


沙耶。


『陽葵、着いたら先に水飲んで』


陽葵は画面を見ながら、思わず笑った。


そこには「急いで」も「まだ?」もなかった。


自分がいない時間が、普通に流れている。


それが少しだけ寂しくて、でも同じくらい安心した。


レッスン会場へ着いたのは予定より二十五分遅れだった。


陽葵が廊下を走り、扉を開けかけたところで、中から声が聞こえた。


「じゃあMCもう一回だけ」


美月の声。


陽葵は反射的にドアノブを持ったまま止まった。


少しだけ覗く。


四人が並んでいた。


自分の位置は空いていない。


最初から四人で作った立ち位置だった。


美月が喋り、杏奈が絶妙なタイミングで横から入る。


琴葉が短い一言を挟み、沙耶が次の曲へ繋げる。


ちゃんと面白い。


ちゃんとルミサンだ。


なのに、自分が知っているルミサンとは少し違う。


陽葵は扉の前で、胸の奥が妙にきゅっとなるのを感じた。


「何してるの?」


背後から佐伯に言われ、飛び上がる。


「いや、見てました」


「入れば?」


「はい」


ドアを開ける。


一番最初に気づいたのは杏奈だった。


「来た! 欠員!」


「人を欠員って呼ぶな!」


陽葵が即座に返すと、美月が笑った。


その笑い方が、さっき四人で笑っていた時とは少しだけ違う。


いつもの形へ戻った、と陽葵には分かった。


「お疲れ」


沙耶がタオルを投げてくる。


「水飲んで。五分休んだら陽葵入りで確認する」


「ごめ――」


言いかけて、陽葵は口を閉じた。


沙耶がじっとこちらを見る。


昨夜と同じ顔だった。


陽葵は言い直す。


「……ありがとう。四人で進めてくれて」


「うん」


沙耶はそれだけ返した。


怒っていない。


でも何もなかったことにもしていない。


陽葵が水を飲んでいる横で、杏奈が得意げに胸を張る。


「ちなみに四人バージョン、めちゃくちゃ完成度高いから」


「え、見た」


「見てたの!?」


「ちょっとだけ」


「盗み見じゃん!」


「入るタイミングなかったんだもん」


美月が陽葵の隣に座った。


「別に、四人でもできるよ」


「うん」


「でも」


美月はペットボトルのキャップを閉めながら、鏡の中の四人を見る。


「ちょっと違った」


陽葵も鏡を見る。


そこへ自分が加われば、五人になる。


当たり前のことなのに、その当たり前が昨日までとは少し違って見えた。


「私も、見てて思った」


「何?」


「四人でもルミサンなんだなって」


杏奈がすかさず割り込む。


「何その卒業フラグみたいな台詞!」


「違う違う違う!」


「やめてよ縁起でもない!」


「そういう意味じゃない!」


慌てる陽葵を見て、四人が笑う。


沙耶だけは、少し遅れて笑ったあと、陽葵の肩を軽く叩いた。


「次からは」


「うん」


「決まってからじゃなくて、決まる前に言って」


昨夜よりずっと短かった。


説教でも、確認でもない。


ただの約束だった。


「分かった」


陽葵は今度こそ、迷わず答えた。



「ねえ、さっきの四人版、本番で陽葵が着かなかったらそのままやる?」


杏奈が聞く。


空気が一瞬だけ止まった。


美月はすぐに答えた。


「やるよ」


陽葵は思わず美月を見る。


「え」


「間に合わなかったら四人でやる。イベント飛ばす方がだめでしょ」


「……うん」


「だから陽葵も、間に合わせるために無茶しないで」


沙耶が続ける。


「走って転ぶとか一番困るからね」


「しません」


「昨日の陽葵ならやりそう」


「それは……否定しづらい」


杏奈が笑う。


「安心して。陽葵いなくても私は可愛いから」


「そこ?」


「大事」


琴葉が小さく息を吐く。


「四人でもできる。五人ならもっといい。それでよくない?」


「……うん」


陽葵はその言葉を何度か頭の中で繰り返した。


四人でもできる。


五人ならもっといい。


自分が必要だから成り立つ、ではない。


自分もいるから今の形になる。


その方が、ずっと嬉しかった。



五分後。


五人で一曲目から通した。


同じ曲。


同じ立ち位置。


同じMC。


なのに、さっき見た四人の形を知ったあとでは、陽葵自身の動き方まで少し変わった。


美月が言葉を伸ばせば待つ。


杏奈が被せれば一度引く。


琴葉が何か言いかければ、そちらへ視線を送る。


沙耶がまとめようとしたら、その前に余計な一言を拾う。


自分が何をしていたのか、初めて少しだけ分かった気がした。


目立つ役目ではない。


歌割りにも、立ち位置表にも書かれない。


でも、たしかにそこにある。


曲が終わった瞬間、杏奈が息を切らしながら言った。


「やっぱ五人の方がうるさい」


「褒めてる?」


「めちゃくちゃ褒めてる」


美月が笑って、いつものように陽葵の肩へ自分の肩をぶつけた。


陽葵も笑い返す。


四人でもできる。


でも五人だと、これになる。


その違いを知れたことが、今日遅れたことへの免罪符になるとは思わない。


それでも陽葵は初めて、自分がいない時間まで含めて、このグループを信じられるような気がした。


そして同時に。


自分がここにいることで生まれているものも、ほんの少しだけ信じてみてもいいのかもしれないと思った。


「じゃあ、五人でやろう」


「うん」


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